68話 時鳥梓の敗北。
◇◇◇
日曜九時包囲網もものともせずに、トワコンチャンネルは数字を伸ばし、百万人宣言のコラボ相手が梓であろうことはネット界隈ではもはや周知の事実と言える。
かつて国民的子役と呼ばれたワコと、畑は違えど同等の存在感を示しつつ、今やトップタレントとして君臨する梓。その二人の関係性にストーリーを感じた双方のファンは百万人達成を後押しする。
それは十和子の望んだ結果ではないかもしれないが、登録者も、メンバーシップも雪だるま式に増えていく。
クリスマスが過ぎて、年が明けて、一月も半ばが過ぎる頃。自称100個あると言うSNS裏アカを駆使して、梓は元ヴァルプロ所属の芸能人や、不自然なほど急に芸能界から消えた人々を調べ、情報を集め、時には接触を試みた。
その多くが女性だった。
業界最大手事務所という巨大な傘の下では見えなかった、不自然な事実。芸能界は厳しい世界。弱肉強食。そんな言葉で納得させられていて、納得していた自分の愚かさを今更思い知る。
ネット情報だけを鵜呑みにする訳にはいかない。できる限り本人の話を聞きたい。証拠があるとは思えない。証言だけでどうなる問題なのだろうか?仮にヴァルプロが悪いとして、——大好きな芸能界に、どうすればまた大好きな十和子との遊び場を作れるのか?
厳選した興信所に大枚をはたいて、週刊誌の記者を装って接触してもらう。本当は自分で話を聞きたいが、学校に行く間もない梓にとってそれは現実的ではない。
それでも、他人事でいたくはないから、その中の一人、二人とは梓自身も直接会って、話を聞いた。
指定したホテルの一室で、興信所の男性立会いで、梓より一回りと少し年上の元女性タレントと待ち合わせる。彼女は梓を見て驚き目を丸くした。
「時鳥……梓ちゃん!?」
いつもであれば『梓ちゃんで~っす』とでも言いそうなものだが、サングラスを外した梓はニコリとほほ笑んでただ頷いた。
「お話、聞かせてもらっていい?」
話は大体想像した通りだった。ヴァルプロ社長の神原。世の中が芸能界に想像するような、歪で、醜く、悍ましい噂話通りの話。幼少期から今に至るまで、芸能界の光をさん然と浴びて過ごした梓には無縁で他人事だった話。
本人の許可を取り、興信所の男性がそれを録音・記録する。
梓は微笑みを絶やさずに彼女の話を最後まで聞いた。
「……あなたは、いったいどうするつもりなの?」
微笑みは笑みに変わり、怒りは表情に出ることなく、その瞳にのみ宿る。
「どうするって、あたしはただ、大好きな友達と遊ぶ場所を守りたいだけ」
証拠はない。証言だけでは戦えない。次の一手——、と考えている二月の頭、梓はヴァルプロ社長・神原主税に呼び出しを受ける。
豪胆で豪放磊落なワンマン社長。お気に入りとそれ以外では露骨に態度を変える彼からの呼び出しは、多くの社員や所属タレントにとっては出頭要請に近い意味を持つ。
——だが、梓にとってはその限りではない。
「おはようございま~っす。社長、お呼びっすかぁ?」
ニコニコと向日葵のような笑顔で、梓は重厚な古木の扉を開いて社長室に入る。
一目で社長席とわかる高級椅子に座った神原は梓を見るとその強面を綻ばせながら両手を広げて迎える。
「おう、梓!今日も元気だなぁ、お前は」
「普通っすよ、普通~。あはは」
軽く笑って返して、二人はパチンとハイタッチをする。ヴァルプロには多くのタレントが所属しているが、こんな距離感で神原と接するのは梓だけだ。
室内には神原の他に女性秘書が一人控えていて、部屋に用意された応接テーブルに菓子を並べ、茶を振舞い梓をもてなす。
