母の過ち……そして結束へ
2年前、両親は離婚した。
父親である杉田琢磨は、生来の女癖の悪さにより、優香と結婚前後も浮気を繰り返していた。
だが、結婚生活は終わりを迎えた。
離婚する数ヶ月前に浮気相手の妊娠が発覚したのだ。
それを知った優香は琢磨に裏切られたことに深く傷付き、生まれて初めて大激怒し、揉めに揉めた結果、離婚した。
「花梨がああなったのは、あの浮気相手の女の人が大きくなったお腹でウチにいきなり来て、あんな事言ったのも一つの原因かもしれないね……」
自宅の自室で、佑樹は両親の離婚と、父親の浮気相手が妊娠して大きくなったお腹で自宅に突然押しかけてきた出来事を思い出していた。
しかも、花梨の目の前で「あら、お嬢ちゃんが私のお腹の子のお姉ちゃんなのね?」などと口にしたのだ。
悪びれることなく。
「佑樹ーっ!ご飯よぉーっ!」
階下から優香の明るい声が響いた。
佑樹は部屋を出て階段を降り、リビングに足を運んだ。
「母さん、花梨は?」
「……要らないそうよ。
佑樹、あの子は放って私達だけでご飯食べましょう」
「うん、じゃあ後でボクが花梨に夕ご飯持っていくよ」
「そうして。
ゴメンね佑樹……私、今は花梨と顔を合わせたくないのよ……」
リビングではエプロン姿の優香が少ししかめっ面をしていた。
花梨の姿はない。
今朝の学校での一件をまだ引きずっているようだ。
佑樹は何も言わず、優香と夕食を食べ始めた。
「……ねえ佑樹、あなた少し変わったかしら?」
「変わったって?」
「昨日までのあなたは、いつも私や花梨と目も合わせないで、ずっと部屋に引きこもっていたのに、今日の佑樹は昨日と違って真っ直ぐに私と向き合っていたわね?
普段のあなたは人の目を見て話さないし、ずっと避けていたのに……」
いつも少し鈍い優香でも、息子の変化に気づいていた。
「うん……母さん、ボクはね、もう逃げるのを止めたんだ。
いや、もう逃げるのに疲れたと言った方が良いかもしれないね」
「……」
優香は黙って耳を傾けた。
いつも自分たちから逃げ続け、何も話してくれなかった佑樹が、真剣な顔と眼差しで話してくれたことが、母として心から嬉しかった。
「ボクは父さん、母さん、そして花梨、全てから逃げていた。
怖かったんだ……何もかも全てが。
母さん達よりも自分が傷付くことを強く恐れて……あの日、父さんの浮気相手がやって来て、花梨の目の前であんな事を言ってボクはアイツに何もしてやれなくて、逃げ出してしまった。
最低だよねボクは……人として、兄として欠落していたんだ」
「それは違うわよ佑樹」
優香は箸をゆっくり置き、佑樹を自分の胸に抱き締めた。
「佑樹、悪いのはあなただけじゃないわ。
私も……私も悪いのよ……あの女の人が突然やって来て、花梨にあんな事を言って何もしてあげられなかったわ……悔しかった……あなたのお父さんに……私が鈍いから琢磨さんに振り回されて……結婚する前に、した後にも色んな女の人と……私バカね……どうしてあんな人を選んで……好きになったのかしら……」
佑樹を抱き締めた体を震わせ、涙を流す優香の後悔と悲しみと悔しさを、佑樹ははっきりと悟った。
「母さん泣かないで。
だったら母さんもボクと過去にケリをつけよう。
母さんの悲しみや苦しみ、悔しさ全てをボクが受け止めるよ。
だから母さんもボクの臆病なところも、弱さ全てを受け止めて欲しい」
「……分かったわ佑樹。
あなたを受け止めてあげるわ。
佑樹も私を受け止めて……」
その瞬間、時間が止まった。
佑樹と優香の過去と全てを互いに体感した。
それぞれが互いに全てを受け止めた時点で、親子は結ばれたのだ。
神の心の一つである『魂の結束』。
優香は佑樹と神の心を共有し、息子の永遠の従者となった。
魂の結束が終わり、時間が戻った。
「母さん」
「フフッ、佑樹、あなたの事を何て呼べば良いかしら?ご主人様?それともマスターって呼ぼうかしら?」
「佑樹で良いよ。
ボク達は結束しても、親子に変わりないから」
「そうね、ならそうしましょう。
佑樹、私に何かして欲しい事があったら何でも言ってちょうだいね♪
私は喜んであなたに従うから」
魂の結束により、全て吹っ切れた優香の表情に迷いは微塵もなく、笑顔で息子兼主の佑樹を抱き締めた。
身長差があるにも関わらず、それはまるで恋人同士のような甘く温かな抱擁に見えた。
「母さん、もう大丈夫だよ」
「暫くこうしていたいけど……ダメかしら?」
「別にダメじゃないけど」
「ありがとう……ねえ佑樹、私に何かさせて。
さっきも言ったけど、あなたの命令に喜んで従うわ」
