2
「え?今日の社長は機嫌が悪いんですか?」
遅刻ギリギリに出勤してきた瑞穂は、コートをハンガーにかけながら問う。
「そうだね。もう見るからに不機嫌そうだったよ。家で何か嫌なことでもあったのかな」
優は苦笑いを浮かべ、温泉のお土産で買って来たお菓子を口に入れる。
「今日はミスをしない様に注意した方が良さそうね。気を付けなさいよ、瑞穂」
華江に指摘され、瑞穂はギクリとする。
「だ、大丈夫ですよー。そんな頻繁にミスなんかしませんから」
アハハと空笑いし、席に着く。
社長が自宅で嫌な事があったとすれば、恐らく深雪が関わっているだろう。
だが昨日は深雪の誕生日で、プレゼントも一生懸命考えており、喧嘩をしている様子もなかった。
もしかしたら、昨日何かが原因で夫婦喧嘩でもしてしまったのだろうか。
それとも、自分達の計画した旅行が原因で──。
「だとしたらまずいかな。やっぱり1泊旅行はダメだったとか?」
「何か言いましたか?」
パソコンを見ながらぼやいていると、隣の席の莉桜菜が不思議そうに問う。
「な、なんでもない。あ、そのお土産どう?美味しい?」
「あ、はい。確か、熱海の旅館に泊まられたんですよね?どんな旅館でしたか?」
「凄く綺麗で、雰囲気も良い場所だったよ。今度、莉桜菜──さくらちゃんも一緒に行こうよ」
「はい、是非。一昨日は確か、4人で行かれたんですよね?」
「そう。私と艶子さんと長女さんと、さくらちゃんが入社する前に辞めちゃった人。ごめんね、知らない人がいたから誘えなくて」
本当は全員を誘いたかったのだが、主役の深雪が知らない人を誘うわけにはいかず、莉桜菜には理由を話して誘わなかったのだ。
お詫びにお土産を買って来たのだが、本人はあまり気にしていないらしい。
「良いんです。休みは私、彼氏の家に行く予定だったんで。その人はどうして退職しちゃったんですか?」
「それはそのー。一身上の都合かな?」
さすがに会社に乗り込んできたチンピラを撃退する為、大暴れしたからとは言えなかった。もしかしたらすでに誰かから聞いているかと思ったが、幸い噂話を吹き込んだ人はいないらしい。
「もしかしたら、社長にパワハラされたから……ですかね?」
「え?あはは、まさぁ」
その人は社長の奥さんだもんと言いそうになり、慌てて言葉を飲み込む。
莉桜菜は目を伏せ、溜め息混じりに呟いた。
「陽子さん達は何年も働いているんですよね?キャリアさんはあの社長の担当ですし。凄いなぁって尊敬します」
「あはは……。まぁ、慣れちゃえばね」
どうやら莉桜菜は、社長を恐れているらしい。
初日に大きなミスをしてしまい、怒鳴り付けられたからだろうか。
まだ入社したての莉桜菜は、他の社員に比べるとミスが多い。その為、恐れているのも無理はないのだが。
「私、慣れるかちょっと心配なんです。前にいた人も研修期間で退職してしまったんですよね?社長に怒鳴られたりしていませんでしたか?」
「あー……あった、かなぁ?確か」
社長が深雪に怒っていたのは、残業を忘れて帰った時以外思い出せない。言われてみると確かに、深雪に対して嫌味や小言のような事は言っていたが、怒鳴り付ける事はなかった。
やはり他人のふりをしていても、他の社員と同じように接するのは難しかったのかもしれない。
「やっぱり。きっとパワハラで辞めたんだと思います。社長も、もう少し優しくなってくれれば良いのに……。あの人、確か結婚しているんですよね?奥さんにはモラハラとかしてそう」
どうやら莉桜菜の社長嫌いは筋金入りらしい。
知らない体の為、完全否定するわけにはいかないが、社長のイメージの為に同調するわけにもいかない。
「どうかなぁ。あぁいう人って意外に家では愛妻家かもしれないよ?」
「信じられません」
莉桜菜はどうあっても社長に悪いイメージしか持っていないらしく、さらりと流されてしまった。