「なんか用っすかぁ?ん、このお菓子うまいっすねぇ」
断りもなくお菓子をほおばり、ほおばりながら梓は神原に問う。
「がはは、さみしいこと言うなよ。用がなきゃ呼んじゃいけねぇっていうのか。最近どうだ?なんか面白い話ないか?」
「面白い話ねぇ。毎日全部面白すぎて逆に難しい質問なんだけど」
難しい顔で腕を組んで頭を捻る梓を見て、神原も満足そうに笑う。
「まぁ、そう言うな、あんだろ?面白い話——」
笑顔の神原、目だけは一切笑っておらず、梓を見下ろし言葉は続く。
「あんだけ探偵雇ってなんか調べてんだからよぉ」
「ありゃ、バレてたか」
さすがに梓も苦笑い。梓とて神原を凡愚とは思っていない。相手は一代でヴァルプロを業界最大手にした傑物だ。
「社長、なんか証拠ないですか?」
すべて見透かされている前提で、臆さずそのまま切り込む梓。神原は大笑いだ。
「っはははは!本当面白いやつだな、お前は。ほれ、こんなもんでどうだ?」
応接テーブルに秘書から受け取った茶封筒を無造作に投げる。
「……なんすか、これ」
若干嫌な予感はしながらも梓は封筒の中身を取り出す。そこに入っていたのは写真週刊誌のゲラ刷り。
——『今やチャンネル登録者70万人超!元国民的子役柊ワコを蘇らせた男性プロデューサーとの“特別な関係”』
そんな見出しと共に薄くぼかされた男性と寄り添いマンションに入る笑顔の十和子。隣の男性は当然イツキである。
「なにこれ」
笑顔の消えた梓を見てご満悦の様子で、神原は自身の顎に触れながらわざとらしく説明を加える。
「面白いだろ?柊ワコ、初スキャンダル。来週には全国のコンビニや本屋に並ぶらしい。わはは、ワイドショーでもたくさん取り上げられそうだなぁ」
梓は怒りに手を振るわせながら、神原を見上げる。
「これは……ズルくない?」
「ワシに言われても困るわ。全く、写真週刊誌のやつらの節操の無さと言ったら無いよのう。それに、往々にしてこいつらは二の矢、三の矢と撃ってくるから始末が悪い。可哀想になぁ、せっかく新しい活動も軌道に乗ってきたのになぁ」
写真は本物。見出しも完全に嘘というわけでは無い。ただし、読者の感情を扇情的に誘導するのが目的の悪質な切り抜き。それは真実である必要はない。一時的に、面白おかしく世間を騒がせれば勝ちだ。
書かれた人間のその後の人生などなんら彼らには関係がない。
「こ、これ見てあたしにどうしろっていうんですか?」
「別に?ただ来週これが表紙に載った本が大量に売られるなぁって世間話よ。たくさん売れるだろうなぁ、これなら。わはは、いい顔しとるわ」
ゲラ刷りでは十和子が幸せそうに笑っている。文化祭で十和子は言った。——好きだよ、と。
幼い頃から彼らが遠回りして育んだ物語が、こんな汚い手段で汚されてしまうと考えると、怒りで頭が沸騰しそうになる。
できる限り感情を表さないように、梓は口を開く。唇は、震えていた。
「これ、……止められますよね?社長なら」
それは事実上の敗北宣言。
神原はゆっくりと頷いて、無造作にテーブルの菓子を掴んで口に放り込む。
「まぁな。かわりの餌をねじ込んで黙らせるくらい訳ないわ。ただ、そうなると手間賃代わりにちょろっと一筆書いてもらわにゃいかんがな」
秘書に目配せをすると、用意された書類が一枚梓の前に置かれる。高級そうなペンが傍に添えられて。
その書類は芸能事務所とタレントの間で交わされる専属マネジメント契約書。それ自体は一般的な契約書だ。梓はそれに視線を落とし、しばらくして顔を上げる。
