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辺境の元英雄と光の癒し手 -共鳴の絆-  作者: もちすけ34


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【第八十話】 深淵の番人

「行くぞ!」

 ウエスの声を合図に、前衛の三人が同時に踏み込んだ。

 ウエスの極限まで無駄を削ぎ落とした斬撃。

 ドレイクの間合いを詰める重厚な盾打ち。

 ユアンの目にも留まらぬ鋭い槍の突き。

 三方向からの完璧な連動。

 白刃が、盾が、穂先が、確かに黒霧狼の身体を切り裂き、叩き潰し、貫いた――はずだった。

 だが。

 手応えがない。

 斬った部分が煙のように霧散する。

 叩いた部分が揺らめき、霧へと変わる。

 突いた部分が何事もなかったかのように穿たれる。

 そして、形を保ったままゆらりと揺れていた。

 ユアンが槍を構え直したまま、戦慄する。

「……効いてない……!?」

 ドレイクも盾を深く構え、歯を食いしばる。

「物理が通らんのか……!」

 その時だった。

 ゆらめく黒霧狼の胸部の奥深くで――チリッ、と小さな黒い光が点滅した。

 前線で刃を交えていたウエスだけが、その一瞬を見逃さなかった。

(今の光……黒霧が“戻る場所”がある)

 散り散りになったはずの黒霧が、その光へ吸い込まれるように一斉に集まり、瞬く間に狼の形が再構築されていく。

 ウエスは確信する。

(核……あれが中心だ)

「なら、これでどうだッ!!」

 ガレンが宙を舞い、大剣から激しい炎撃を叩き込む。

 極高熱の刃が黒霧狼の前脚を焼き飛ばした。

 しかし――。

 じゅううっ、という怪異な音と共に、残った炎の残滓が黒霧の奥へと吸い込まれるように沈んでいく。

「……炎が沈む……!?」

 ガレンが目を見開く。

「風よ!」

 リアナが杖を掲げ、圧縮した風刃を撃ち出した。

 風刃は鮮やかに狼の胴体を切り裂く。

 だが、飛散した黒霧は空散することなく、周囲の霧に吸い寄せられるように元へと戻っていく。

「散ったのに……戻ってる……!?」

「逃がしません!」

 ミレイユが杖を突き立てた。

 地面が隆起し、巨大な岩脈が黒霧狼の胴体を押し潰す。

 だが、土魔法を構成していた魔力が、黒霧に奪われるように消えていく。

 次の瞬間、ミレイユの抱える魔導計測器が狂ったように赤く点滅した。

 ピピピピピッ!

「……魔力を……吸っています……!」

 ミレイユの悲鳴に近い声が響いた。

「攻撃の魔力を奪って、自分の形を維持してる……!」

 ガレンが顔を歪める。

「じゃあ、どれだけ斬っても、燃やしても……!」

「意味がありません! 黒霧がある限り、何度でも形を作り直せます!」

 全員の顔に、愕然とした色が広がった。

 ガレンが再び炎を叩き込む。

 リアナが風を放つ。

 ミレイユが土魔法を叩きつける。

 だが、結果は同じだった。

 放った攻撃の魔力はすべて黒霧へと吸収され、異形の糧となり、瞬時に再構築される。

 攻めれば攻めるほど、相手を強固にしているに等しい。

 ドレイクの大盾にはさらに激しい亀裂が走り、

 槍を突き続けたユアンの呼吸は荒くなり、

 魔法を連発したリアナの魔力は底を突きかけていた。

 疲弊していく第九隊に対し、黒霧狼は傷一つ負っていない。

(……このままじゃ全滅する)

 ウエスの脳裏に冷たい現実が突きつけられた。

「隊長! 押し切れねぇ!」

 ガレンが叫ぶ。

「このままじゃ保たん!」

 ドレイクが盾で衝撃を耐えながら叫ぶ。

「撤退を……!」

 リアナの膝が揺れていた。

 ウエスは一秒の猶予も置かず、言い放った。

「撤退する」

 全員が一瞬、目を見開く。

「全員で帰るぞ」

 ウエスの声には一切の迷いがなかった。

「ここは勝つ場所じゃない。情報を持ち帰る」

「全員、下がりながら出口へ!!」

 ウエスの指示に従い、六人が一斉に後退を開始する。

 しかし、黒霧狼がそれを許さぬように地を蹴った。

 圧倒的な速度。殿を務めるウエスとユアンへ影が迫る。

 殿の足止めとして、リアナが咄嗟に振り返り、杖を振りかざした。

「押し戻されて……ッ!」

 風を起こす。

 だが――リアナの魔力は、すでにほぼ枯渇していた。

 放たれたのは、魔法と呼ぶにはあまりに拙い、魔力の乗っていないただの「突風」だった。

(ダメ……っ!)

 リアナが絶望に目を瞑りかける。

 だが。

 その魔力の乗っていないただの風が黒霧狼に直撃した瞬間。

 黒霧狼は――風を吸収しなかった。

 ただ風圧に押されて揺らぎ、狼の表面を覆っていた黒霧が、フッと大きく飛散した。

 ダメージはない。

 しかし、魔力を吸収して受け止める動作が起こらなかったことで、黒霧狼の体勢が大きく崩れた。

 リアナが目を見開く。

「……魔力が乗ってないと……吸われない……?」

 ミレイユもその光景に息を呑んだ。

「……そういう、こと……!?」

 ほんの一瞬生じた、確実な隙。

「走れ!!」

 ウエスの叫びと共に、第九隊は死力を尽くして大空洞の境界線へと飛び込んだ。

 ゼェ、ゼェと荒い息が暗闇に響く。

 第九隊が通路へ滑り込み、振り返ると――

 追撃してくると思われた黒霧狼が、大空洞と通路の「境界線」でピタリと動きを止めていた。

 赤い瞳が、境界線の向こうから六人をじっと見下ろしている。

 一歩も、そこから踏み出してこようとしない。

「追ってこない……?」

 ガレンが息を整えながら大剣を構え直す。

「……縄張りか」

 ドレイクが低く呟いた。

 ウエスは揺らめく黒色の獣を見つめ、静かに首を振る。

「いや……守っているのか」

 その言葉に応じるように。

 大空洞のさらに奥、漆黒の深淵から重厚な音が響いた。

 ドクン。

 地下全体を震わせる、巨大な脈動。

 すると、あれほど苛烈だった黒霧狼がゆっくりと身を低くし、奥の深淵に向かって恭しく頭を垂れた。

 まるで、その奥に『何か』がいることを知っているかのように。

 ウエスは無言のまま、その光景を脳裏に刻み込んだ。

「一旦戻るぞ。……手掛かりは掴んだ」

 第九隊は、深淵の番人に背を向け、暗闇の通路を走り出した。

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