↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境の元英雄と光の癒し手 -共鳴の絆-  作者: もちすけ34


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

72/90

【第七十二話】迷宮の入口

 夜明けを迎えても、森に差し込む光はひどく頼りなかった。

 薄闇の中、野営を解いた第九隊の前に広がっていたのは、昨日とはまるで違う景色だった。

 見覚えのある獣道は、巨大な木の根がねじれ絡み合い、行く手を塞ぐように壁を作っている。平坦だったはずの地面には深い裂け目が走り、その縁には青白く発光する奇妙な苔がびっしりと張り付いていた。

 森そのものが、生きた巨大な臓器のように形を変えている。

「……昨日の夜は、こんな裂け目はなかったわ」

 ミレイユが魔力波形を測る計器を見つめながら、低い声で言った。針が不規則に小刻みに震えている。

 ガレンはブーツの底で地面を踏みしめ、微かに顔をしかめた。

「脈動が強くなってる。土の下で、何かが蠢いてるような感触だ」

「風も、ひどく淀んでいます。……あそこから」

 リアナが指差した先――ねじれた根の壁の向こう側は、ひときわ暗く、淀んだ冷気が這い出していた。

 ウエスは剣の柄に軽く手を添え、その暗がりを見据えた。

「進むぞ。……一歩ずつだ」

 短い指示に、隊員たちは無言で頷き、それぞれの武器を構えて異常な森の奥へと足を踏み入れた。

 隊列は自然と決まっていた。

 リアナが微風を放って安全な経路を探り、ミレイユが地脈の歪みを計器で追う。ユアンが槍の石突で足元の不自然な振動を確かめ、ガレンとドレイクが前衛を固める。

 最後尾を歩くウエスの出番は、なかった。

 それは、第九隊が完全に機能している証でもあった。

 静寂が破られたのは、青光りする苔の絨毯を踏み越えようとした時だった。

――ガサァッ!

 腐葉土を吹き飛ばし、地中から三つの影が飛び出してきた。

 狼のようなシルエット。だが、その四肢はうごめく太い根のような触手で構成され、表皮は硬そうな苔と泥に覆われている。

「来るぞ!」

 ドレイクが即座に大盾を構え、壁を作った。

 同時に、ガレンが姿勢を低くする。彼は敵を見るのではなく、足元の地面に神経を集中させていた。

(右から、一番重い脈動――)

 ドレイクの大盾に、最も大きな影が激突する。

 重い衝撃音が響いた直後、ガレンはドレイクの盾の僅かな隙間をすり抜け、滑り込むように前へ出た。地面の振動から敵の重心のブレを読み切り、的確に前脚の根を斬り飛ばす。

 体勢を崩した獣の首を、ガレンの刃が容赦なく薙ぎ払った。

 残る二体が、側面から回り込もうとする。

 だが、その視界は突如として巻き起こった旋風に遮られた。

「ユアン!」

 リアナの短い声。

 枯れ葉と土煙を巻き込んだ風が敵の動きを鈍らせた一瞬の隙を、ユアンの槍が貫いた。

 かつての彼なら、力任せに突いていただろう。だが今のユアンの突きは、リアナの風の軌道に沿うように、しなやかで静かだった。

 風に誘導されるように放たれた一撃は、正確に一体の胸を穿つ。

 さらに最後の一体が、死角からユアンに飛びかかろうとした瞬間――。

「そこ、踏まないで!」

 ミレイユの声と共に、敵の足元の土が不自然に隆起し、小さな魔力光が弾けた。ミレイユが地脈の歪みから見つけ出した魔力溜まりのトラップを、即席の反位相装置で意図的に暴発させたのだ。

 足場を失い、魔力の乱れに一瞬動きを止めた獣の眉間を、ユアンの引き戻した槍の石突が深々と砕いた。

 戦闘は、わずか十数秒で終わった。

 誰も息を切らしていない。誰も焦っていない。

 ウエスは剣を抜くことすらなく、その光景を静かに見つめていた。

 だが、森の異常はこれで終わりではなかった。

――ヒュゥゥゥ……。

 倒れた獣の死骸から、黒い霧のようなものが立ち昇り、周囲の空間を歪ませた。

 それに触れた瞬間、ユアンの肩がびくっと跳ねる。

 彼の網膜に、ありもしない光景がフラッシュバックした。圧倒的な絶望。血の匂い。かつて自分たちを蹂躙した、あの赤い目の男の幻影。

「う、あ……」

 ガレンがまた、目を見開き、剣を握る手を微かに震わせていた。迷宮化に呼応した黒霧の残滓が、彼らの過去の記憶と恐怖に直接干渉している。

「……息を吐け」

 静かな、だが腹の底に響く声が落ちた。

 ウエスだった。

 魔力を持たないウエスには、記憶の干渉は一切通じていない。その揺るぎない眼差しが、恐怖に囚われかけた仲間たちの意識を現実に引き戻す。

「幻だ。お前たちの足元を見ろ」

 ウエスの声に、ユアンは荒い息を吐き出し、槍を強く握り直した。

「……俺は、もう……折れない!」

 自らに言い聞かせるようなユアンの叫びに応えるように、リアナが両手を翳した。

「吹き飛べ……!」

 清冽な風が、まとわりつく黒霧の残滓を鮮やかに散らしていく。

 幻影が晴れた直後、地響きと共に森の奥から『それ』が現れた。

 先ほどの獣の三倍はあろうかという巨体。無数の根と黒い影を綯い交ぜにしたような、不浄の塊。

 だが、今の第九隊に動揺はなかった。

「ドレイク、止めるぞ!」

「応!」

 ガレンの指示に、ドレイクが大盾を地面に突き立てて城壁となる。

 ミレイユが計器の波形を読み上げ、敵の魔力が薄い箇所を伝達する。そこにリアナの風が刃となって叩き込まれ、巨体の装甲を削ぎ落とす。

 剥き出しになった影の核へ、ユアンの槍が一直線に突き刺さった。

 敵が苦悶に身をよじり、大盾を退けたドレイクの横から――ガレンが跳んだ。

 空中で体を捻り、全体重と遠心力を乗せた渾身の一撃が、獣の核を真っ二つに両断する。

 断末魔の叫びと共に、巨体が崩れ落ち、黒い泥となって霧散した。

 静寂が戻る。

 互いの無事を確認し合う隊員たちの顔には、確かな自信が宿っていた。

ズズズズズ……。

 その時、巨大な獣が倒れた衝撃が引き金となったのか、前方のねじれた木の根が大きく崩落を始めた。

 土煙が晴れた後、そこにあったのは自然の産物ではなかった。

 むき出しになったのは、綺麗に切り出された石の階段。

 深く、暗い地下へと続く、人工的な『入口』だった。

 ミレイユの計器の針が、今までで一番激しく跳ね回る。

「……ウエス隊長。これ、波形が……王都の地下にあった記録と……」

 その言葉を遮るように、階段の遥か奥底から、低い鼓動が響き渡った。

――ドクン。

 そして。

『……あ……あ…………』

 冷たい風に乗って、幾千もの人の声が重なり合ったような、呪詛めいた囁きが漏れ出してくる。

 ウエスは無言のまま、ゆっくりと剣の柄を握り締めた。

 ただの森の異常ではない。

 底知れぬ悪意の深淵が、口を開けて彼らを待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。