「なんですか、これ!?……契約期間20年!?マージンは9対1!?こんなの許される訳ないじゃん!」
いわば奴隷契約とでも言うような劣悪な契約書。梓が声を上げるのも当然だ。だが、神原はそれすらも楽しみとばかりに涼しげに笑う。
「おぉ、そうか。もちろん無理にとは言わんよ。じゃあ今まで通りの契約で、これからもうまくやっていこうじゃないか。わはは、頼むぞ梓」
断ればどうなるかは明白。だが、受ければ少なくとも20年間は十和子と共演できない未来が確定してしまう。
「……卑怯ですよ、社長」
「ワシは何にも言っとらんじゃろ。どっちでもいいと言ってるつもりだがな。まぁ——」
神原は冷たい笑みで梓を見下ろす。
「猿回しの猿が飼い主に噛み付こうとしたんだ。少しは躾けてやらんといかんじゃろ」
猿回し——。今まで楽しく駆け回った芸能界自体をバカにされた気がした。
「その発言、……表に出たらまずいのでは?」
なんとか言葉を絞り出すも、神原の余裕は崩れない。
「お、そうか。じゃあワシと争ってみるか。わはは、ワシの50年とお前の10年、どっちが重いか力比べといこうじゃないか」
梓は悔しさに顔を歪めて歯噛みする。もう少し露見が遅ければ——、と思いもするが、それでどうこうできる相手か?と自答してしまう。
それを見透かすような表情で、神原は指を三本立てる。
「まぁ、そう焦ることはない。三日やろう。ワシは本当にどっちでもいいから、しっかりと考えるんだな。おっと、ちゃあんとご家族に相談するんだぞ?わはは」
神原は得意げにそう笑い、梓は書類の入った封筒を手渡されると、激励されるようにぽんぽんと肩を叩かれて退室する。
自惚れでなく、自分には力があると思っていた。そのどれもが、神原の掌の上であることを知った——。
帰り道は、雨が降っていた。
考える。どうすればいい?今自分に起こったことを洗いざらいメディアの前で話す?——メディアは相手の独壇場だ。
生放送で暴露する?——そんなことをすれば、自身と十和子の遊び場はもう二度と戻らない。
考えるたびに袋小路に陥る。梓の勝利条件は神原の失脚のみではない。自分がやったと十和子に知られれば、十和子は気にしてしまうだろう。
『あたしは、トワコとの遊び場を守りたかっただけだ』
立場やキャリアの危険を賭してまでそれをすれば、十和子は引け目を感じてしまうかもしれない。
だから、梓の勝利条件は、自分が関わったと知られずに神原を失脚させることなのだ。写真週刊誌が出回るよりも早くに——。
そんな無理難題。考えても答えが出ずに、時間だけが過ぎていく。
気づけば、日曜日の午後十時を回っていた。
『どうかした?大丈夫?』
十和子からのメッセージが届く。生配信を逃したのは、初めてのことだった。
『げぇ!寝てたぁぁあ!ごめぇん!』
そう返信をしたが、誤魔化せているだろうか?
時間がない。二者択一ならどっちを選ぶかなんて、最初から決まっている。
それでも、十和子と並んで立つ日を諦めたくはない。——それが、20年後のことだと思うと、自然と涙が滲んできた。
夜十時過ぎ、外は雨。梓の足は自然とそこに向かっていた。
タクシーでもなく、徒歩で、傘をさして、来訪するには迷惑と言える時間に、梓はインターフォンを鳴らす。
そこは、鷹屋敷圭の実家だ。
母に呼ばれて鷹屋敷は出てくる。迷惑そうに眉を寄せて。
「あの、僕明日対局なんだけど」
傘をさした梓の肩は濡れ、泣きそうな顔で申し訳なさそうに笑った。
「ごめん。知ってる。……けど、もうあたしじゃどうしたらいいかわかんないんだぁ」




