【第十六話】 近づく暗雲と予感
ヒュッ――!
森の奥から静かに、だが殺意を孕んだ一本の矢が疾走してきた。
目指すは馬車を御す老人の首元。
「――ッ! ガレン、伏せろ!」
「なっ……!?」
ガレンが反応するよりも早く、リアナの細身の剣が鞘を弾け出た。
「風よ、押し返して……! 『エア・シールド』!」
リアナが放ったのは、やはり王都で教わるような巨大な竜巻でも、矢を粉々に砕く防壁でもない。
ただ、矢の軌道をほんのわずかに逸らすだけの、薄くしなやかな風の層。
パシッ――!
回転を狂わされた矢は老人の目と鼻の先をかすめ、馬車の木枠に深く突き刺さった。
「ヒッ、ヒイィッ!?」
「な、なんだと……!?」
ガレンが目を剥く。
自分ですら反応が一歩遅れた不意打ちを、リアナの「ささやかな風」が完璧に殺したのだ。
「リアナ、いまの風は……!」
「自分でも……よく分かりません! でも、空気が揺れたのが見えたんです!」
リアナは震える手で剣を構え直した。
そうだ。彼女の風は、相手を吹き飛ばすための過激な力ではない。
「場の空気の僅かな歪みを察知し、その流れに最小限の力で割り込む」という、極めて高度な感覚同調の資質――。
「チッ、しくじったか……! 殺せ、荷物を奪え!」
街道脇の草むらから、十数人の男たちが飛び出してきた。
手にした武器はバラバラだが、その目は尋常ではない。飢えや困窮からくる野盗のそれではなく、規律と冷酷さを帯びた「傭兵」に近い動きだった。
「ハッ、出てきやがったな泥棒共! リア、俺の後ろに引っ込んでな!」
ガレンが大剣を振りかざして前に出ようとする。
しかし、ウエスは馬の上から静かに、だが通る声で制した。
「待て、ガレン。突っ込むな」
「ウエスのおっさん!? なんでだよ、こんな奴ら――」
「リアナの風を借りろ」
ウエスは馬を下り、静かに長剣を抜いた。
「リアナ。お前の風は弱くなどない。お前の風は……仲間の一歩先を照らす『導き』だ。相手の動きを殺し、ガレンの刃を敵へ届かせろ」
「私……私の風が……導き……?」
リアナは呆然と己の剣を見つめた。
王都の学校では「地味」「威力が足りない」と切り捨てられてきた自分の魔法。
それを、あの伝説の元騎士団長が、これ以上ない「役割」として認めてくれたのだ。
胸の奥で、冷えていた灯火がカッと熱を帯びる。
「ガレンさん! 右から二人、足元をすくいます! 合わせて斬ってください!」
「……あぁ!? 指示してんじゃねえよ! ……だが、合わせてやる!」
リアナの剣先から解き放たれた小さな風の旋風が、突進してくる男たちの足元をすくい、体勢を崩す。
そこへ、無駄な力みが抜けたガレンの剛剣が、一閃となって閃光を刻んだ。
「――オオオアアッ!」
見事な連携。
互いの弱点を補い、強みを何倍にも増幅させる戦術。
ウエスは二人の背中を見守りながら、胸元の共鳴石にそっと触れた。
(……若者は、成長している。だが……)
倒れていく野盗たちの首元。
擦り切れた衣服の隙間から見えたのは、黒ずんだ「王国騎士団の削られた聖紋」だった。
(カイル……。お前の手が、ここまで伸びているのか……)
ウエスの右手が、再び冷たく痺れ始めていた。




