66話 天才棋士とトップタレント、元国民的子役と寄せ書きをする。
◇◇◇
「名人、見てごらん。名人だよ」
——都内某所にある、十和子たちの通う高校の芸能科。
梓は禅問答のような言葉と共に、教室の隅の自席でスマホを操作する鷹屋敷圭に向けてスポーツ新聞の裏一面を広げて見せる。そこには鷹屋敷の対局姿に添えられた『鷹屋敷四段、神の一手!』の文字。
当然、鷹屋敷の視線はスマホに映る盤面から移ることはなく、梓は笑顔でスマホと鷹屋敷の視線の間に新聞を潜り込ませる。
「ほら、名人。ここにいるよ」
「ちょっと、梓」
梓の物言いに笑いをこらえながら、十和子は手を引き止めようとする。
目の前の盤面が消えたことで、鷹屋敷はいつも通り現実世界に戻ってくる。
「あ。時鳥梓さん、柊木十和子さん。おはよう」
「もう昼だぜ、おぼっちゃん。それより見なよ、この新聞。また勝ったんだね。ほら、神の一手だって。すごいねぇ、よしよし」
「神の一手?」
梓は頭を撫でようとするが、鷹屋敷は珍しく不満げに眉を寄せながら苛立ちを露わにしたので、その手はピタリと止まる。
「昨日の対局のどこにそんなものがあったって言うんですか?有ったのは僕の無様な読み抜けから起こった敗着寸前の劣勢と、相手の読み間違いだけでしょう。結果、僕がおめおめ勝ちを拾った。それのどこに、神の一手なんかあったんですか?ねぇ、時鳥梓さん。僕が見えていないだけですか?」
「あ、えへへ……。ちょっと梓ちゃんにはわかんないかなぁ。この新聞に書いてあるだけで」
冷静な言葉ながら滲み出る重圧に、梓は苦笑いでスポーツ新聞をひらひらと揺らす。
「なら貸して下さい。文句言わなきゃ。何新聞です?そんな嘘書いてるのは」
真面目な顔で梓の持つ新聞を奪おうと鷹屋敷は手を伸ばす。
「うわわっ、こいつマジだっ。またネイルしてあげるから、カスハラやめろっ!」
「本当に?」
意外にもその言葉で鷹屋敷はピタリと止まる。
「なら今度角は親指がいいな。飛車は小指で」
「おっけー、おっけー。そのこだわりはよくわかんないけど、とにかく梓ちゃんに任せとけぃ」
無責任な言葉と共に、梓は両手でガッツポーズを見せる。
「つーかさ、名人動画投稿しないくせになんでチャンネルなんか作ったん?トワコに憧れちゃった?」
早速鷹屋敷の爪にネイルを施しながら梓が問う。
「僕じゃないよ。妹に勝手に作られたんだ。チャンネル作って早くワコさんとコラボしろって」
「え、妹さんも見てくれてるんだ。嬉し~」
「トワコ、サインあげたら?」
「喜ぶと思います」
「おっけー。何に書く?」
十和子の言葉に鷹屋敷はなにかを思いつき、リュックを開く。そこから現れたのは十枚程度の色紙とサインペン。
「ちょうど連盟に揮毫頼まれてたんだった。これに書いてください。妹と、僕に」
「僕にぃ!?」
梓が驚きの声を上げると、鷹屋敷は申し訳なさそうに十和子を見る。
「あ。図々しかったか。じゃあ妹だけで」
「梓!余計な茶々入れないでよ。鷹屋敷くん、全然気にしなくていいから!妹さんの名前は?……っていうか、これ使っていいの?仕事用じゃないの?」
「別にいいよ。陽菜。鷹屋敷陽菜」
「ひ・な・ちゃ・ん、へっと」
さすがに手慣れた手つきで十和子は崩した文字で『柊ワコ』とサインを描く。
「次鷹屋敷くんのね」
「トワコ、次あたしね~」
「はぁ?梓は別にいらないでしょが」
と、梓に苦言を呈しながらペンを進める十和子の手を鷹屋敷が制する。
「あ。名前」
「名前?字間違ってた?」
「『鷹』むずいもんねぇ。大体合ってりゃよくない?」
十和子が問い返し、梓は無責任にケラケラと笑う。鷹屋敷は色紙の空いたスペースを指さしながら大真面目に言葉を続ける。
「いえ。字は合ってるよ。そうじゃなくて、僕の分は柊木十和子さんのサインをください。僕が最初に見たのは柊木十和子さんなので」
十和子は息を呑み、涙腺が緩まないように顔を強張らせ、梓はネイルを施す手を止めて真顔で鷹屋敷を見る。
「え?名人やっぱりトワコ好きなの?」
鷹屋敷は当然とばかりに首を縦に振る。
「えぇ。それはもちろん」
一切の照れもなく答えたその言葉に、梓とトワコの驚きの声が重なる。
「えぇっ!?」
驚く二人に鷹屋敷は不思議そうに首を捻る。
「そう驚くこと?柊木十和子さんは優しいしすごくいい人だ。好ましく思うのはそんなに変かな?」
その物言いに疑問を抱く梓は自分を指さして問いを返す。ネイルはすっかりそっちのけだ。
「じゃあ梓ちゃんはぁ?」
「時鳥梓さんも好きですね。明るくて楽しいし、爪に駒描いてくれる」
またもやサラリと答える鷹屋敷。
「こっ……告白されちゃったんだけどぉ!?あたしにはトワコがいるのに!ねっ!?」
梓は色めき立ち十和子に同意を求めるが、十和子はニコニコと微笑みするりとかわす。
「いるかなぁ?」
梓は上機嫌でニコニコと鷹屋敷に笑いかける。
「んっふふ~。あたしもサイン書いたげよっか?」
「え?なんでです?」
「こんにゃろ」
