72話 何度だって、させるから。
春になり、俺たちは高校二年になった。
ヴァルプロ騒動も一段落して、時鳥さんは今までと変わらずテレビに出まくっている。
鷹屋敷四段も棋凰戦決勝トーナメントで快進撃を続けていて、その右手の駒ネイルはもはや彼の代名詞になりつつある。
トワコンチャンネルもいうまでもなく順調そのもの。翌日に仕事や学校を控える日曜九時という今までなら憂鬱そのものであった時間は、今や『#日曜九時』として、多くの人に楽しみにされる時間帯に変化した。
チャンネル登録者は90万人を超えている。去年の六月に二人で始めた、登録者1名から始まったチャンネルは、今や100万人目前だ。
そして、今日は4月14日。十和子は誕生日を過ぎて17歳になったけれど、ワコは今も10歳のままで、今日も元気にネットの海で笑っている。
「母さんごめん、今日夜遅くなるから。具体的には深夜2時くらい」
朝食を食べながらそう告げると、母さんはいぶかしげに眉を寄せる。
「答えは決まってるけど、説明くらいしなさいよ」
「夜0時過ぎから十和子の出るドラマがやるんすよ。『真夜中ガラクタオーケストラ』。それ見てから帰る」
そう告げると、母さんも楽しそうに微笑む。
「それは絶対一緒に見てきなさい。命令。っていうか、あんたいい加減歩いて帰ってくるのやめなさいよ。お給料もらってるんでしょ?」
「まぁ、それなりにはもらってますがね」
そんなやり取りをして学校へと向かう。二年に進級して、俺と羽村と牧野さんは同じクラスになり、浦原は二つとなりのクラス。週に何回か一緒に昼を食べて、十和子やワコの話をする。
学校を終えると、十和子のマンションに向かう。
この春から、十和子は仕事で学校を休むことも増えてきて、俺は合鍵を貰った。まだ自分の気持ちも伝えていない俺には、少し重い鍵。
だけど、それをいつ伝えるかは、もうだいぶ前から決めていた。
大体会社の仕事も十和子の部屋でやることが多い。作業に没頭していると、ガチャガチャと玄関から音がして、主が帰宅する。時刻は午後九時を少し回る頃。
「ただいま~」
「お疲れさん」
一応労働を労ったつもりなのだが、十和子はぷんぷんと頬を膨らませながらぼふっとソファに身を預ける。
「お疲れさんじゃなくて、おかえりでしょ」
「だって俺の家じゃねーもん」
十和子は子供の様に足をばたつかせる。
「おかえりって言ってよ~」
「へいへい、おかえり。今日は何の仕事だったんだ?」
聞くだけ無駄とわかっていながら聞いてみる。十和子はやはりいたずらそうににひっと笑う。
「ん?秘密」
見てのお楽しみ、というわけだ。
「あ~、やっぱりマネージャーさんいないと色々不便だな~。誰かやってくれる人いないかな~。気心の知れた人いないかな~」
これ見よがしにチラチラと俺を見ながら催促をしてくる十和子。答えは当然ノーである。
「あのな、同年代の男性マネージャーなんてどう考えても要らぬ邪推を招くだろうが。そうだ、浦原とかいいんじゃないか?」
無責任に提案をしてみると、十和子は意外にも首を横に振る。
「めぐるちゃんは看護師さんになるんだからダメ」
「マジか、初耳なんだけど」
学校が違おうが、忙しくなろうが、二人の交流が続いていることに他人事ながら嬉しく思う。
夕食を一緒に食べて、後片付けをして、午前0時を待つ。
放送開始は0時15分。番宣とかで目にしてしまうのも嫌なので、直前までテレビは点けない。映画鑑賞をするかのように、飲み物とポップコーンを用意して、部屋の照明を半分落とす。ドラマが始まったら暗くする。
俺と十和子は、ソファに並び、緊張の面持ちでその時を待つ。
――やがて、その時が来る。
単発深夜ドラマ・『真夜中ガラクタオーケストラ』。
あらすじも、登場人物も何も見ていない。完全な初見だ。
主人公は、高校生二年の少女・いすず。ケガで部活を引退してから学校に居場所がなくなり、夜な夜な人気のない街を散歩することが日課になってしまった少女だ。眠れないので、疲れるまで歩いて、眠る。走ることはできない。
「いすず役の女優さんは三歳上。すっごいいい人だったよ」
ドラマの邪魔にならないくらいの声で十和子が呟く。十和子にかかれば誰でもすっごくいい人になってしまうのだろう。
暗い室内で、テレビ画面の明かりのみが室内を照らす。
当てもなく街を歩くいすず。ある日の深夜、月明かりの夜。一人の少女と出会う。
闇夜に溶ける黒い髪。その少女の後ろ姿が画面に映っただけで、俺は目を奪われてしまう。やがて少女は振り返り——、そして微笑む。
『こんばんは。いい月夜だね』
目も、耳も、心も、画面に引き寄せられる。
隣で、ズッと鼻をすする音が聞こえて、俺の意識は現実へと戻る。隣を見ると、十和子はポロポロと涙を流して、目を擦っていた。
「もっ……、もうっ――」
声にならない涙声で、十和子は言葉を続けた。
「その目を、……向けてもらえないと思ってたぁ」
十和子はそう言って、俺の目もはばからずに泣きじゃくった。画面で涼しい顔をしている十和子とは別人のようで、両方十和子だ。
「あのさ」
呼びかけると、泣きじゃくる十和子は視線だけ上目に俺を見る。
「……一目ぼれ、って信じるか?」
我ながら照れくさいことを言っている自覚がある。だけど、今日でなければいけない。今でなければいけない。
「あの日以来、二度目の一目ぼれだよ。幼稚園の頃からずっと、十和子からワコになっても、どっちも、ずっと……ずっと好きだった」
どっちも好きでいい。それは、ワコが教えてくれたことだ。
ポケットから取り出した、古びた小さな便箋。それを十和子に手渡す。十和子は目を丸くして、涙もピタリと止まっていた。
幼稚園の頃に書いて、ずっと渡せなかった。相手が国民的子役だろうと、同じ子供だろうと、新人女優だろうと、本当はそんなこと関係なかった。俺は馬鹿だからそれを知るまでに十年以上の時間が掛かってしまった。
古くてクシャクシャなその便箋を、十和子は丁寧に開く。そこには覚えたてのひらがなで、赤いクレヨンで、たった二文字、大きく『すき』と描かれていた。
十和子は涙を堪えるように口を結んで、コクリと一度頷く。もう一度、もう一度と、頷いて、涙で濡れた瞳で、挑戦的な視線を俺に向けながら、俺の手を握る。
「これから、何度だって一目ぼれさせるから。私も、ワコもっ」
テレビの光に照らし出されて、涙で輝くその瞳に危うく三度目の一目ぼれをしそうになったけれど、それは今は言わないでおこう――。




