64話 閑話・光が照らした光の影
◇◇◇
『すっご。あの子、テレビのひとみたいだね』
――年中組のお遊戯会で、星のように輝く瞳で、鳴りやまない拍手とともに、彼はそう言った。
緊張して、手にもじっとりと汗をかいていて、人生初めての演技を『うまくできたかなぁ』と内省していた十和子に、子供の語彙そのままの言葉はまっすぐ突き刺さった。
『ねぇ、パパ、ママ。テレビの人になるにはどうしたらいいの?』
そんな質問をしたのは、その日の夕食の時だった。娘が世界一かわいいと信じて疑わなかった両親は、食事を終えるとすぐに子役オーディションをいくつも調べて、その日のうちに応募した。
応募したオーディションはすべて通過して、一番熱意があり、親身に話を聞いてくれた事務所と所属契約をすることに決めた。
『一緒にとわこちゃんを日本一の子役にしましょうっ!』
熱血気味の担当マネージャーはそう言ってこぶしを天井に掲げた。――実際に、その宣言は叶うことになる。
未就学児とは思えない落ち着いた態度と、学習能力、そして恵まれた容姿と天性の演技力。なにより、言葉で表せないオーラ、華。『柊ワコ』は下積みもなく、瞬時にテレビの世界に表れて、席巻した。
『てれびみた?』
最初は意味なんてなかった。あの輝く瞳がもう一度見たくて、何気なく声をかけた。声を掛けるたびに少年はその瞳で熱っぽく感想を語り、それが嬉しくて、もっとテレビに出たいと思った。もっと見てほしいと思った。
小学校に上がる前には、それが初恋だと知っていた。
小学校に上がっても連絡を取り続け、小学三年の時に彼の悩みを聞いた。
――両親の離婚。
仲の良い自分の両親を見ていると想像もできない。どちらかを選べば、どちらかを選ばないことになる。そんな責任を子供に押し付けて、少年の輝く瞳を曇らせることに強い憤りを感じてしまう。今ここでなにかを諭しても、きっと彼は救われないだろう。
——彼女はテレビの力を信じていた。
『二週間後。家族三人で見て。絶対』
放送中のドラマ『私とパパは各駅停車』。今週分の撮影はクライマックスシーン。田舎で父と暮らす主人公を、都会でキャリアを積んだ母が迎えに来る場面。
その撮影シーンが近づくにつれて、彼女の手のひらにじんわりと汗がにじむ。年齢より頭のいい彼女には、自分がこれからやろうとしていることの重大さがわかっていた。
怒られるかもしれない。仕事がなくなるかもしれない。がっかりされるかもしれない。いくつも浮かんだそんな言葉は、あの日見た瞳の輝きの前に消えていった。
――『そんなん親の都合だろ!?子供に選ばせんなよ!子供なんて……、子供なんだから……どっちも好きに決まってんだろ、バカ野郎!』
その言葉は台本とは大きく違っていた。
だけど、その演技を見た誰もが、撮り直しなんて選択肢が頭から消えていた。
小学三年生の少女が、電波に乗せて、たった一人に向けて放った救いの言葉。
離婚することを止められるだなんて傲慢なことを言うつもりはなかった。ただ、どっちを選んでも、彼が罪悪感を感じないように、今まで通り両親と接することができるようにと叫んだ言葉。結果、母と暮らすことを選んだ彼に、きっとその言葉は届いた。
柊ワコの全盛期はここから一年の間だろう。
小学四年の終わりごろから、急激に身長が伸び始めた。一年間に十センチ以上。それは何年か続いた。
小柄でかわいらしいイメージと離れてスラリとした長身の少女に成長をしていく彼女と、今まで通り売ろうとした事務所の戦略にギャップが生じ、『虫よけステップ』でそれは顕著に表れる。
まるで、高校生がランドセルを背負っているような痛々しさを世間は感じ、オワコン化を恐れた事務所はズレたイメージのまま仕事を選ばずに入れ続け、柊ワコはオワコンになった。
『いったん仕切り直しましょう』と事務所の社長は提案して、両親も渋々とそれを受け入れた。受け入れるしかなかった。仕事が減っていくのと比例するように、両親の喧嘩が増えていった。――彼の両親の話を聞いていた時は、無縁だと思ってしまっていた光景。
それを視界の端に捉えながらも、彼女はレッスンを続けた。歌に、ダンスに、演技。今は仕事がないかもしれない。けれど、いつかまた必ずチャンスはあると彼女は信じていた。
中学に入ってしばらくしたある日、事務所の社長から声がかかる。
『ヴァルハラプロモーションの神原社長は知ってるよね?ぜひ、十和子ちゃんと話がしたいと言っているんだ』
当然知っている。というか、この業界でその名を知らないものはいないだろう。業界最大手である『ヴァルハラプロモーション』を一代で築いた実力者であり、内外に強い影響力を持っている。
友人である時鳥梓も所属している事務所だ。神原はその創業社長であり、強面の風貌とその剛腕で一代でヴァルプロを業界最大手に導いた人物。
ある日の夕方過ぎ、明らかに高級な個室料理店に誘われて、そこで神原から提案を受ける。
『うちなら十和子ちゃんをもっと輝かせられる。ヴァルプロに来ないか?』
魅力的な誘いではあった。最大手の露出力、それに梓の存在。すでにトップタレントになった友人とまた肩を並べたい。そんな欲がないと言えばウソになる。だが、未就学児の頃から一緒に頑張ってくれたマネージャーたちの顔が浮かんでしまう。
『ごめんなさい。身に余るお誘い、本当に嬉しいんですけど――』
丁重に、言葉を尽くして、頭を下げる。神原は豪快に笑いながら、十和子の選択を受け入れた。
十和子は当時中学一年。夕方を大きく過ぎた時間、高級ホテルに併設された個室レストランでのディナー。未成年にもかかわらず、両親を伴わない契約の話。それらが何を意味するのかはわからなかった——。
やがて中学二年になると、両親の不仲は深刻なものになる。かつてはあんなに仲が良かった両親が、顔を合わせるたびに喧嘩しかしないようになる。
『私がずっとワコだったら、パパとママはずっと仲がよかったのかなぁ』
そんなことを考えていると、両親の別居が決まった。完全に離婚してしまうと、何らかの権利を失うのを恐れたのだろうと彼女は邪推した。
どちらと一緒に暮らすか?奇しくも、あの日の彼と似た状況になってしまう。どっちを選んでも、どっちも好き。かつてワコは涙ながらにそう叫んだ。
そして、十和子はマンションを買った。どちらも大好きだから、どちらも選べず、だから二人と同じだけ距離を置くことに決めた。無敵のワコが放った言葉は、今の十和子を救うことはできなかったのだ。
高校は芸能科のある高校への進学が決まった。梓と同じ学校だ。訪れる学校生活が楽しみであると同時に、劣等感も自覚している。相手はもうトップタレントであり、対する自分は仕事もなく、芸能人と言っていいのかすら疑問である。
高校に入学して間もなく、事務所から契約解除を言い渡された。小学校に上がる前から一緒に頑張ってきた社長とマネージャーから、まるで邪魔者のようにそう告げられて、事務所のロッカーもすでに片付けられていた。
『お世話になりました。今までありがとうございます』
できる限り平静を装い、笑顔で、彼女は頭を下げた。
『さいあく』
事務所からの帰り道で送った一通のメッセージ。私はもう輝けない、きっともう彼の瞳の輝きが私に向くことはない。そんな諦めを込めて送ったそのメッセージが、どんな意味を持つことになるのかは、この時の彼女はまだ知らない――。




