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星を掴む花  作者: 宮湖
紅梅の章

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紅梅の章3 火種の有無

不定期更新ではございますが、宜しければお付き合い下さい。

 紅梅の章3 火種の有無

 


 開店当初に設けられた上客専用の湯屋は、採算が取れぬと直ぐに閉鎖された儘、葛音の代まで放置されていた。


 数年前、楼主の座に納まった葛音は、放ったらかしだったそれを牡丹楼の女――妓女だけでなく、下働きも含めて――専用に改築しようとしたのだが、実はここにも狐火の影響が及んでいた。


 自分の屋敷だ、敷地内だ、との言い分は最早通らず、今や、好き勝手な増改築はご法度の時代と相成り、火を扱う場所には例外なく、市松(お上)申請()が必要になっていたのである。


 しかも、審査は五月蠅い……煩わし……重箱の隅を楊枝でほじ……厳正で、湯屋を改築したい、はい、どうぞ、とは問屋が卸さなくなっていたのだ。

 ()()()()()()によくある、横行する袖の下も通じなかったのは、二十年経った今でさえ、狐火の記憶が未だ鮮明である証左だろう。

 それも、悪い意味で。


 国内の被害総額は当時の蕭洛の年間予算額を上回り、他国も合わせれば天文学的数字になると言われる庚真こうしん二年の狐火の害は、数に表れぬ処に、より濃く、深く、昏い影響を及ぼしていた。


 凶刃と、放火による直接の死者数は、蕭洛のみでも百五十人に迫る。

 それだけでも震駭させる話だが、更に戦慄を齎すのは、各方面に附随する数だ。


 焼失面積、全焼した軒数、半壊ならば軽く千を超える。

 軽度も含めれば負傷者数は万に及び、焼け出され、家を失った者の数は言うに及ばず。

 親を失った災害孤児は、市松が把握しているだけでも三万弱。伴侶、親兄弟等の家族を失った、所謂『狐火遺族』は六万に達すると、当時の統計は語る。


 生活の基盤を奪われ蕭洛を去った者、死者、混乱の中で戸籍から外れた者……人生を狂わされ、その後の生活を変えねばならなかった者達の、なんと多い事か。

 一都市の人口が、たった一つの犯罪者集団に依って、何と一割強を減じたのだ。


 勿論、最も憎むべきは凶賊狐火であるのだが、市松の内の方々は、これを痛い教訓とした。

 官衙と大通り、大路の他は、繁栄と言う名の拡大に任せて放置した事を潔く認め、各所の規制に乗り出したのだ。

 特に防火・防災面へは強硬とも言える政策を執った。


 民に身近な処では、どんな細い小路でも、一定の間隔で、天水桶が備えられるようになった。溝板長屋で場所が無ければ、大家が庭を削ってでも設置せよと厳命された。

 既存の家屋を移築、或いは転居させ破壊してまで、火除け地――これは、災害時には避難所、炊き出しやお救い小屋の場にもなる――が設けられた。


 類焼被害を少しでも減らそうと、庶民には高嶺の花の瓦屋根の助成金制度も設立された。

 新築、改築を問わず、普請の際には桐水に申請が義務付けられ、水場と厨の位置関係から、周辺の火除け地までの距離、薪の保管、万一の火災の際の避難経路・方法等々、確認項目は細部、多岐に渡り、厳しく検められた。法整備がされたのだ。

 余程狐火事件が堪えた、と言う事だろう。


 刑法も見直され、刑事罰も火付けに関しては厳罰化された。

 情状酌量の余地無く、火付けは基本、死罪。

 火刑である。


 先に牡丹楼の湯屋を直した際も、当然の如く、消防の観点から紅黒が立ち入り検査に訪れていた。

 その時臨検に乗り込んできた紅黒は、そこそこ若いながら仕事には真摯な男だった。今の清竹とは大違いである。

 上司に阿って出世する性分ではないが、今頃は若手の纏め役位にはなっているだろう。

 歳は……三十路に達したか。確か、所帯を持って直ぐに妻を亡くし、以来、子も無いまま男鰥夫と聞いている。


 昨夜の情報収集を、さて、どうしたものかと倦ねた時、ふと浮かんだ湯屋から芋蔓式に想起されたのだが。


 十中八九、昨夜の騒動については緘口令が敷かれている筈だ。

 完全なる清竹の失策だからだ。

 否、そればかりか。


――失態よりも更に性質(たち)の悪い事態も。


 ()()は、隣人の噂話や悪評を好んで集める風ではなさそうだが、どうせ周囲が喧しく囀っている事だろう。


――犬猿の仲程、得る話も有るやもしれぬ。


 自室からは見えぬ湯屋へ麗しい眼差しをやった紅梅は、次いで、己が繊手の、妹芸妓達が綺麗に仕上げてくれた爪を、暫く眺めた。


――以前に繋ぎをしたのは、確か。


 徐に、言う。


「それと、(こう)を出すよ」

「煌まで! 一体、何をそんなに……」


 そこで、何かに気付いたか様に、葛音は一旦言葉を切ると、全盛期を彷彿とさせる眼差しで、紅梅を見据えた。


「……都で、一体、今度は何が起こると考えているんだい」


 紅梅は、嫣然と笑う。


 葛音のこの明敏さよ、と。


 狐火を経験した者の、勘、と言うにはあまりにも。


 あの地獄の業火から二十年。灰となった家屋、最後の一軒が立て直されたのは何時だったか。つい昨日の様な気もするが。

 

