15
「はぁ……気持ち悪ぃ」
代行で帰宅した公一は、人酔いと車酔いで口元を押さえ、冷たい水をがぶ飲みした。
誰もいない室内は当然真っ暗で、電気もつけずにソファに座る。
何気なく深雪からきたメッセージをもう一度読む。
淡々とした文章ではあるが、楽しんでいるのはわかった。
その後、電車の中で撮った写真や、布団が並んでいる写真が送られてきたからだ。
微笑ましく写真を見ていると、ふと気付いた。
そういえば、自分の出張などを除き、別々に夜を過ごすのは初めてだ。
「なーんてな。ガキじゃあるまいし」
ベッドで1人で寝るのかと考え、急に寂しく感じた。だがそんな事は、小学生じゃあるまいし口にする事はできない。
「明日は誕生日だもんな。一応、プレゼントも買っとくか」
楽しい時間をプレゼントにはしたが、やはり何か形に残るものも渡したい。ついでにリクエストされたケーキも引き取りに行かなければ。
「まだ早いけど……寝るか」
大きく欠伸をし、着替えて寝室へ向かう。その時スマホが鳴った。
一瞬深雪からかと思ったが、相手は恭平だった。
『帰るの早ェよ。これからは定期的に会おうぜ。せっかく親友に戻れたんだしさ』
初めは、今日だけ特別のつもりだった。だが実際に会って話をし、やはり昔馴染みの同姓と過ごすのは心地良いと改めて感じた。
名前はこのまま『K』にしておけば、万が一深雪にスマホ画面を見られても悟られる事はないだろう。
恭平に関しても、もう2度と家に上げず、妻が深雪だと知られなければ問題はないだろう。
仮にバレたとしても、もう何年も前の事だ。
今の深雪を見れば、復讐なんておかしな真似もする気がなくなるだろうと思った。
『あぁ。予定が会えばまた飲もうぜ。平日は仕事で忙しいけどな』
返事をし、冷たいベッドに潜り込む。
『じゃあ土曜はどうだ?土日なら仕事もあまり忙しくないんだよ。日曜は嫁さんの為に使えば、文句も言われねぇだろ?』
「土曜か……」
確かに、いくら夫婦でも休みの日は四六時中一緒にいる必要はない。
それにこれからは、深雪も瑞穂達との予定で家を空ける事も増えるだろう。
『土曜なら多分大丈夫だ』
『時間は21時くらいでいいか?日中は野暮用が入る可能性があるからよ』
『あぁ。わかった』
スマホをベッドサイドに置くと、目を閉じて眠りに就いた。
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今日は今までで恐らく1番楽しい誕生日だった。
帰りの電車に揺られながら、深雪は無意識に笑みを浮かべた。
あの後は女同士特有の恋愛トークになり、どんな人がタイプだとか、会社なら誰と付き合いたいかという話になった。
勿論深雪はその話に積極的に参加する事はできなかったが、優が柊に気があるとは意外だった。
彼のプライベートの事はあまり知らないが、男らしい頼れる人という印象を持っている。
もし独身なら、優と上手くいってくれればいいなと思う。
「そうだ。公一に連絡しておかなきゃ」
楽しすぎてうっかりしていた。これから帰る連絡をするのを忘れていたのだ。
スマホを取り出した時、ふと手首のブレスレットが目についた。
あの後瑞穂達とは都内のレストランでランチを一緒に食べた。
そこで誕生日プレゼントとして、このブレスレットを貰ったのだ。
女の子だけあり、デザインも深雪が好きなものだった。
好みがドンピシャで、感激してその場でつけかえてしまう程に。
「本当に可愛い……。こんな素敵なものを貰えるなんて」
女友達と旅行ができたのも、昔から考えればあり得ない。さらにプレゼントまで貰えるなんて、今年の誕生日は本当に良いことだらけだ。
うっとりとブレスレットを眺めていると、スマホのバイブレーターが鳴った。
『待ってるよ』
