【第十二話】歪んだ執念
暗い野盗の潜伏先は、獣の巣のような不快な熱気と、安酒の臭いに満ちていた。
そこへ、駐屯地近くの町から戻った末端の男たちが、下卑た笑い声を響かせながら入ってくる。
ユアンから奪った金袋を掲げ、互いの肩を叩き合っていた。
「おい、見たかよ、あのガキ騎士の顔。完全にビビってたぜ」
「まともな得物を持ってるくせによォ。俺たちが一言脅しただけで、借りてきた猫みたいに震えやがって。あれじゃ着せ替え人形だな!」
「――おい」
低く、しかし驚くほどよく通る声が、男たちの笑いを一瞬で断ち切った。
部屋の奥。
陽の光が一切届かない濃い影の中から、一人の男がゆっくりと立ち上がる。
擦り切れた鉄と鉄が噛み合う音が、静まり返った空間に重く響いた。
歩み出るたび、その身に纏う白銀の鎧が鈍い光を放つ。
かつて王国騎士団の精鋭だけに支給された鎧。
だが胸元に刻まれていたはずの聖紋は、鋭利な刃物で執拗に削り取られ、黒ずんだ傷跡だけを残していた。
無精髭に覆われた顎。
手入れされていない鉄錆色の髪。
野盗そのものの風貌でありながら、その立ち姿と歩みには、骨の髄まで染み付いた「騎士の型」が残っている。
カイル・ヴァルド。
この無法者たちを恐怖だけで束ねる頭目だった。
「ひ、ヒィッ……頭!」
先ほどまで笑っていた男たちは、一瞬で顔色を失う。
カイルは答えず、腰の薄汚れた鞘から長剣をゆっくりと抜いた。
傷だらけの鎧とは対照的に、その刀身だけは鏡のように磨き上げられ、一筋の曇りもない。
冷たい光が部屋を滑った。
「騎士団のガキを脅したか」
口元がわずかに歪む。
「……楽しそうだな」
誰一人、笑わない。
カイルは何の前触れもなく、部下の喉元へ剣先を突きつけた。
刃先と皮膚の距離は数ミリ。
呼吸で揺れる喉元を前にしても、その腕は石像のように微動だにしない。
その静けさだけで、この男が本物の修羅場を潜り抜けてきた剣士であることが分かった。
「お前らは勘違いしてる」
静かな声だった。
だが、その場の空気は一瞬で凍り付く。
「騎士ってのは、正義の味方じゃねえ」
カイルは窓の外を見た。
遥か彼方、第九辺境騎士団の駐屯地がある方角を。
「力を持った連中が、自分たちの都合で正義を決めてるだけだ。あそこにいる奴らも……昔の俺もな」
脳裏に過る。
王国騎士団。
肩を並べて戦った日々。
そして――ウエス。
何度も自分を庇い、何度も手を差し伸べてきた男。
『まだやり直せる、カイル』
『お前はこんなところで終わる男じゃない』
そんな言葉を吐いていた男が、最後には誰よりも冷たく自分を切り捨てた。
薄暗い謁見の間。
上層部ですら処分を先送りにしようとしていた中で――
『カイル。お前をこれ以上、騎士団に置いておくわけにはいかない』
誰よりも強く除隊処分を進言したのは、ウエスだった。
その隣にはシーンもいた。
『……自分の仕出かしたことだ。ヴァルド。もう言い訳は通用しない』
あの時の二人の目を、カイルは忘れない。
怒りでもない。
軽蔑でもない。
――諦め。
自分という人間を完全に見限った目だった。
カイルは窓を見つめたまま、小さく笑う。
「……ウエスは正しかったさ」
部下たちが顔を見合わせた。
だが、その笑みはゆっくりと歪んでいく。
「だから、許せねえ」
声の温度が、一気に冷え切る。
「俺を裁いたからじゃねえ……俺を諦めたからだ」
その瞬間。
カイルの瞳から、人間らしい感情が消えた。
怒りも、憎しみも、悲しみもない。
残ったのは、底知れぬ虚無だけ。
その虚無は、人のものではなかった。
世界の深淵に潜む――ヴァルグの影。
それが一瞬だけ、その瞳を覗き込んだような、底なしの冷たさだった。
カイルは静かに右手を見下ろす。
かつては人を守るために剣を握った手。
今は奪うために剣を握る手。
「諦められた側の気持ちを……あいつらは知らねえ」
誰も息をしない。
いや、できなかった。
「だから教えてやる」
壁に立て掛けられていた古い盾を蹴り飛ばす。
転がった盾にも、削り取られた王国騎士団の紋章が残っていた。
「自分が守ろうとしてるものが、一つずつ壊れていく時の気持ちをな」
カイルはもう一度、闇の向こうを見据える。
第九辺境騎士団。
ウエス。
シーン。
そして今日、路地裏で震えていた若い騎士。
口角がゆっくりと吊り上がる。
怒りでもない。
愉悦でもない。
美しいものを壊すことだけを目的とする者の、静かな狂気だった。
「ウエスとシーンが育ててるガキどもか……」
獣のような笑いが喉の奥で鳴る。
「さぞ壊し甲斐がありそうだ」
パチン、と乾いた指音が響く。
部下たちの背筋が一斉に伸びた。
「行くぞ」
長剣を静かに鞘へ収める。
金属音が、不吉な終幕を告げた。
「光を消すのは、昔から得意なんだ」
そして最後に、駐屯地の方角へ視線を向ける。
その声は驚くほど穏やかだった。
だからこそ、背筋が凍る。
「待ってろよ、ウエス」
カイルは静かに笑う。
「今度は、お前にも諦める側じゃなく――諦められる側になってもらう」
薄闇の中。
その歪んだ笑みだけが、いつまでも不気味に浮かんでいた。