 何の(ゆかり)も無い家だったにも拘らず、葛音が棟上げを遠くから見守っていた事を、紅梅は知っている。

 他にも居た。


 あの地獄を知る者は、皆、そうやって、灰しか残らぬが如き惨禍から立ち上がる姿を、目に焼き付けてきたのだ。


 復興成る周囲を己に映す様にして、血が止まらず、爛れ、膿む、心の傷を、喪失感を、哀惜を、瞋恚を、絶望を、宥めて、堪えて、埋める様に、生きてきたのだ。


 今の葛音の姿は、そうやって立ち上がり、立ち直ってきた者達の総代。

 だから。

 眼差しには、はぐらかす事を赦さない強さが有る。


「――白。あたしは、正義の味方じゃあない」


 確かに、起きつつある……起きている。


 異変が。


 燻り始めた、火種が有る。


「弱きを助け、強きを挫く柄でもない」


 出来るのは、ただ、降り掛かる火の粉を払う事だけ。


 牡丹楼(ここ)を最期と思い定めた女達の、僅かな助勢となる事だけ。


 何を察したか、降り掛かる火の粉、の一言に、葛音は一瞬表情を消すと、鸚鵡返しに小さく呟いた。


「ああ、そうだよ。だから、その為に」


 その為に、牡丹楼を護る。


 ここを(よすが)とする者の為に、全力を尽くす。


 それ以上は今は語るべき時ではないと、艶麗たる笑みで告げる紅梅に、葛音は嘆息で納得を示した。


「……だから、白とお呼びじゃないよ」


 まさか、約三十年後、自分が紅梅を紅と呼び、彼女からその名で呼ぶなとの遣り取りをするとは思ってもいない事である。


 紅梅も、まさかに予知している訳でもなかろうが、ふふふ、と艶やかな笑みを零す。


 どこまでも艶やかな笑みを。


 それは、遊女の単なる嬌笑に非ず。


 独立不羈の誇りを胸に、戦場へ向かう(つわもの)の如く。


 これまでに得た、培った、養った、全てを糧にして、強さを麗姿に変えて、味わった苦痛を姸に隠して、孤高も望むところと立つその麗容を、苦境に在る女達は慕う。


 凄艶ですらある姿に、傅く。


 そしてそれは、女のみに非ず。


 紅梅の覇気と妖艶さは表裏一体。

 一体その事に、どれだけの男が気付いている事か。


 女達は、容易に察する。

 悟る。

 故に、尊敬し、憧憬する。

 敬愛の念を抱く。

 忠義すら尽くそうとする。


 一方で、男は。

 気付いた者が崇拝者となったのか、気付かぬ者が籠絡されたのか。

 僅かでも、紅梅の真の姿に、平伏す者はいるのだけれど。


――総てを知る者は、未だ、現れず。


「……さぁて、何が出るやら」


 俗に、鬼が出るか蛇が出るか、と言うけれど。


 鬼も、蛇に身を変えた何かも、畢竟、人の内に今か今かと息を潜めている事を、牡丹楼の女達は、身に染みて、良く知っている。


 思い知って、他に手が無くて、助けてくれろと縋った場所。

 救いを求めて掴んだ手。

 それは、余りにも、細く、白く。

 だが、助けられた瞬間から、その繊手がこの世で最も美しく、且つ、力強い守護者のものだと、女達は知るのだ。

 そして、自分が与えられた救いの、同等は無理だとしても、僅かなりとも返そうと、力を尽くす。

 恩を返す。


 一方で、腕を差し伸べた繊手の主も、女達の想いに応えようと、持てる力の全てを揮う事に、一切の躊躇が無い。


――牡丹楼(ここ)を護る。永劫は不可能でも、自分の力が及ぶ限りは盤石な、不幸な者達の拠り所()にする。


 その為には万難を排す。

 敵は、潰す。


 だから。


 筆頭の矜持を艶やかな紅唇に刷いて、莞爾となって嘯いた。


「でも、何が出るにしても、小五月蠅い蝿共は、纏めて叩き落しておいた方が、後顧の憂いが無いってもんだろうよ」








お読みいただき有り難うございます。

ご感想等ありましたら是非お願いします。励みになります。★★★★★の評価も頂けるとなお一層有難いです。


全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、


竜の花 鳳の翼

天に刃向かう月


も、ご覧下さると嬉しいです。









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