【第三話】境界の羽音と、寄せ集めの騎士たち
王都を出て三日。
ウエスは愛馬の手綱を握り直し、険しさを増す獣道を進んでいた。
街を離れるにつれて活気は消え失せ、代わりに圧倒的な静寂が周囲を支配し始める。
(……風の流れが違うな。それに、この空気の重さは……)
頬を撫でる風は湿り気を帯び、魔力の“匂い”が肌にねっとりとまとわりつく。
王都の周辺なら聞こえるはずの鳥のさえずりは、ここにはない。
ただ、不気味なほど静まり返った原生林が、陽光を遮るように行く手を阻んでいる。
魔力の濃度が高い。
それは、人の手が届かぬ魔物の活動域が極めて近いことを意味していた。
かつて魔力に満ち溢れていた頃なら、この濃度の変化だけで頭痛がしたはずだった。
だが今のウエスには、それすら感じ取れない。
それが、かえって恐ろしかった
肌にまとわりつく湿った空気と、幾度となく死地を越えてきた戦士としての経験だけが、この土地の危険を静かに告げていた。
ふと、ウエスは胸元に手をやる。
衣服の下では、シーンから贈られた共鳴石が、時折かすかな熱を帯びて揺れていた。
距離が離れすぎているため、今はまだシーンの声は届かない。
それでも指先へ伝わる小さな温もりは、「繋がっている」という確かな証だった。
その温もりだけが、冷え込む辺境への道で、ウエスの心を静かに支えていた。
鬱蒼とした森を抜けた先に、第九辺境騎士団駐屯地はあった。
しかし、その光景を目にしたウエスは、思わず小さく眉をひそめる。
「……思った以上に荒れているな」
木製の外柵はあちこちが腐り落ち、左右にあるはずの見張り台は片方が大きく傾いている。
訓練場では木人形が倒れたまま放置され、補修用と思われる丸太や資材も積まれたままだ。
井戸の滑車は軋み、建物の壁板には隙間風が吹き抜けている。
人手も、物資も、決して十分ではない。
およそ王国騎士団の駐屯地とは思えず、まるで見捨てられた砦だった。
辺境が王都からどれほど後回しにされているのか、その光景だけで十分に伝わってくる。
ウエスが馬を降りると、その気配に気付いた数名の若い騎士たちが建物から駆け寄ってきた。
「は、初めましてっ! レゾナール団長……ですよね!?」
最初に声を掛けてきたのは、少女と言ってもいい年齢の騎士、リアナだった。
ぶかぶかの胸当てを揺らしながら慌てて敬礼する姿は初々しく、その手は緊張で小刻みに震えている。
その後ろから、一人の青年が腕を組みながらゆっくり歩み寄ってきた。
「へぇ……あんたが“元最強”か。」
ガレンはウエスを頭の先から足元まで値踏みするように眺める。
「もっと威圧感のある人かと思ってた。案外普通なんだな。」
口元には挑発するような笑みが浮かぶ。
「……ま、本当に強いのかは、そのうち分かるか。」
ガレンの視線には、どこか焦りのような色も混じっていた。
「ガレン。」
低く響く声が、その空気を断ち切った。
「初対面の団長に、その口の利き方は感心せんな。」
大柄な男――ドレイクだった。
ガレンは肩をすくめる。
「別に失礼なことは言ってないだろ。」
「……口だけなら、お前はもう英雄だ。」
短いやり取りに、リアナは慌て、ユアンはおろおろと視線を泳がせる。
そんな空気の中、ウエスは小さく笑った。
「そう見えるなら安心した。」
「……は?」
「団長が化け物じゃ、部下は休まらない。」
一瞬だけ、その場の空気が止まる。
ガレンは拍子抜けしたように眉を上げ、リアナは思わず笑みをこぼした。
「魔力の流れが酷く乱れています。」
静かに口を開いたのは、魔導兵の制服をまとった女性、ミレイユだった。
「団長。辺境は王都とは違います。かつてのような『力』だけに頼る戦いは通用しません。魔力の乱れだけではなく……あなた自身の流れも、以前とは違います。」
鋭い視線がウエスを射抜く。
その瞳は、ウエスが魔力を失っていることを見透かしているかのようだった。
「よ、よろしくお願いします……!」
最後に頭を下げたのは、まだ幼さの残る少年兵、ユアン。
剣を握る手はかすかに震え、今にも不安が零れ落ちそうな表情をしている。
ユアンの剣は刃こぼれしており、柄の革は半分剥がれていた。
そして、その後ろに立つドレイクだけは、静かにウエスを見つめていた。
「……来たか、ウエス。姿形は変わったが……目だけは昔のままだな。」
その一言だけで十分だった。
かつて共に戦場を駆けた男だけが、今もなおウエスの芯が折れていないことを理解していた。
ウエスは改めて一同を見渡す。
誰もが未熟だった。
誰もが、それぞれの事情や不安を抱えていた。
そして、その中心に立つ自分もまた、魔力を失った元英雄に過ぎない。
「……これが、俺の隊か。」
前途多難。
だが、不思議と逃げ出したいとは思わなかった。




