【第三十一話】「歪んだ一歩」
カイルに敗北した衝撃と重い空気は、いまだ第九隊全体を苛んでいた。
全員が打ちのめされていたが、なかでもガレンの焦燥は群を抜いていた。
誰よりも深く己の無力さを噛みしめるように、固く握りしめた拳を震わせ、じっと地面を見つめている。
ガレンの拳が震えるすぐ横で、ユアンは荒い息を吐きながら必死の形相で槍を突いていた。
しかしその刃先は焦りにぶれ、ガレンと同じく隠しきれない「弱さ」を露呈させていた。
そこへ、ウエスが静かに歩み出てくる。
魔力を失い、かつてのような力任せの猛威は振るえなくなっていても、その立ち姿には長年の修羅場をくぐり抜けてきた圧倒的な芯があった。
「……訓練を始めるぞ」
ウエスの静かな声に、隊員たちは弾かれたように顔を上げた。
「昨日の敗因は力じゃない。“動き”だ。まずは歩き方を覚えろ」
「……歩くだけで、強くなるってのかよ」
悔しさを隠しきれないガレンが吐き捨てるように言う。
ウエスは逃げ場のない眼光でガレンを見据え、重みのある声を返した。
「歩けない奴は、生き残れん。無茶をして倒れるのが騎士の仕事じゃない。……生きて帰るために、まずは足元を固めろ」
ウエスは足音を消す歩法から、重心の置き方、呼吸の整え方、無駄な魔力を垂れ流さない気配の遮断、視線の使い方まで、培ってきた一流の観察眼で徹底して基礎を叩き込んでいく。
泥臭い地味な繰り返しのなかで、泥沼にいた隊員たちの動きが次第に噛み合い始めていった。
リアナは自信のなさで震える手を抑え、自慢の風のセンスで微弱な風を足元に纏わせて仲間の足運びを静かに補助する。
ミレイユは自身の荒れた魔力を抑え込みながら深く呼吸を合わせ、隊全体から生じる無駄な魔力ノイズを丹念に削ぎ落としていった。
ドレイクは無言のまま新調した大楯を構え、隙のない足運びで隊全体の足場を固める。
そしてユアンの構えからは次第に無駄な力みが抜け、槍の鋭い間合いを正確に掴みかけていた。
一通りの訓練を終え、汗を拭う彼らを見渡し、ウエスが小さく頷く。
「……悪くない。初日としては上出来だ」
カイル戦以来、隊員たちの顔に初めてかすかな自信の光が戻った。
◇
午後、ウエスは隊を連れて森の入口へと向かった。
立ち並ぶ巨大な樹木が境界線を描くその場所に立ち、隊員たちに静かに言い渡す。
「森は危険だ。絶対に隊列を崩すな。今日はあくまで入口での索敵基礎までだ」
だが──その言葉が終わるか終わらないかの瞬間、ガレンが勝手に森の奥へ一歩、踏み出した。
途端に周囲を包む空気が一変する。
ガレンが一歩踏み出した瞬間、森の奥の暗がりが、まるで彼を誘い込むかのように静まり返った。
風の音すら途絶えた一瞬の静寂が、刺さるような緊張感を跳ね上げる。
「ガレン!? 勝手に行っちゃダメ!」
「……っ、この魔力……荒れすぎてる……!」
ガレンの背中から立ち上る異様な魔気の乱れを感じ取り、ミレイユは思わず息を呑んだ。
引き留める仲間の声を背に受けながら、ガレンは拳を血が滲むほど強く握りしめる。
「危険なら……俺が先に見つければ隊が助かるだろ……! 俺が強くならなきゃ……みんなを守れないんだよ……!」
ガレンの視線は、仲間の背中を必死に追っていた。
その焦りは、誰よりも強い“守りたい”という願いの裏返しだった。
だが、自分が弱いという痛感と強さを証明したい焦燥が、その純粋な情熱を危うい方向へと歪ませていく。
そこへ、ウエスが静かに割り込み、ガレンの視界を遮るように立ちふさがった。
その眼光には、深い影が宿っている。
「戻れ。……その一歩は、昔の俺が踏みかけた一歩だ。森は“強さを試す場所”じゃない。“命を落とす場所”だ」
ウエスの静かな眼光と、その言葉の裏に滲む過去の重みに圧され、ガレンはハッと息をのんだ。
不承不承といった様子で悔しそうに歯を食いしばり、ゆっくりと列へ戻る。
「……俺は……強くならなきゃいけないんだ。みんなを守るために……」
ボソリと呟くガレンの背中を見つめ、ウエスは自らにも言い聞かせるように、静かに言葉を重ねた。
「強さは急ぐほど遠ざかる。焦るな。一歩ずつ重ねろ」
リアナは不安そうにガレンの横顔を見つめ、ミレイユはガレンの周囲に残る不穏な魔力の残滓に眉をひそめていた。
そしてドレイクは無言のまま、若い頃のウエスが踏みかけた危うい一歩と重なって見えるガレンの足元を、ただじっと観察していた。
ガレンは誰より早く森へ踏み出そうとした。
その背中には、仲間を守りたいという切実な焦りが滲んでいた。
だが──その歩幅は、ウエスが教えた「隊の歩幅」とは少しだけズレていた。
第九辺境騎士団の再起は、その小さなズレを抱えたまま、静かに、しかし確かに動き始めた。