それは公一からだった。てっきり出掛けていると思っていた為、家にいるとは意外だった。
「ただいま」
自宅に着いたのは14時を回った位だった。
ドアを開けて靴を脱ぐと、公一が出迎えてくれた。
「おかえり」
「ただいま。お土産買ってきたわよ」
「先に着替えてきなよ。コーヒー淹れようか」
「えぇ。お願い」
荷物を置いて部屋着に着替える。リビングに戻ると、公一がタイミング良くコーヒーカップを差し出した。
「ありがとう」
ソファに座り、コーヒーを飲む。
「で、どうだった?初めての女同士の旅行は」
「勿論、とても楽しかったわ。夜は4人で布団を並べて寝たの。夜中までずっとお喋りしていたんだけど……。修学旅行みたいで楽しかった」
「そうか。それは良かった」
公一は笑みを浮かべ、紅茶を飲む。ふと、深雪の手首に視線をやった。
「そのブレスレット。前からしてたか?」
「これね、プレゼントで貰ったの!見てこれ。すごく綺麗でしょう」
ピンクと白のスワロフスキーがあしらわれており、光に当たるとキラキラと輝く。
連結部分には、深雪の名前の頭文字のチャームまでついている。
「へぇ。プレゼントまで貰ったのか」
「そうなの。あ、そういえば公一にもお礼を言わなきゃ。ありがとう。瑞穂さんに頼んでくれたんでしょう?」
「えっ。なんで知ってるんだ?」
「瑞穂さんが教えてくれたの。私の誕生日の事、そんなに真剣に考えてくれてたなんて……。すごく嬉しかったわ」
「あ、あぁ」
呟くと、公一はバツが悪そうな表情を浮かべた。どうやら瑞穂に頼んだことを知られたくなかったらしい。
「私はすごく嬉しかったのよ。公一が私の為に、わざわざ瑞穂さんに相談までしてくれて」
「それはそうなんだけどさ。まさかバラされるなんて思ってなくて」
あの感じだと、瑞穂はつい口を滑らせただけだろう。しかし公一の様子から、後から瑞穂を叱りつけかねないと思った。
そんな事になったら、瑞穂達にも申し訳ない。
それにもう1つ気になることもある。
せっかくのチャンスだ。
まとめてお願いしてみようと、甘えた声を出しながらすり寄る。
「ねぇ」
「なに?どうしたんだよ急に」
公一は小さく笑い、腰に腕を回した。
「お願いだから、瑞穂さんを叱ったりしないでね。わざと私に言ったわけじゃないのよ。それに、教えてもらえたから、公一がこんなに私の事を考えてくれていたんだってわかったんだもの」
じっと上目遣いで見上げると、僅かに赤くなりながら「わかった」と呟いた。
「ありがとう。あともう1つお願いがあるの」
「なに?」
「みんなの事、あまり強く叱ったりしないで欲しい」
「……」
色々身に覚えがあるらしく、公一の顔が強ばった。
「公一が社長として頑張ってる事も、社長らしく振る舞おうとしているのも知ってる。でも、怖くある必要はないのよ。あなたは本当は、優しい人なんだから」
脚の間に体を滑り込ませ、肩に頭を乗せる。
「でも部下がミスをしたら叱らないとならないんだよ」
「それはわかっているわ。でも怒鳴る必要はないでしょう?社長の時の公一は、私でも怖かったもの」
「まさか」
小さく笑う。たったそれだけだが、何を思ってそう言ったのかはわかっている。
きっとこう思ったのだろう。
お前が怖いなんて思うはずがないと。
「本当よ。男の人に怒鳴られると怖いと思うのよ。叱るのは構わないわ。だけど怒鳴るのはやめて……お願い」
耳元に唇を近付け、囁く。
公一は深い息を吐くと「わかったよ」と答えた。
「本当?嬉しいっ。約束よ」
「約束するよ。まぁ、確かに怒鳴るだけが叱責じゃないもんな……。これからは気を付ける。だから──」
胸元に手を寄せられ、逃げるように立ち上がる。
雰囲気を作ったのは自分だが、今はそんな気分ではない。
「今日、洗濯した?」
