【第二十七話】泥を喰んで、柄を握れ
リハビリ用の薄い木剣を握り、ゆっくりと上段に構えるユアン。
しかし、肘から肩にかけて走る鈍痛に、十六歳の若い顔が苦痛で歪む。
剣先がガタガタと震え、地面に落ちた。
「くっ……あいつらの刃、受けるのが精いっぱいだったのに……自分で振り下ろすこともできないのかよ……」
遠巻きに薪を割っていたガレンが、大剣を肩に担ぎながら呆れ顔で歩み寄ってくる。
「無理すんなって、ユアン。剣ってのはな、『振り抜いて相手を叩き切る』から意味があるんだ。今の体で振ったって、手首痛めて終わりだぞ」
「ガレン、言い方! ……でもユアン、ガレンの言う通りよ。風の魔術で体の負担を和らげてあげるから、焦らないで」
リアナが優しく風を纏わせようとするが、ユアンが踏み込んだ瞬間、足元がぐらついて大きく体勢を崩す。
「……ダメね。痛みを庇うあまり、踏み込みの重心がズレているわ。あなたの体の使い方は、まだ『万全だった頃の短い間合いの剣』のまま。理屈に合っていないの」
ミレイユが羊皮紙のカルテに視線を落としながら、静かに、しかし客観的な事実を突きつける。
離れた木陰で腕を組んでいたドレイクは、言葉を発することなく、深く紫煙を吐き出してユアンのブレた足元を見つめていた。
歯を食いしばり、ユアンは拳を固く握りしめる。
(……最弱の見習いだからって、いつまでも守られてるわけにはいかないんだ。今の俺のままじゃ……隊長の背中なんて、一生追えない……!)
肩を落として物資置き場の裏へ向かったユアンは、壁に立てかけられた古びた練武用の木槍に目を留めた。
長い柄、先端に穿たれた泥汚れ。
そこへ、足音もなくウエスが現れる。
「剣が振れないなら、棒でも握っていろ」
「っ……! 隊長……。棒って……これ、槍ですよ。俺は剣士を目指して──」
「名前はどうでもいい。間合いが変われば、負担も変わる。今の体で戦う方法を考えろ」
ウエスはそれ以上何も言わず、静かな視線を残して去っていく。
ユアンは戸惑いながらも、その言葉に促されるように木槍を手に取った。
「間合い……重心……」
両手で柄を握り、おそるおそる突きを出してみる。
だが、剣とは全く異なる長さと重量バランスに振られ、ユアンは派手にバランスを崩して泥の中に倒れ込んだ。
「ハハッ! おいおい、槍に遊ばれてどうすんだよ! 泥団子になっちまうぞ!」
「ちょっとガレン、笑わないで! ……ユアン、大丈夫? 泥だらけよ」
「ふふ……でも、面白いわね。倒れ方は不様だけど、足跡の荷重移動だけは、さっきの剣の時より自然だわ」
木陰のドレイクが、短く呟く。
「……槍は、地面で振れ」
言葉少なすぎる助言に、ユアンは泥を吐き出しながらハッとする。
腕の力ではなく、足裏で地面を踏みしめ、腰から槍の柄へと力を伝達させる。
槍の石突を地面にしごき、大地に根を張るように低く構えた瞬間──。
(……なんだこれ……? 手首や肩の痛みが……消えた? まるで、足元から地面の重さが体に吸い込まれるみたいに……踏ん張りが利く……!)
仲間たちが引き揚げた後も、ユアンは一人、泥まみれになりながら槍をしごき続けていた。
何度も転び、擦りむき、十六歳の掌は血マメと泥で破れかけている。
だが、その瞳から焦燥は消え、静かな執念だけが宿っていた。
そこへ、日課の見回りをしていたウエスが立ち止まる。
「……剣を捨てて、槍に逃げるつもりか」
ユアンは突きを止め、息を荒げながら、泥と汗にまみれた顔でウエスをまっすぐに見つめ返した。
「……逃げてなんか、いません。どんな泥臭い道を網いずってでも……俺はあんたの隣に立つって決めたんです。剣へのこだわりなんかより、俺は……仲間を守れる強さが欲しい」
ウエスはしばらく黙ってユアンの破れた掌と、しっかりと地面を捉えている足元を見つめていたが──やがて、フッと小さく目を細めた。
「……右足が半歩甘い。槍は、足で踏め」
最小限の言葉だけを残し、ウエスは背を向けて歩き出す。
「……っ! はい……! ありがとうございます、隊長!」
月明かりの下、ユアンは包帯と薬を塗り終えた自分の手をじっと見つめている。
擦り切れた木槍の柄の感触が、まだ掌に残っていた。
「まだまだ……全然思い通りに動かせない。だけど……これなら、俺でも……!」
後ろから歩いてきたガレンが、ユアンの頭をぽんぽんと乱暴に撫でる。
「へっ、泥臭い顔してんなぁ。……まあ、サボって落ち込んでるよりは百倍マシだけどな」
「もう、ガレンったら。……ユアン、すごく様になってたわよ。体が治るまで、私も槍のサポート練習つきあうからね」
「体の使い方の理論なら、明日までに紙にまとめておくわ。……あなたの根気強さには、分析する価値があるもの」
柱の陰にたたずんでいたドレイクが、煙草の煙を吐き出し、口元をわずかに緩める。
「……泥を喰え。槍は、土と友になる」
それだけ言うと、ドレイクは深く顔を伏せ、静かに闇へと消えていった。
ユアンは力強く頷き、傍らに立てかけた木槍の柄をぎゅっと握りしめた。
後に「辺境騎士団の壁」となり、隊長ウエスの窮地を救うことになる“槍騎士ユアン”の第一歩が、静かに、泥の中から始まった──。