それを見ていた十和子はピンと閃く。なんてことのない思い付き。でもそれは、十和子に天啓のように響いた。
パン、と両手を鳴らして、輝く瞳で、十和子は二人を見る。
「ねぇ!サイン書こうよ、……三人で!」
その十和子の表情を、梓は本当に嬉しそうに眺めて口を弛める。
「いいねぇ、書こっ」
「え?なんでです?」
「いーから、黙って書けっ」
一枚の色紙に、三人で順番にサインを記す。
十和子と梓は、寄せ書きのように楽しそうに、鷹屋敷のスペースを残して、カラーペンも使って真っ白な色紙を彩る。
最後は鷹屋敷の番。普段から色紙や扇子に揮毫している彼は、棋士を目指した頃から書道も習っていたようで年齢不相応に字が達者だ。本来は左利きで、筆だけは右で持つ。
色紙に筆ペンを乗せながら、鷹屋敷がぼそりと呟く。
「僕は将棋が好きなので、もう棋士にもなれたので、高校に行くのなんて本当にただの時間の無駄だから本当に嫌だったんですよ。お母さんがどうしても行けっていうからしょうがなく入ったんだけど――」
『だった』、そんな言葉をしっかりと拾いながら、十和子も梓も鷹屋敷の言葉を待ち、鷹屋敷は色紙から顔を上げずに独り言のように口を開く。
「僕の読みが浅かっただけだった」
普段と変わらぬ彼の表情。ほんのわずかに口元にその感情が表れているような気がした。
「いひひ、楽しいでしょ?」
梓がニッコリと笑う。顔を上げた鷹屋敷は眉を寄せて困惑した表情で言葉を返す。
「え?なんでです?」
「なんでもくそもねーだろうがよー」
そんな三人のやり取りを、少し遠めにクラスメイトの毬谷が眺めていて、その視線に梓が気付く。
「お?まりやんどした?この色紙欲しい?あはは、高いよ~?」
「ちょっと。早速売るな」
毬谷は苦々し気な顔で、チラリと一度十和子を見る。
「……私らは仕事奪い合ってるライバルだろ。仲良しこよしなんて意味ないんだよ」
十和子と梓、そんな二人と同年代の子役として、毬谷もここまで生き抜いてきた。仲のいい子もいた。その子は毬谷がオーディションに受かった喜びを伝えたら裏で陰口をささやいた。
十和子は自分を指さしながら首を捻る。
「私テレビ出てないから競合しないよ?」
「トワコ、まりやんも最近チャンネル始めたんよ。ほら」
ひそひそとささやいて、スマホを操作して動画チャンネルを見せる。
「あっ。本当だ。もう登録者10万人!すっご~」
十和子はパチパチと拍手を贈り、それが毬谷を苛立たせる。
「……嫌味かよ。あんたはもうすぐ50万人だろ」
早速自分のスマホでチャンネル登録をしながら、十和子は笑う。
「そうだよ。でも、関係なくない?毬谷さんを見たいって思ってくれてる人がそれだけたくさんいるのは変わんないんだから」
一切の悪気も皮肉も屈託もないその笑顔に、毬谷は毒気を抜かれてしまう。限られたパイの奪い合い、椅子取りゲーム、数字がすべて、そう思って、生き馬の目を抜く芸能界を生き抜いてきた。
毬谷の表情を見て、梓はにひっと意地悪そうに笑いスマホを見せつける。
「数字で殴り合いたかったらあたしと電話帳バトルする?」
「しねぇよ。……そんなのなんの意味もない」
そう言って毬谷は教室を出る。
一転、梓はニッコリと笑顔で十和子にスマホを向ける。
「残念っ。じゃあトワコ!電話帳バトルしよっ」
「え、やだけど。なんの意味もないじゃん」
「意味のあるなしじゃないの~!ただあたしが数字でマウントとって気持ちよくなりたいだけなの!」
「最低な告白ね」
「お願い!お願い!ほら、すぐ終わるから!ちょっとだけ!」
「しょうがないなぁ……。はい、782件」
差し出されたスマホを見て、梓は得意満面で自分のスマホを差し出す。
「はい、勝ち確~。5124件でしたっ!」
予想だにしない数字に十和子も驚き目を見張る。
「多すぎない!?」
「ふふん、でっしょ~?あ~、賞賛の声気持ちい~」
まるで日光浴をするかのように、椅子に背もたれをした梓はリラックスした声を上げる。
「褒めてないから。絶対覚えられないでしょ、こんなの……」
その言葉は梓の想定内。
「お?言ったね?じゃあ言ってみなよ」
そう言ってスマホを十和子に渡す。
「え、えーっと……。じゃあ、足利さん」
「制作会社の部長さん~」
「じゃあ……、伊刈さん」
「テレビ東都の小道具さん~」
言葉通り、驚くことに梓は実際にそのアドレスの主を記憶していた。
一通りテストが終わると攻守交替。
「そういうトワコこそ覚えてるのかな~?覚えてるよね?800件くらいだもんね」
「……当たり前でしょ」
むっとしながら負けず嫌いの十和子もスマホを差し出す。
「さ~って、だ・れ・に・し・よ・う・か・な~」
楽しそうに画面を眺める梓。スクロールした先に『神原社長』の文字を見つける。――それは、梓の所属する業界最大手プロダクション・『ヴァルハラプロモーション』の社長である神原主税の名前。
梓は笑顔で電話帳バトルを再開した。いうまでもなく、無益な戦いである。




