【第三十話】 蠢く悪意と、影の足音
焦土と化した辺境の森に、冷たい風が吹き抜けていく。
黒く焼き尽くされた大地、へし折られた剣の残骸、そして物言わぬ姿となった騎士たちの屍。
壊滅した第九隊の痕跡を前に、カイルは冷徹な眼差しで見下ろしていた。
そこには壮絶な戦闘の爪痕が刻まれていたが、不可解な違和感が一つあった。
騎士団長ウエスの戦痕だけが、まるで最初から存在しなかったかのように綺麗に削り取られ、隠蔽されている。
「相変わらず、王都の豚どもは小細工が早い……」
カイルが着慣れた黒革の外套を翻し、向かったのは森の奥深くに潜む巨大なアジトだった。
松明の火が揺らめく洞窟の奥には、数百人の荒くれ者どもがひしめいている。
彼らはウエスへの怨みなど知る由もない。
掠奪や暴行、金儲けのために集まった強欲な泥棒どもであり、ただカイルの圧倒的な暴力と恐怖に屈して従っているだけに過ぎない。
カイルが姿を現した瞬間、殺気に満ちていた洞窟内が一瞬で静まり返る。
巨体の男たちが一斉に道を譲り、頭を垂れた。
どれほど血の気の多い者であっても、カイルの背後に漂う圧倒的な威圧感と、冷酷な眼光の前には呼吸することすら憚られる。
アジトの最奥、遮光陣が張られた重々しい応接の間。
カイルが立ち去った後、組織の裏回しを担当する狡猾な野盗幹部が、陰気な笑みを浮かべながら奥の小部屋へと滑り込んだ。
この野盗幹部もまた、ウエスとの因縁などどうでもよかった。
カイルに完全に内緒で王国の実権を握る重臣──そして、かつて「家畜喪失事件」で暗躍した元宮廷魔術師と裏で繋がり、私腹を肥やすことだけを目的に動いていたのだ。
王都の財務局から横流しされた莫大な裏金は、毎月のようにこの暗い洞窟へ密かに流れ込んでいた。
野盗幹部は懐から、禍々しい紫色の光を放つ『転移の魔術具』を取り出し、机の上に据え置いた。
「へへ……カイルの奴は自分の足でウエスを探し出すつもりだろうが、王都の旦那方はそんな悠長なことは待っちゃくれねぇからな……。ウエスさえ消せば、またどっさりと金が転がり込んでくる」
元宮廷魔術師から与えられたこの魔術具は、周囲の空間を強引に引き裂き、特定の座標へ軍勢や刺客を力ずくで送り込む恐ろしい代物だった。
カイルが己の個人的な執着で動こうとも、野盗幹部はただ自分たちの欲望と裏金のために、カイルの頭越しに転移の魔術を作動させ、ウエスを強襲して消し去る気でいた。
一方、洞窟の大広間では、カイルが大剣を背負い、手下たちを見下ろしていた。
「野郎ども、ウエスの捜索を急げ。あいつを殺すのはこの俺だ。手出しは許さん」
周囲の野盗どもにとっては「仕事のターゲット」に過ぎないが、カイルの胸の奥だけで渦巻いているのは、純粋で黒い執念。
かつてウエスに救われ、そして裏切られたと信じ込む記憶。
ウエスが生きている限り、自分の世界は永遠に止まったままだった。
自分自身の手でウエスとの決着をつけることだけを望み、カイルは闇の中でウエスの足跡を追い続けていた。
──遥か遠く、身を隠した辺境駐屯地の訓練場。
夜の闇が降り立つ中、荒い吐息と泥を蹴る音が響いていた。
ウエスは腕を組み、冷ややかな、けれどどこか温かな眼差しで、泥まみれになりながら槍を振り下ろすユアンたちの姿を見据えていた。
魔力を失った身でありながら、自らの経験と覚悟をすべて叩き込もうと、ウエス自身も命を削るような集中力で特訓に向き合っている。
だが、その限界は刻一刻と迫っていた。
腕を組む指先は、まるで自分のものではないように冷え切っていた。
遠く王都でシーンが必死に祈りを捧げ、たぐり寄せてくれている、あの確かな温もり。
そして、泥を喰んででも立ち上がろうとする目の前の若い騎士たち。
彼らの存在が、ウエスの魂を確かに支えていた。
(……俺はまだ、倒れるわけにはいかん)
ユアンたちの成長を見届け、彼らの足場を固めるために、ウエスがその生命力を強く燃え立たせた──その瞬間。
頭上の空間が軋み、大気を強引に引き裂く不気味な衝撃波が駆け抜けた。
野盗幹部がカイルに内緒で起動させた「転移の魔術」──空間を歪めて刺客を送り込むその凶行が発動したのだ。
遥か遠くの夜空を裂いた紫の光は、空間そのものが悲鳴を上げるようにねじ曲がっていた。
強烈な魔力の歪みと不吉な光に、ウエスは即座に腰の剣の柄へ手をかけ、鋭い眼光で夜空を見上げた。