優香の瞳には一点の曇りもなかった。
悲壮感は完全に消え、代わりに穏やかで幸せそうな光だけが残っていた。
佑樹は魂の結束の深さを確かめるため、試すように聞いた。
「母さんのプロフ教えて」
「天音優香、〇〇県出身の19〇〇年〇月〇日生まれの34歳、〇〇座。
血液型はA型。
特技は料理、特にスイーツ全般。
今はパティスリー・ルーンで働いているの。
趣味は猫ちゃん好きで、たまにネコカフェと猫島に行って、そこで猫ちゃんと遊ぶ事……他に何か聞きたい事あるかしら?」
「良いよそれで。
母さん、すごい猫好きなのは知ってるけど、父さんは逆に猫大嫌いだったね」
「そうね。
庭にたまに来る猫ちゃんにご飯をあげようとしたら琢磨さんったら烈火の如く怒っちゃって。
あなたは女の人と好きに遊んでも、私は猫ちゃんと遊んだらダメなの?って言いたかったわ」
「もう父さんは居ないんだし、母さんの好きにしたら良いよ。
ウチに猫連れて来て、母さんが責任持って面倒見るならボクも花梨も反対しないよ。
でもご近所に迷惑かけないようにちゃんと躾けてね」
「良いのね?ありがとう佑樹。
実はこの前、3匹の猫ちゃんがウチの庭に住み着いちゃって……」
「知ってるよ。
庭からたまに猫の鳴き声が聞こえてたから、母さんがその猫達にエサやってたんでしょ?ボク、気になって庭覗いたら、そこにエサ入れが置いてあって、3匹の猫達が仲良く寝てたの見たよ」
優香は嬉しそうに微笑んだ。
「ええ、クロとミケとシロよ。
離婚した直後、心が折れそうだった時に最初にクロが来てくれたの。瘦せていて雨に濡れて震えていて……私、迷わず家に入れて温かいミルクをあげたわ。
それからミケ、シロも少しずつ来るようになって……今ではもう、家族みたいな存在なの」
佑樹は静かに頷いた。
「母さん、猫たちに会いに行こうか」
「ええ、そうしましょう」
優香は抱擁を解き、佑樹と一緒に庭へ向かった。
「ただいま、みんな〜」
「にゃーっ!」
クロが一番に駆け寄り、優香の足に体を擦りつけた。
「クロ、今日も一番に迎えに来てくれたのね。えらいえらい」
ミケが少しツンとした顔で近づき、優香の膝に前足を乗せる。
「ミケも今日は甘えん坊さんね?」
シロは茂みの陰からそろそろと出てきて、優香の指先に鼻を触れさせた。
「シロ、怖くないよ。ほら、こっちにおいで」
佑樹もしゃがんでシロをそっと撫でた。
「母さん、この子たちを守るよ」
「ありがとう佑樹……クロ、ミケ、シロ、大好きよ。
これからもずっと一緒にいてね」
3匹の猫が幸せそうに鳴いた。
優香は猫たちを抱きかかえ、佑樹と深く見つめ合った。
「……愛しているわ佑樹」
「ボクも母さんを愛しているよ」
その温かな時間に、少し離れた場所から二人を覗く人影があった。
花梨は廊下の暗がりに身を潜め、胸が締め付けられるような激しい痛みと苛立ちを感じていた。
(……何なのよ……あの二人……)
心の中で黒い嫉妬が渦を巻く。
(ママがあんな顔……あんな幸せそうな笑顔をするなんて、離婚してから一度も見たことなかった……しかも相手は……いつもゴミみたいなザコ兄貴……!)
胸の奥が熱く焼ける。
怒りと寂しさと、置き去りにされたような喪失感が一気に噴き上がる。
(親子なのに……あんなに密着して、抱き合って……まるで恋人みたいじゃないっ!
私には絶対にあんな顔、絶対に見せてくれなかったのに……!ママ……私よりアイツを……?)
指先が震え、奥歯をギリッと噛み締める。
(ザコ兄貴のクセに!……昨日まではずっと逃げてたくせに、急にママを独り占めして……私を完全に無視して……!ママもママよ……私よりあのザコ兄貴を優先するなんて……最低……)
涙が込み上げてくるのを必死に堪え、花梨は心の中で何度も叫んだ。
(……私だって傷ついてたのに……あの浮気女に「お姉ちゃん」なんて言われた時、一番怖かったのに……誰も守ってくれなかったのに……ママも兄貴も……!)
割り込んで「何してるのよ!」と問い詰めたい衝動に駆られたが、激しい嫉妬と怒りと悲しみで体が震えて動けなかった。
足が床に張り付いたように重く、声も出せないほど胸が苦しい。
「……何なのよあの二人……親子なのにまるで恋人みたいじゃないっ!」
花梨は苛立ちと嫉妬を胸いっぱいに溜め、足音を殺して自分の部屋に逃げ込んだ。
ドアを閉めた瞬間、ベッドに突っ伏して枕を強く握りしめた。
(絶対に……許さない……兄貴……大嫌い……大嫌いっ……!)
そう思いながらも、心の奥底ではちっぽけで哀しい願いが疼いていた。
私も……あんな温かい場所に……入れてほしいよ……。




