9話 元国民的子役、現れる。
「あれ?イツキなんか今日いい匂いじゃない?」
いつも通り教室で机を囲んでいると、浦原がスンスンと鼻を鳴らして問いかける。
「別に普通だろ」
「なんだろ。アロマ系?ウッディな香り」
と言われてギクリとする。別にやましいことなど何もないのに。ただこないだ十和子から貰ったアロマスティックを部屋に置いただけだ。
「あ、あー。アレか。うちの母さんが最近買ってきたやつかな。多分。きっと。絶対そうだ」
無理やり納得させるように頷いて断定させるも、浦原は疑いの眼差しを向けてくる。そして、一緒に机を囲むもう一人の友人――羽村はニコニコと意味ありげな笑みを俺に向けてくる。
「こないだの子?」
「いや違う。全然違う。何を言っているのかすらわからない」
羽村の言葉に浦原が食いつく。
「え。待って。なに、こないだの子って。あたしそれ聞いてないんですけど」
「イツキ、言っていい情報?」
「もうその時点でどっち答えてもアウトだろ。好きにしてくれ」
浦原は身を乗り出して羽村に詰め寄る。
「だって。はい、なに?」
「イツキがこないだ校門のとこでモデルみたいにきれいな子と待ち合わせてたって話」
「うそっ」
「はい、フェイクー。待ち合わせてはいませーん。向こうが勝手に来ただけですー」
「そんな細かいことはどうでもいいかなぁ」
「彼女?彼女なの!?」
俺は苦々しい顔で、キラキラした瞳の浦原を見る。
「そんなわけない。幼馴染だよ」
「そっかぁ〜、そんなきれいな幼馴染がいるなら告白されても断っちゃうかぁ〜」
「あのな」
俺はスマホを取り出して、柊ワコの画像を見せる。俺のスマホは言うまでもなく、待受からしてすでにワコの画像だ。
「これ以上説明要るか?」
浦原は不満げに目を細め、ストローを噛みつつ頬杖をついて、画面のワコを指差す。
「その子も知ってんの?イツキのワコ狂い」
「そりゃもちろん。付き合い長いからな」
「へっえ〜」
「……『ワコ狂い』はさすがに否定しようよ」
呆れ顔の羽村をよそに、浦原はニッコリと笑顔で手を差し出してくる。
「写真は?ないの?」
俺は得意げな笑みとともにスマホを浦原に差し出す。
「俺のスマホにワコ以外の写真が入っているとでも?」
「え~、写真ないの?超見たいのに。幼馴染ちゃん。会わせてよ」
「やだ。無理。断る。断る。超断る」
――放課後。
「あのー、十和子さん?わざわざご足労いただくのも心苦しいので、今度からは私が最寄りまで伺わせていただきますよ」
駅の裏で待ち合わせた十和子に丁重にそう告げると、黒いマスクをした十和子はいぶかしげに、疑いの眼差しを向けてくる。
「はぁー?怪しい。なによ、それ。何のたくらみ?」
「いえ、ね。正直に申しまして、学校で噂になって困るんですよ。モデルみたいな美人が待ってたってね。俺にも一応平穏な学生生活ってのがありましてね」
「あっそ。で、なんて答えたの?」
「別に普通だよ。幼馴染」
「ふーん」
十和子は顎に手を当てて少し考えると、独り言のように呟く。
「また行かないとダメかぁ」
「なんでやねん。来んなよ」
そして、電車に乗ること10分。俺は再び十和子のマンションを訪れる。今日は待ちに待った納品日。柊ワコLive2Dアバター・簡易版の納品日なのだ。
「17時に約束してるから。急ご、急ご」
配送で物理的に届くわけでなく、クラウドストレージのURLが送られてくるだけなので、本来急ぐ理由なんてどこにも無い。
そんなことはわかっていながらも、俺も十和子も足早に帰路に着く。まるで、子供の頃テレビ番組の始まる時間を楽しみにしていたような、少し忘れかけていたワクワク感と高揚感を胸に、二度目の十和子の家を訪れる。
「何時?」
「あと15分。余裕」
時計は夕方4時45分。約束の時間まであと15分。
「依頼したモデラー?の人。うーろんさんって言うんだけど、柊ワコのファンだったんだって」
