紅梅の章2 筆頭の矜持
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紅梅の章2 筆頭の矜持
「約束したろう? 白。牡丹楼を、花王街一、蕭洛一の妓楼にする為の助力は惜しまないって」
この改築も、必ずやその為の布石となる。
――その先に在る、救いの為にも。
「……白とお呼びでないよ。今の私は楼主様なんだからね」
敬え、と言外に叱責するも、意味が無いのは白梅――葛音も承知の上だ。
歓楽街の典夜町の中でも、特に格式の高い花王街。
新興の一妓楼に過ぎなかった牡丹楼を、初代筆頭妓女白梅が、典夜町一にまで押し上げて、早二十年。
現在まで、最上階に君臨する者は、かつて白梅と呼ばれ、今は紅梅と呼ばれる、梅を冠した筆頭妓女のみである。
更には牡丹楼を、早くも花王街一の呼び声高い処にまで引き上げ、その座を名実共に確かなものにしようと、あらゆる力を尽くしているのが紅梅なのだ。
白梅――葛音の昔を知られている者でもあり、楼主の権を振り翳しても、良くて対等の仲間の位置にしか付けぬ相手なのだった。
軽侮の眼差しを、陰口で貶めんとする、ここには居ない敵――商売敵へ向けるかの様に虚空に放つと、傲岸な口調で言い放つ。
「猿真似でも、やれるものならやってみればいいのさ。出来ないから、悔しくて、牡丹楼の悪評を垂れ流してるんだろ。はん、痛くも痒くもないさね」
この傲慢さ、自信、覇気。
それ等を裏付ける確固たるものが在ると、それが、それこそが矜持。
階下の、紅梅を姐と慕う後輩達に、挙って整えられた姿には、たとえ客の引いた一時の寛いだ姿であろうとも、その美には一分の隙も無い。
と、それまで賑やかな鑿と木槌の合奏を背後に、各階各種の音色の多重奏に耳を傾けつつ、図面に見入っていた花の顔を、紅梅は不意に顰めた。
図面に書き込まれた指示を追っていた春笋で、畳を、とん、と突く。
形良く整えられ、磨かれ、鮮やかに染め上げられた爪の紅色が、曙光の様に閃いた。
「――歌代」
「あん? ……ああ、今、唄の稽古をしているところだね。相変わらず良いこ……ん?」
葛音も気付いた。顔を歪ませる。
「何だい、酷いね。声は良いんだが……調子、じゃないね。これは……」
「ああ。音も外れている訳じゃないし、律も狂っていないのに」
一定の拍子を刻むかの如き大工仕事の音に、不協和音と言っても褒め過ぎな如き。
敢えて言葉にするなら、情感。
表現は悪いかもしれぬが、まるで、気違いが正しい音程と調子で歌っているかの様な、声に狂気が込められているかの様な――。
刹那の、悪寒が。
「……稽古とは言え、あんなのを垂れ流されたんじゃ、牡丹楼の沽券に係わるよ。昨日の酒が残ってるとでも言うのかね。何で誰も止めないんだい」
歌代は、牡丹楼の格付けで言うなら、中の中から中の上、と言った辺り。
他の妓楼との柵やら何やらで、借金ごと牡丹楼が引き受けたのだ。
年季明けまで間も無くと言う事で、残りの借金の額が然程でもなかった事と、取りたてて美人でも、妓女らしい官能的な肢体の持ち主と言う訳でもないが、名の通りの良い声で、客が付いていた事もあった。一芸を買われたとも言える。
牡丹楼の妓女には珍しく、生え抜きではない――つまり、他の妓女の様に、紅梅の恩を受けていない。
紅梅の事情を知る女達も弁えたもので、妙な仲間意識、裏を返せば疎外感等を感じさせぬ様に心配りをしている為、新参者に有りがちな爪弾き等は起こっていない。
仮に水面下に潜んでいたとしても、それ等の軋轢や確執を巧みに捌くのも筆頭妓女の腕の見せ所であり、慕われる所以でもある。
各人の咽喉の調子まで聞き分けるのも、紅梅なればこそ、だ。
無論、葛音の昔取った杵柄も健在である。
葛音が手を打って、手空きの者に下の様子を見に行かせている間に、紅梅は重厚な蒔絵の文机に向かうと、さらさらと料紙に見事な手蹟で筆を走らせた。
適当に手近に有った料紙を使った様に見えるが、抑もが、筆頭妓女の文机の文箱に、適当な紙など備えられている筈もない。
今も、文を認めた薄様は色鳥の子。それを、ところどころ桜の紋様で抜いた一品で、流麗な文字に婀娜を滲ませても品が落ちない高級紙である。
因みに、余談ながら、天下の美妓紅梅ご愛用の品と人伝に聞いた紙問屋の若旦那が、抜いた桜の紋様部分を縁だけ紅く染めた梅柄で職人に作らせたところ、これが紅梅人気にも肖って永続的、爆発的な人気商品となった、と言うのはまた後日の話である。
更に、その儲けで初めて牡丹楼に登楼出来た、と言うのも、また別の話である……。
「誰か、これを玉城屋のご隠居に、今夜一席、と」
これに難色を示したのは楼主様である。
「お待ちよ。それなら昨日無下にした上総屋の……」
「良いんだよ、上総屋の旦那は、そーゆーのがお好きなんだから。それより、寿弥に舞の準備を。玉城屋のご隠居は、前に寿弥が、一番末の孫娘に似ているって、気に掛けていたようだったから」
筆頭妓女よ、格式一よ、と踏ん反り返っていたところで、畢竟、客商売。
お客様の機嫌を損ね、そっぽを向かれたら、あっと言う間に悪評が立ち、閑古鳥が啼くのはこちらである。
店構えで虚勢を張り、酒肴で諂い、女達の嬌声で歓心を得る。
遜って言うなら、そういう事なのだ。
にも拘らず、「気が乗らぬ」のみで理由も告げず、支援者(崇拝者?)との席を足蹴にし、詫びの一言も無い妓女を、「それが紅梅」と、気分を害するどころか、いくら嗜好がそーゆーのだからって、傲慢さを喜ぶ常連達。崇拝者扱いされる訳である。
時代が違う、とか、そういう事ではない、と、楼主として、且つ、昔の苦労を知る身としては、恨み節の一つも言いたくなるところである。
尤も、言ったところで、目の前の御仁は意に介しもしないのだが。
全く、と、舌打ちでもしたそうなかつての筆頭に、紅梅はやはりと言うべきか、反省の色等皆無な一瞥をくれただけだった。
代わりに意識を向けたのは、庭の奥。
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
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