「え?いや、まだだけど」
「確か少し溜まっていたはずよね。私やってくる。あなたはゆっくり休んでいてね。あ、これお土産」
旅館オリジナルのお菓子を渡すと、旅行の荷物を持って脱衣所へ向かう。
「もう、また脱ぎっぱなしで」
洗濯かごには、昨日脱いだと思われるワイシャツやスーツが放り込まれていた。
ワイシャツはまだしも、スーツはちゃんとハンガーにかけて欲しいと何度も言っているのに。
「このままじゃいつか、洗濯機で洗っちゃうわよ」
さすがに洗濯はできないが、そろそろクリーニングに出した方が良いかもしれない。
ポケットを探っていると、指先に紙切れが触れた。
「何かしら」
どうやら名刺らしい。
ビジネス用とは思えない派手なデザインで、『姫乃』と『凛音』と書かれている。
恐らくキャバクラの名刺だろう。
「ねぇ」
名刺を持ってリビングへ戻る。
公一はお預けを食らったのが気に入らないのか、不貞腐れた様な表情でテレビを見ていた。
「脱衣所にあったスーツ、クリーニングに出して良い?」
「あぁ。良いよ」
「ポケットにこれが入ってたんだけど」
「?」
振り向き、深雪の手にある名刺を見た瞬間、公一の顔色が変わった。
「そ、それどこに!?」
「だから、スーツのポケットよ。昨日、キャバクラに行ったの?」
これはキャバクラの名刺よねと問うと、公一は慌てふためきながら立ち上がった。
「そ、それは昨日……友達に誘われて仕方なく行っただけなんだ!ただちょっと話をして酒を飲んだだけで……。連絡もしてないし、捨てようと思ってたんだ!」
「ちょっとどうしたのよ。そんなに慌てて」
まだ怒ってもいないのに慌てふためく様子が面白い。
「いや、だって……。キレられるかと」
「風俗なら未だしもキャバクラくらいで。これ、いらないなら捨てても良い?」
「あ、あぁ」
公一は怒られなかったのが意外だと言わんばかりの表情を浮かべている。
確かに浮気なら許せないが、相手はプロだ。
キャバクラは行った事がない為わからないが、若い女の子が隣に座り、お喋りをしたり酒を作ったりするだけだろう。
そこからハマってしまえば厄介だが、公一の様子を見るとそんな気はしない。
何より夜の店なんて、接待で行き慣れているだろう。
名刺を破ってゴミ箱に捨て、スーツをクリーニング用によける。
ついでに掃除もしようかなと収納の扉を開くと、公一が恐る恐る声をかけてきた。
「本当に怒ってないよな?」
「怒ってないわよ。そんな風に見えるの?」
苦笑いを浮かべ、邪魔な髪をまとめる。
「いや、見えないけど……」
「よくもキャバクラなんかに行ったなって殴られたかったの?あなたってマゾなのかしら」
お望みならばそうしても良いが、どちらにせよ今は気分ではない。
ワイパーをつけて床を滑らせる。
「掃除までしなくても。今日は誕生日なんだから、ゆっくりしていろよ」
「動いてる方が落ち着くのよ。そうだ。あとで車出してくれる?買い物に行かなきゃ」
「あぁ、その事なんだけどさ。今日は俺が夕飯を作るよ」
「え?公一が?料理なんてできるの?」
「ひどいな。昔はよく作っていただろ?」
確かに同棲時代は簡単なレトルトなどで料理をしてくれた事はあったが、結婚後は今まで1度もない。
「俺だって一応、独り暮らしの経験はあるんだ。料理位作れるんだぞ」
「へぇ。知らなかったわ。何を作ってくれるの?」
「ビーフシチュー。好きだろ?」
「勿論好きだけど……本当に大丈夫?」
どうやって作るつもりなのかはわからないが、いきなり難易度が高過ぎではないか。
しかし余程自信があるのか、得意気に笑う。
「もう下拵えはしてあるからな。すごい美味いやつを作ってやるよ」
「楽しみね」
部屋を一通り掃除し終えたタイミングで洗濯機が鳴り、かごを持って脱衣所へ向かった。