エレベーターの中で十和子は嬉しそうにそう言ったが、俺は無意識に眉間にしわが寄ってしまう。
「へぇ。『だった』、ねぇ。本人に言うんじゃねぇよ、そんなの」
「あ。言葉尻。よくないよ、そういうの」
十和子が発注した超高額なワコのアバターの納品は大まかに三回に分かれている。まず一回目、口の動きやまばたきが連動できる簡易版。いうなれば、ワコver0.5。二回目、約ひと月を目途により細かくパーツ分けをして、手や身体の向きも連動できるモデル。それがワコ1.0。最後は、表情の差分や細かな指の動きまで再現できる完成系『ワコ2.0』。最終的な納品日は三か月後と言われている。
アバターがないことには配信ができない。だけど、三か月も待っていられない。そんな折衷案がこの段階的納品だ。もちろんこれも高額な発注の理由でもある。
前回来た時と違って、椅子が一脚増えた十和子の部屋。パソコンの前で17時を待つ。
やがて17時。律儀にも丁度にメールが届き、そこにはクラウドストレージのURLが記されていた。
十和子は意外にもスムーズなタイピングでお礼のメールを打ち、URLからファイルをダウンロードする。俺も、十和子も無言でダウンロードバーの進捗を見守った。
85%……、88%……、91%。ダウンロードは進む。
ただ発注した2Dアバターをダウンロードしているだけなのに、それだけなのに何かが始まったような錯覚を感じてしまう。きっと、十和子も同じことを考えているんだと思った。
「100パーセント」
十和子は興奮を抑えきれないような表情で俺を振り返り、にひっと笑う。
「手伝い、要る?」
「ううん、大丈夫。ちゃんと調べてるから。ありがと」
頼もしい言葉通り、十和子は予めインストールしてある表情連動用のソフトを起動して、そのフォルダに解凍したてのアバターファイルを落とし込む。
そして生まれたアイコンを、カチカチっとダブルクリック。
――瞬間、画面の中に柊ワコが蘇る。
背中を向けている十和子の表情は見えない。だけど、俺の描いた元イラストの通りに、画面の中のワコは微かに身体を揺らしながら、小さく微笑んでいた。
「ねぇ、イツキ。ちょっとお風呂場行ってくれる?スマホ持って」
「え……、あぁ。わかった」
理由はわからないが、言われるままに浴室へと移動する。
『着いたぞー』
メッセージを送る。すると、即座にビデオ通話の着信が鳴る。
通話を押す。
すると、画面には柊ワコの姿が映る。
「こんばんは~、イツキくん!お久しぶりぃ!いつも応援ありがとう、柊ワコです」
画面の向こうでは、昔みたいな顔で、声で、楽しそうにワコが話していた。
「あれ?回線重い?動かないねぇ。もしも~し、イツキく~ん?」
まだ簡易版のアバターでもわかるくらい、太陽のような明るい存在感。
「……悪い、切るぞ」
「えっ!?ちょっ――」
目元を拭いながら、終了ボタンに触れる。
その場にしゃがみこんで小さくため息をつく間に浴室の扉が開く。
「急に切るの、ひどくない?」
腕を組みながらあきれ顔で、だけどどこか少し嬉しそうに十和子は俺に苦言を呈した。俺が目元を拭ったことにも気づいていたのだろうけど、そこには触れずに。
「だから『悪い』って言っただろ。すごいな、あんなこともできるんだな」
「ふふ、でしょ?ちゃんと勉強したんだから。意外に簡単だよ?ビデオ通話のカメラのところを、あのソフトのバーチャルカメラを選択すればいいんだもん。どう?……ちゃんと、ワコはいた?」
コクリ、と頷く。十和子は一瞬間を置いてからクスリと笑い、俺にピースサインを向けてくる。
「よかった」
なんとなく悔しいのでチョキにはグーを、と右こぶしを差し出す。すると、十和子の指は開いてパーになり、俺の右手を優しく包む。
「あは、また勝っちゃった」
「……後出しだろ、それ」
十和子は、ワコに命を吹き込んだ。それを世界が知るのは、もう少しあとになる。




