【第七十三話】落ちた地脈
人工的に切り出された石の階段は、這い降りるほどに空気を粘りつかせた。
一歩踏み出すごとに、肺に流れ込む空気が重くなる。薄闇の中に、昨夜の黒霧の残滓が糸を引くように漂っていた。
「……気持ち悪いですね」
ユアンが喉を押さえ、浅い呼吸を繰り返す。
ガレンがまた、ブーツの裏から伝わる感触に顔をしかめていた。
「土を踏んでいる気がしない。まるで……」
「生き物の腹の中、みたいだろう」
前方を睨んだままのウエスが返す。
規則的な微振動が、石の階段全体を波打たせていた。地面そのものが、奇妙な周期で呼吸している。
壁や床には、青白い光を放つ亀裂が無数に走っていた。ひび割れから漏れ出した魔力が、重力に従うように下へ、下へと流れ落ちていく。
ミレイユは計器の文字盤を指先で弾き、舌打ちを漏らした。
「壊れてないわよね、これ。魔力の流れが、全部足元に向かってる」
「普通じゃないのか?」
ドレイクが首だけで振り返る。
「ええ。地脈ってのは、横に広がるか地上に吹き出すものよ。こんな風に、底へ沈み込んでいく波形なんて見たことがないわ」
ふわり、とリアナの銀髪が不自然に上へと舞い上がった。
彼女は目を細め、下層から吹き上がってくる淀んだ気流を肌で読み取る。
「来ます。……下から這い上がってきます!」
直後、青白い亀裂から噴き出した魔力が泥のように固まり、形を成した。
その姿を見た瞬間、ガレンが眉をひそめる。
「……前に見た魔獣とは、違う」
以前の迷宮にいた魔獣は、まだ獣の姿を残していた。だが、目の前のそれには生物としての形すらほとんど残っていない。目も鼻もなく、全身がどろりとした土と青い光の筋で構成されている。
地脈から直接生み出されたような、異様な姿だった。
それは、足元の振動――地面の『呼吸』と完全に同調している。ズン、という脈動と共に、異形が跳ねた。
「前衛!」
ドレイクが大盾を打ち立て、突進を受け止める。
重い衝撃。異形は盾にぶつかっても体勢を崩さず、脈動の周期に合わせてさらに力を込めて押し込んでくる。
「波形の谷間を狙って! 脈動が弱まる瞬間があるわ!」
背後からの指示に、リアナが両手を交差させた。鋭い気流が放たれ、下から吹き上げる空気を強引にねじ伏せる。
異形の姿勢がわずかに泳いだ。
その瞬間、地面の脈動がフッと途切れる。
「今だ!」
ガレンが大盾の横から滑り出し、光の筋が交差する部分を正確に斬り裂いた。バランスを崩した胴体へ、ユアンの槍が突き刺さる。
断末魔もなく、泥の塊は再び青白い魔力となって床の亀裂へと吸い込まれていった。
「……なんだったんだ、今の」
ユアンが槍を引き抜きながら、荒い息を吐く。
「地脈に無理やり引きずり出された、魔力の残滓よ」
計器を見つめるミレイユの顔には、はっきりとした焦りがあった。彼女は周囲の壁に刻まれた、風化しかけた幾何学的な模様を指差す。
「この波形、ルヴァールの裂目で計測したデータに似ているわ。それにこの壁の意匠……古代の遺物と繋がりがあるのかもしれない」
ウエスは壁の模様に視線を向けたが、彼の意識を捉えていたのは別のものだった。
――ドクン。
耳の奥で鳴り続けている、低い音。かつて、王都の地下でヴァルグの剣と打ち合った時。あの黒い霧に触れた瞬間に感じた、底知れぬ悪意の響きと全く同じものだった。
ズズズズズ……。
突如、鼓膜を圧迫するような重低音が響き渡り、彼らの立つ石の階段が大きく傾いた。
「うわっ!」
ユアンが壁に手をついて踏みとどまる。
崩落ではない。空間全体が、さらに深く沈み込んだのだ。
亀裂から漏れる青白い光が、一斉に明滅を始める。
ウエスは暗い階段の底を見下ろし、口を開いた。
「……迷宮が下へ広がっているんじゃない」
彼の声に、隊員たちの視線が集まる。
「地脈そのものが、落ちている。……この世界そのものが、下へ沈もうとしているんだ」




