【第八十六話】 第九隊参戦
死線。
黒い霧を纏ったカイルの刃が、ウエスの首元へと一直線に振り下ろされる。
侵食によって冷たく痺れ切ったウエスの両腕は、もはや剣を掲げる速度すら保てない。視界の端から黒い冷気がじわじわと広がり、死の影が網膜を焼き切ろうとしていた。
その、瞬間だった。
ドガンッ!!
暗闇を叩き割るような爆音と共に、横合いから割り込んだ重厚な鋼鉄の大盾が、カイルの刃を正面から受け止めた。
ドレイクだ。
極限まで高められた衝撃吸収の体勢。それでも閃光と激しい火花が飛び散り、あまりの衝撃にドレイクの巨体が石畳を数メートル削りながら後方へ滑る。
「……重い」
ドレイクの短い呻き。
最小限の言葉から、カイルの常軌を逸した筋力がはっきりと伝わってくる。
「隊長、下がってください!」
間髪入れず、ユアンの鋭い槍撃がカイルの喉元を突く。
カイルは首をわずかに傾けて槍先をかわすと、黒霧を纏った剣の腹で槍身を荒々しく弾き飛ばした。だが、その一瞬の隙を見逃さず、ガレンがウエスの身体を力任せに引き寄せる。
「隊長! 大丈夫ですか!?」
「……ガレン……みんな……ダメだ、間合いに入るな……! 奴の黒霧は……体に触れるだけで、感覚を……奪う……!」
荒い息を吐きながら叫ぶウエスの腕は、黒紫色の不気味な紋様のように霧が絡みつき、指先まで青白く凍りついていた。
「侵食……!? くそっ、なんて力だ……!」
ウエスを後方へ逃がし、第九隊の面々は即座にカイルを取り囲む陣形を展開した。
緊張が糸のように張り詰める。
ミレイユが瞳を凝らし、瞬時にカイルの魔力波長を解析した。
「……違います! 先ほどの黒霧狼とは違う……! 魔力を吸収・無効化する性質はありません! こちらの攻撃も、魔法も……すべて通じます!」
ミレイユの叫び声に、リアナの表情に一瞬の光明が差し込む。
「魔法が……通じるのね!? なら――押し潰す!!」
リアナが杖を構え、黒霧狼戦で見せた『魔力を乗せない純粋な風』ではなく、自らの限界まで練り上げた高密度の魔力を一気に解放した。
杖の先から放たれた圧縮された真空の刃が、咆哮を上げてカイルへと襲いかかる。本来なら分厚い鉄甲羅すら一刀両断するほどの威力を秘めた風の奔流。
だが――。
ガッ!!
カイルは避ける素振りすら見せず、黒霧を纏わせた大剣を一閃させた。
それだけで、リアナの渾身の風魔法が真正面から両断され、ただの爆風となって霧散する。
「な……!? 魔法を……力ずくで斬った……!?」
「次は私です!」
ミレイユが即座に地脈へ魔力を流し込む。
カイルの足元の岩盤が急激に隆起し、鋭利な岩の槍となって群生するように下から突き出た。確実に体を穿つタイミング。しかし、カイルは跳躍すらしない。
突き上がった岩の槍をそのまま真っ向から踏みつけ、己の怪力と凄まじい脚力だけで石の穂先を粉々に砕きながら、一直線に迫ってきた。
「甘いんだよ、英雄様の金魚糞がッ!」
「疾ッ!!」
正面から迎撃に出たのはユアンだ。
長槍のリーチを活かし、目にも留まらぬ速度で鋭い三連突きを繰り出す。
ガガガンッ!
硬質な金属音が連続して響く。だが、カイルの剣閃はそのすべてを完璧に弾き返していた。それどころか、反動で腕が痺れたユアンの隙を突き、死角からの不気味な蹴りがユアンの腹部を捉える。
「ガハッ……!?」
「ユアン!!」
吹っ飛ぶユアンをカバーするように、ガレンが大剣を上段に構えて躍り出た。
「オラァァァッ!! 叩き潰されろぉッ!!」
全身の筋力を叩き込んだ、渾身の大上段叩きつけ。
大気が悲鳴を上げるほどの重撃。
ガギィィィィンッッ!!!
地下神殿の床が粉々に破砕し、空間全体に衝撃波が吹き荒れる。
だが――ガレンの表情が凍りついた。
(止ま……って……ねぇ……!?)
カイルは、片腕の剣だけでガレンの渾身の重撃を受け止めていた。
膝一つ折れていない。黒い瞳には何の感情もなく、ただ冷酷な殺意だけが揺らめいている。
「消えろ」
「ぐあぁッ!?」
カイルが腕を振り払うだけで、ガレンの巨体が軽々と弾き飛ばされ、壁の崩落跡へと激突した。
ドレイクが即座に大盾を構えて立ちふさがるが、カイルが放つ凄まじい威圧感と、全身から溢れ出る黒霧の圧迫感に冷や汗が流れる。
「……バケモノめ……! 魔法も、剣も、攻撃は全部『通って』いるってのに……!」
誰も手を抜いていない。
魔法も、物理攻撃も、各自がこれまで培ってきた「個」の全力の攻撃を間違いなく叩き込んだのだ。黒霧狼の時のように攻撃が無効化されたわけでもない。
それなのに――かすり傷一つ負わせることができない。
圧倒的な武力、常軌を逸した肉体スペック、そして容赦のない殺意。
個々の全力攻撃では、カイルという絶望の壁を止めることすら叶わないという現実が、容赦なく第九隊の全員へ突きつけられていた。
「ウエス……殺す……ウエス……」
ガレンたちに見向きもせず、カイルの濁った瞳は再び、肩を呼吸で大きく揺らしながら倒れ込むウエスだけをじっと見つめている。
「嘘だろ……一人ずつ叩き込んでも……ビクともしないなんて……!」
リアナの声が震える。
圧倒的な「個」の暴力の前に、第九隊は息をのむことしかできなかった。




