16
その日の夕方、深雪は久しぶりに自室として使っていた4002号室に居た。
夕食を作っている間は、絶対に部屋から出ないようにと言いつけられている。
作っている行程を見られたくないらしい。
「せっかくだから見ていたかったのに。どうして隠すのかしら」
もしかしたら恥ずかしいのかなとも思ったが、今さら恥ずかしがる意味もわからない。
だが見せたくないと言うのなら無理に見るわけにもいかず、大人しく部屋で待つ事にした。
「自分の部屋だけど……。何もないから退屈なのよね」
元は普通の間取り2LDKの部屋だ。勿論キッチンやトイレ、浴室もついている。
しかし基本的には住居にしている4005号室で過ごしている為、この部屋には余分な家具は一切ない。
深雪がここに入るのは、今みたいに頼まれた時か、 大喧嘩をしてしばらく顔を見たくないと家出をした時くらいだ。
幸い、後者の理由で使った事は1度もないが。
「住んでなくても埃が溜まるのね」
よく見ると、フローリングにはうっすら埃が被っている。
せっかくだから掃除でもしようかと思ったが、道具は全て住居の部屋にある。
こっそり道具だけでも持ってこれないかなと考えていると、玄関のドアが開いた。
「深雪。できたぞ」
「本当に?早かったのね」
そういえば、すでに下拵えはしてあると言っていた。どこまでしていたのかはわからないが、退屈していたため助かった。
「あなたが料理を作ってくれたなんて本当に嬉しいわ。楽しみね」
早速部屋に戻ろうと靴を履くと、突然視界が真っ暗になった。
「えっ!?」
「目隠しして来てくれ。良いって言うまで外すなよ」
恐る恐る目元に触れる。どうやらアイマスクらしい。
何もここまでしなくてもとは思ったが、余計な事を言って気分を害してしまうのも申し訳ない。
「まるで子供みたいね」
小さく笑い、手を引かれながら歩く。
「ほら、靴脱いで」
どうやら自宅の玄関らしい。足だけを使って靴を脱ぐと、ゆっくりリビングへ向かう。
「そこで止まって」
感覚的に、ダイニングテーブルの前だろうか。
素直に足を止めると、公一は「いいよ」と言った。
「わぁ!すごい」
アイマスクを取り、目の前にある料理に声を上げる。
部屋は薄暗くなっており、テーブルの中央には、蝋燭を立てたケーキが置いてあった。
その周りにはビーフシチューにサラダ、そしてパンにワイングラスがある。
「すごい。お店のディナーみたいね。あ、私の好きなケーキ!」
ケーキの中央にはわざわざ『深雪・誕生日おめでとう』と書かれたプレートまである。
蝋燭は長いものが2本に短いのが4本。火が揺れている。
「リクエストのケーキだよ。ほら、吹き消して」
「えぇ」
なんだか恥ずかしいなと思いながら、蝋燭の火を吹き消す。
辺りは真っ暗になったが、すぐに電気をつけられた。
「誕生日おめでとう」
「ありがとう。こんな誕生日初めてだわ」
今までは基本的にホテルのレストランで大人の誕生祝いをしてもらった。
しかし、皆子供の頃に経験したであろうケーキの蝋燭を吹き消す作業は初めての経験だった。
勿論、ケーキの上にあるチョコプレートを見るのも。
「たまにはこんなのも良いかなって。深雪、手を出して」
「?」
言われるまま右手を差し出すと、公一は薬指に指輪をはめた。
「俺からのプレゼント。指輪はベタすぎるかなって思ったけど、なかなか思い付かなくて」
「綺麗……」
シルバーの細い指輪には、いくつものピンクダイヤモンドが埋め込まれている。
「あまりごついのは好きじゃないと思ってさ。シンプルなのにしたんだけど」
「うん。凄くステキ!ありがとう!」
思わず抱きつくと、公一は少し恥ずかしそうに頬を掻いた。
「喜んで貰えて良かったよ。ほら、飯食おう」
「えぇ」
椅子に座ると、グラスに慣れた手つきでワインを注ぐ。
「乾杯」
グラスを合わせると、一口だけ飲んで口の中を潤わせる。
「これ、あなたが作ったのよね。すごく美味しそう」
「まぁ、レシピ見て作ったから。パンは買ったものだけど」
「ううん。シチューだけで充分よ。いただきます」
柔らかなすね肉をスプーンで切り、口に運ぶ。
デミグラスソースのコクと酸味が口のなかに広がる。
「すごく美味しい!」
「良かった。少し甘味が足りなかったかなって心配してたんだけど」
「全然、そんな事ないわ。私のより美味いと思う。きっとセンスがあるのよ」
「そうかな?じゃあ今度からはもっと料理やってみようかな」
公一は気分を良くしたらしく、嬉しそうに言いながら自身の作ったシチューを口に運んだ。
「はぁ……。お腹一杯。すごく幸せ」
食後にケーキを食べ、コーヒーを飲みながら一息吐く。
今年の誕生日は、ある意味1番嬉しかったかもしれない。
同性の友人たちと旅行し、夕食を作ってもらった。
高いフルコースも嬉しかったが、心がこもっている。
「今日は本当にありがとう。あなたの誕生日も期待していてね」
「あぁ、楽しみにしているよ」
腕を引かれて立ち上がり、唇を重ねる。ケーキの甘いクリームの味がした。
「寝室行こうか」
「うん」
抱き上げられ、寝室へ運ばれる。
肌を重ねながら、改めて今の自分がどれ程幸せであるかを改めて感じた。