私の本当の名前
新月の今日。いよいよ日本に還る事になった。
数ヵ月居ただけの世界だけど、もっと長く居たような気がする。
魔法陣を発動させるのは深夜。その時が送還するのに一番良い時間なのだそうだ。陣頭指揮を取ったのはセオ王子。余裕そうな顔をしていて分からなかったけれど、かなり頑張ってくれたみたいだ。
本当にありがとうございます。血を飲まれた位我慢するレベルだな…反省。
私を還らせる為に、沢山の人達の力が必要だったみたいで、準備を終えた魔法使いさん達はセオ王子の配慮で、魔法研究所の客室で休んでいるらしい。
もう陣も出来上がっているし、必要な魔力量も足りているから後はセオ王子と数人の魔法使いが居れば術を発動させられるとの事だった。
残り僅かな時間を惜しむようにアルは私を離さなかった。
特に何も話さず、ただ優しく抱きしめられながら、時折甘く口付けられる。それが嬉しくて、私はアルの胸に頭をもたれさせていた。
「そういえば、ずっと聞きたかった事があります」
「なんだ?」
優しく問われて、アルを見つめる。
「どうして私を好きになってくれたんですか?」
絶世の美女でもなく、日本人特有の黒髪に黒目(焦げ茶色だが)、大して印象に残るような容姿ではない。
印象に残るとすれば、魔物を一人で殺戮した位…だろうか。言っていて虚しくなってくる。
「気が付いたらミナを目で追っていたな…」
私の髪を触りながら言うと、「気が付いたら好きになっていた。理由とかない。今では好きすぎてお前以外見えない」と、耳元で囁かれる。
うぉ!?破壊力抜群すぎます。
「そういうミナこそ、俺の何処がいいんだ?」
「私も気が付いたら好きになっていました」
私の返答にアルもくすくすと笑う。
好きになるのに、理屈とか理由とかないのかもしれない。心が、体がその人を求める――…ただそれだけの事。
だからセオ王子が私の血を求めるのもそれだけの事――…なのかもしれない。
「ねぇアル…一つ貴方に言わなくてはならない事があるのです」
抱きしめられた体を少し離して、アルの瞳を見つめる。何も言わずにアルも私を見つめ返す。
「私の本当の名前は葵…水無月葵が本当の名前です」
「アオイ…」
「はい。アオイが名前でミナヅキが姓になります」
「アオイ…」アルが呟くと、心臓が跳ねるような気がした。そして、今までよりも早鐘を打っているのが分かる。
「それはミナの…いや、アオイの真名なのか?」
「真名?」
私が首を傾げると、アルが真名について簡単に説明をしてくれた。
真名とは、こちらの世界に生きる人々ならば誰もが持つ自身を護る護り名で、これを知るのは両親と、自分が本当に認めた相手や、自分が一生涯を捧げると決めた相手だけらしい。
護り名と言っても、それ自体に魔術とかが宿っている訳ではなく、知られても危害を加える事は出来ないが、それを伝えた相手を自分は信頼し、命を懸けるに相応しい相手だと認めた事になるらしい。
「えっと…そんな大層な物ではないのですが」
日本人ならば姓と名を伝えるのは至って普通なのだが、こちらの世界では全く別の意味に捉えられるらしい。
「アオイ…」
あぁ、でも魔力はあるのかもしれない。その証拠にアルが私の名前を呼ぶ度に、体が熱くなって嬉しくて恥ずかしくて、でももっと呼んでほしくて――。
「アオイの真名を知るのは他に居るのか?」
こちらの世界でならば、アル以外には教えてはいない。私が首を横に振ると、嬉しそうにキスをされた。
「アオイにも俺の真名を知ってほしい」
「アル…いいの?私は元の世界に帰るんですよ」
「それでも知ってほしい。アオイに俺の真名を覚えていてほしい。俺が心から愛して、死が別つまでを共に過ごしたいと願ったのはアオイだけだから」
アルの言葉に、ぎゅっと自分から抱きつく。
「俺の真名はアルバートレイヴンクロスラングエッジチェスター=フォーテンビス=ロックエッジ」
「アルバート…レイヴン…く?く?」
長すぎて覚えられん。
そそくさとアルから離れ、異世界に飛ばされた時に一緒に持っていた鞄の中からルーズリーフの紙とペンを取り出すと、アルに渡す。
「ちょっと長すぎて何を言っているのか分からなかったので、書いてもらってもいいですか?」
苦笑しながらもサラサラと書き付けてくれる。ごめんなさい…。これって相当失礼極まりないですよね。
書き終えた紙を受けとると綺麗な文字で書かれていた。しかし、長すぎて言っている途中で絶対に噛むな。そして真名を覚えられる人は居ないであろうと確信する。
「その紙とペンいいな」
一人でブツブツと呟いているとアルが口を開く。確かに、こちらの世界よりも上質の物かもしれない。
「アルにプレゼントします」
どうぞと渡すと嬉しそうに受け取られた。これを見て、私の事をたまにでもいいから思い出してくれるといいな。
◇◇
空が漆黒で覆われる中、送還の儀が始まる。
送還魔法を発動させる魔法陣のある神殿にアルと行くと、そこには既に準備を終えたセオ王子と魔法使いの皆さんがいらっしゃった。
あ!?ウラディミールさんも居る。小さく手を振ってるし。
「ミナ、心の準備はいい?」
セオ王子に言われて、静かに頷く。
「セオ王子、還る前にこれを受け取って下さい」
言うと、三つの小さな小瓶に詰められた赤い血を渡す。
「ミナ…これ」
「セオ王子言ったでしょう。小瓶に血を容れてくれって。今回の送還魔法のお礼と、今までのお礼を兼ねて受け取って下さい。他の二つはウラディミールさんと、送還魔法に尽力して下さった皆様に…」
言うが早いか、後ろの方に居た魔法使いさん達から喝采を浴びた。皆赤い血が欲しかったのか。
こっそりとアルを見ると不機嫌そうな顔をしているが、見なかった事にしよう。
「じゃあ始めるよ」
セオ王子の言葉に神殿に静寂が走る。私は指示された魔法陣まで進むと、ゆっくりと目を閉じて心を落ち着ける。
「………」
「―――」
セオ王子と魔法使いの人達が聞き慣れない言葉を紡いでいくと、辺りに不思議な空気の流れを感じる。
あぁ、向こうの世界に戻るんだ。
そう理解した途端、私は目を開いていた。視界の先にはアルの姿があった。じっとこちらを見つめるアル。
「大好きですアルバート!」
その言葉を最後に私の視界は白一色に塗り込まれていた――…




