【第四話】未熟な刃と、闇を照らす灯火
駐屯地に入って間もなく、近くの開拓村から息を切らせた村人が駆け込んできた。
「団長さん! 団長さんはいねえか! 夜のうちに、また家畜が消えたんだ! 足跡が、そこの森の方へ続いてて……お願いだ、助けてくれ!」
怯えきる村人の言葉に、ウエスは表情を変えず、短く応じた。
「落ち着け。案内してくれ。──全員、付いてこい」
ウエスは即座に隊員たちを引き連れ、森の入り口へと向かった。
湿った泥炭土の地面に、不揃いな足跡が点々と続いている。
ウエスはその場にしゃがみ込み、手袋を外した指先で土の窪みをなぞり、その深さと泥の乾き具合を確かめた。
(……あの時も、同じ形の足跡を追った。ホブが紛れていて、隊は半分になった)
不意によぎる、かつて生と死の境界で刻み込んだ苦い記憶。
魔力がなくとも、骨の髄まで染みついた過酷な経験が、脳裏に答えを先んじて告げていた。
「……小鬼だな。数は七。歩幅と沈み込みから見て、そのうち一体は他より頭二つ分はデカい。ホブ・ゴブリンの可能性がある」
その言葉に、後ろにいた隊員たちが息を呑んだ。
「そ、そんなことまで、見ただけで分かるんですか……?」
リアナが驚愕の声を漏らす。
「けっ、まどろっこしい」
ガレンが鼻で笑った。
「小鬼なんざ、見つけ次第まとめて叩き潰せばいいんだろ? 魔力のない元・最強さんは、足跡を眺めるのがお仕事ですか?」
ウエスは立ち上がり、ガレンの目をまっすぐに見据えた。
その瞬間、ウエスの全身から放たれた静かな、しかし圧倒的な戦気の威圧感に、ガレンの表情が一瞬で強張る。
「その油断が死を呼ぶ。ホブが率いる群れは、待ち伏せや罠を組織的に使う。かつてその『たかが小鬼』に油断し、全滅した偵察部隊を俺はいくつも見てきた。お前は自分の命だけでなく、仲間の命も懸けている自覚があるのか」
ガレンは言葉を失い、ウエスの威圧に固まった自分を恥じ、悔しげに奥歯を噛んだ。
(……怖いなんて、言えるかよ。俺は……)
ガレンは喉を鳴らして気まずそうに視線を逸らした。
(……この隊は、基礎の基礎から叩き直す必要があるな)
その時、案内してきた村人が怯えたように肩をすくめて言った。
「……団長さん、実は最近、このあたりに野盗も出るんです。魔物より、同じ人間の方がよっぽど怖いって言う人もいて……」
ミレイユがすぐにウエスに視線を送る。
「情報が錯綜していますね。家畜の窃盗が、魔物によるものか、野盗の仕業か。あるいはその両方の可能性があるということです」
「……人間の方が厄介な時もある。だが、放置すれば村は干上がる」
ウエスは腰の剣の柄に手を当て、一同に向き直った。
「まずは森だ。各自、初陣の準備をしておけ」
その夜、駐屯地の外れ。
パチパチと爆ぜる焚き火の前で、ウエスは一人、胸元の共鳴石を握りしめていた。
石が淡い琥珀色の光を放ち、冷え切った夜気に温かい気配がじんわりと広がっていく。
『……ウエス? 聞こえる? 今日も、無事だった?』
静寂の中に響く、シーンの柔らかな声。
その一言だけで、張り詰めていた身体の余分な力が抜けていくのが分かった。
「ああ。今日も無事だ。そちらはどうだ、変わりはないか」
『ええ、こちらは平穏よ。ただ……やっぱり、あなたがいないと少し家が広く感じるわね』
少しの沈黙の後、ガサゴソという衣擦れの音と共に、小さな、だが一生懸命な声が混じり込んできた。
『お、お父さん……! がんばってね。ぼく、お留守番ちゃんとしてるから』
セレンの声だった。
ウエスは張り付いていた厳しい表情を緩め、ふっと口元を綻ばせた。
「……ああ。任せろ。お前も、お母さんをしっかり守ってやるんだぞ」
『うん!』
元気な返事のあと、再びシーンが『無理はしないでね』と優しく囁き、通信は静かに切れた。
消えゆく光の余韻の中で、ウエスは立ち上がる。
焚き火の火が揺れ、彼の影が地面に長く、逞しく伸びていた。
シーンの声を聞くたび、ウエスは胸の奥の“空白”が少しだけ満たされる気がした。
魔力を失ったあの日から、唯一変わらず繋がっている光。
失ったものは多い。だが、守るべき約束があり、信じて帰りを待つ家族がいる。
(俺は……まだ終わっていない)
ウエスは駐屯地へと戻り、暗がりの中で武器の手入れをしていた隊員たちを見渡した。
皆、これから始まる初陣への恐怖と緊張で、表情が固い。ユアンなどは、剣を磨きながら小刻みに震えている。
「明日、日の出と共に森へ入る。初陣だ。覚悟しておけ」
ウエスの毅然とした声に、一同は一瞬気圧されたように顔を見合わせた。
だが、リアナが、ユアンが、そしてガレンやミレイユも、ゴクリと唾を飲み込んで、力強く頷いた。
「……はい!」
まだ頼りない、不揃いな返事。
けれど、その声には確かに、恐怖を乗り越えて「前へ進もう」とする意志が宿っていた。
それを見届け、ウエスは静かに前を見据える。
(進むのは……俺だけじゃない)
新生・第九辺境騎士団の、これが本当の始まりだった。




