62話 元国民的子役、背中を押す。
――俺と十和子の宣戦布告から少し経つ、十一月下旬。
「ねぇ、イツキ。これも食べなよ。おいしいよ。はい」
ソファで俺の隣に座る十和子は満面の笑顔で、チーズケーキを俺の口元に運ぶ。
「あ、平気っす」
自分でモンブランを食べようと口を開くと、そこに無慈悲にチーズケーキが押し込まれる。
「ふふっ、まぁまぁ。絶対おいしいから」
チーズケーキとモンブランが口の中で混ざって、それはそれでおいしい。
もぐもぐと咀嚼をしている間、十和子はじっと俺の反応を待つ。
食べ終えて、紅茶を一口。
「どう?おいしい?」
十和子が輝く瞳で俺に感想を求める。
「近くね?」
機材があるとはいえ広いリビングの、ソファの端が余っているにも関わらず隣に座り、俺の膝に手を置いて顔を寄せて感想を求めてくる十和子さん。俺の問いにきょとんとした顔で眉を寄せる。
「そう?梓とは大体こんな感じだけど」
「俺はね、時鳥さんじゃないんですよ」
「だって!」
俺の苦言も意に介さずとばかりに、十和子は変わらず煌めきを宿す瞳で、楽しそうに、嬉しそうに笑い、立ち上がり手を広げる。
「好きな人が私のことを好きなんだよ!?こんなに幸せなことってある!?」
あまりにもまっすぐな人生讃歌。照れくさくなってしまうけれど、ここで照れたら負けである。
「あのな、十和子。最終的には言った言わないになるだろうけど、俺はお前のこと好きだなんて一言も言ってないからな?」
睨むようにジッと見据えてきちんと線を引く。少し強く言い過ぎたかと思ったけれど、十和子の微笑みは変わらぬまま。
「うん、分かってる。私はちゃんとワコに勝ってイツキに好きって言わせるから。イツキがすごかろうとすごくなかろうと、観念して告白しちゃうくらい」
そう言って十和子は悪戯そうに笑う。かつてのワコだってここまでの無敵感はなかったのでは?と思うくらい、十和子は強くなった。
でも、自分でも本当に面倒くさいやつだと思うんだけど、俺にはもう一つだけ自分で折り合いをつけなければいけない気持ちがある。それは、十和子が契約解除をされたと言ったあの日、俺が思ってしまった感情――。
トワコンチャンネルの数字の伸びは順調。いや、あの日以降異常と言っていい伸び方をしている。
『小学校の時、朝礼で校長先生がさ、『頑張れ』って言葉は他人事だから、『頑張ろう!』がいい――、って話をしたのね。わたし、それが本当に納得できなくてさぁ。だって、辛いのってみんな違うじゃん』
ワコは真剣な面持ちで、少し思い出し怒りをしながら言葉を続ける。
『何にもわかってない人にただ『頑張ろう!』とか言われても、なんかムカつかない?他人事でいいんじゃない?他人なんだもん。けど、応援したいんだもん。だからみんなも、なんか元気ないなって思ったら教えて!いつだってわたしが言ってあげるから。がんばれ!わたしもがんばる!がんばろうっ!』
力強くまっすぐなエール。画面越しにすらワコの瞳の煌めきが伝わってくると思えるほどだ。
即座にコメント欄にはリスナーみんなの言葉が並ぶ。
『がんばれ!』
『がんばろっ!』
『がんばっててえらい!』
本当に言葉にエネルギーが宿っているかのように、聞いているだけの俺までなんだか前向きな気持ちになってくる。
『あくまでわたしの話だけどさ、すっごいつらいこともあったけど、頑張ってたらその何百倍もいいことがあったんだ。だから、わたしは頑張っててよかったって思うよ。あはは、みんながそうなるとは限らないけどぉ』
クスクスと意地悪そうに笑ってワコはリスナーを挑発する。
『クソガキw』
『よかったなぁ……』
『期末テスト頑張ってるよ!』
『資格試験つら……』
『大丈夫!いつだって絶対、わたしが応援するから!』
そんな風に、究極的にハッピーでポジティブな空気をまとったあの日以降のワコの配信は、右肩上がりに数字を伸ばしていく。
#見るエナドリ。そんなハッシュタグとともにトレンドの常連となって、今やチャンネル登録者数は40万人に達しようという勢いだ。
アーカイブを十和子と見ていると、隣に座る十和子の表情が悔しそうに歪む。
「ねぇ~……。前はそんな顔して見てなかったんですけどぉ?」
言われてとっさに頬に触れる。
「いや、なんだよ。普通だろ」
そうは言ったものの、以前のワコと比べても格段目を引き寄せられてしまったのは事実。
「頬が緩んでるんですが~。くそぉ、なんでワコも強くなるのよ」
十和子は納得できないといった様子で足をばたつかせる。皮肉なことに、十和子が魅力的になればなるほど、ワコも強化されるというジレンマが発生してしまったようだ。
ジタバタと足を揺らした十和子はそのまま身体を倒して、俺の膝に頭を乗せる。
「ねぇ、そろそろすごくなった?」
俺を見上げて十和子は無責任に笑う。
「あのな、カップラーメンとは違うんすよ」
「あはは、そっかぁ」
十和子はそのまま動く様子もなく、ワコの配信を見る俺の邪魔をするように膝の上から俺を見上げる。
「あっ、ねぇ。じゃあなにか言ってみて。なんでもいいから」
「……今ワコのアーカイブ見てるだけど」
「いいから、ほら」
まるで家で仕事中に子供にちょっかいを出されるお父さんな気持ち。
「なんでもってなんだよ、逆にムズイだろ。えーっと、私は昨日一時に寝ました」
すると、十和子はパチパチと拍手をする。
「すごいっ。偉すぎる」
「……なんだそりゃ」
「はい、次。次は?」
「さっきモンブランを食べました」
やはり、十和子の拍手が応える。
「すごっ。それはかなりすごいんじゃない?」
不覚にも笑ってしまう。
「っふは、んなわけねぇだろ」
それからも十和子は俺が告げるなんでもない行動をいちいち『すごい』と持てはやした。
「で、これは何の遊び?」
「遊び?違うけど。いっぱい『すごい』って言われると、なんだか本当にすごくなったような気がしない?」
「そんなもんかねぇ」
十和子はようやく俺の膝から起き上がり、トンボを捕まえるときのように、人差し指を俺の目の前でグルグルと回す。
「イツキが教えてくれたんだよ。イツキがずっと私を褒めるから、『私ってすごいのかも』ってまた思えるようになったんだから。そして、私はそれをみんなに伝えるの。四十万人……百万人に!」
十和子は本当に得意げに、誇らし気に、にひっと笑う。
「ほら、なにげにイツキもすごくない?」
本当に、単純で、不思議なことなんだけど、ほんの少しだけ本当にそんな気がしてしまうから怖い。
ワコは、今日も画面の向こうで笑っていた――。




