60話 時鳥梓は敵を知る。
◇◇◇
——都内某所にある湾岸テレビのスタジオ。
時鳥梓は休憩時間も空き時間も、控室に戻ることなくスタジオ付近で過ごすことがほとんどだ。スタッフや演者が慌ただしく行きかう現場の空気。六歳の頃から、学校よりも多くの時間を過ごしたこの緊張感のある空気が梓はとても好きだった。
そして、人が行きかえば情報が行き来する。控室では得られないものがここにはある。
「……本当、参るよなぁ。放送一週間前で急に差替えだもん。そりゃ言う方は楽でいいよ」
「ほ~んそれな」
若手AD達のボヤキが聞こえてきて、箱馬に寝転がっていた梓はぴょいと飛び起きる。
そんな話は大好物だ。
「おうおう、どしたん?お姉さんが話聞こか?」
トップタレントではあるが、梓が話に入ってくるのは現場では日常茶飯事。AD達も他のタレントとは違い、梓にはかなりの親近感を持っている。タレントの中には高圧的な態度をとるものや、そもそもADを人間扱いしていないものも多い。そんな中で梓はかなり異質な存在と言える。
「お姉さんって、梓ちゃん高校生でしょ。15?16?」
AD達の多くは大卒での入社。当たり前だが、梓より年下は少なくとも裏方には存在しない。
「お?それ今関係ある?7月17生まれの16歳だが?」
「あるある。思いっきり年下っすよ」
「今誕生日言ったからね。来年はケーキとプレゼントよろしくっ」
「しっかりしてんなぁ」
そう言って二人は笑う。
そんなやり取りを経て話は戻る。
「なんで差替えになったの?なんか不祥事あったっけ?とりあえずお疲れ様。大変だったねぇ、よしよし」
そう言って梓は本当にADの頭を撫でる。悪い気なんてするはずがない。二人共を撫でる訳ではないが、もう一人のADもうらやましいとは思いながらも催促などしない。距離感が近いとは言え、そんな浅ましいことを言って悪印象を持たれる方が嫌だ。神はいつだって気まぐれなのだ。
「いや〜……、不祥事とかじゃないんと思うんだけど。アレなんなんだろうな?とにかく現場はなにも聞かされず『差し替え!』の一言で決まり」
「面白かったのになぁ。久々にあのコーナーで笑ったよ」
「それな。とんでもなく美人なのに、あのギャップがいいよな。また来てくれないかな」
聞けば聞くほど興味を引く内容。梓の質問は決まっている。
「へぇ。なんて子?あたし知ってるかな?」
「どうだろう。少なくとも俺は初見だったけど、確か……『とわこ』って——」
その一言で梓の表情がほんの一瞬固まる。——AD達には気付かれないようなほんのわずかな時間。
「番組は?」
——土曜夜のトークバラエティ『ごぶんのに!』
それだけ聞けばディレクターが誰かも梓には分かる。
「新田さ〜ん、おはろ〜」
「おっ。梓ちゃん。どうしたの急に」
弾むような笑顔で訪れた梓。新田と梓も過去に『朝ハロ』でともに仕事をしており、それ以降も何度も共に仕事をしている。
「こないだトワコの件は残念だったねぇ、お疲れ様」
訳知り顔で新田を労い、新田は苦笑いで答える。
そんな彼を上目遣いで見上げながら、梓は困り顔で小首を傾げる。
「どんな内容だったか、あたしも見たいなぁ。……ダメ?」
付き合いの長い、トップタレント。お蔵入り映像ではあるが、機密でもなんでもない。少し考えて新田は首を縦に振る。
「梓ちゃんには敵わないなぁ。内緒だよ」
「わーいっ」
新田はそう言いながら、素材の入ったノートPCを開いて梓に向け、再生ボタンを押す。
——『はいっ、それじゃあ今週もやってまいりました!。五分の三の若者の芽を摘む鬼畜企画・ごぶんのに!』
映像はそのまま放送できる完パケ版。編集もテロップもすでに済んでいて、あとは流すだけの代物だ。
梓は楽しそうに画面を眺め、画面の中で番組は進む。『白紙は誰だ!?』。初手から白紙を引いた十和子は、数年のブランクなど感じさせない堂々とした立ち振る舞いで、圧倒的なビジュアルを時に活かし、時に崩し、時折素で見せるポンコツさに、梓はクスクスと笑った。
我を出さずに周囲を生かしながら立ち振る舞っているが、若手タレントなんてくくりで集められた他のタレントがかわいそうになるくらいの無双だ。
梓は映像を見終わると、満足気に息を吐く。
「は~、面白かった。新田さん、いい番組作るねぇ。なんでこれ使わなかったの?」
画面を指さしながら無邪気な笑顔で問う梓に、新田は困り顔を引きつらせる。
「いや……、それはちょっとこっちの事情で——」
梓は笑顔で言葉を続ける。
「あのさ、新田さん。誤解のないように言っておくね?これ、質問じゃないから。芸歴10年のトップタレントから、現場の新米Dに対する明確で純然たるパワハラだから」
笑顔はもう消えている。
「だからあなたは悪くないよ。これは断れないんだから。ねぇ。なんで使わなかったの?……こんなに面白くて、こんなにトワコが楽しそうにしてるのに」
椅子に座る梓に対して、新田は直立して、手を身体の前で合わせて俯いている。梓の言うように、これはもう質問ではない。——尋問だ。
「大丈夫。あたしも新田さんも、この件は口外しない。ここで終わり。だから教えてよ。なんで、この映像を使わなかったの?」
ジッと自身を見据える梓の視線を後頭部に感じながら、新田は数秒の間沈黙を貫く。
「お願い」
優しい声で梓が呟く。それで新田は抵抗の無意味さを悟る。
「……あ、圧力が、掛かりました。柊木十和子を使うな、と」
「誰から?」
普通に考えば十和子が所属していた事務所だろう。だが、中小程度の規模であるその事務所にそこまでする力があるだろうか?実益があるだろうか?
梓がそんなことを考えていると、新田は俯きながら、言葉を選ぼうとして、口をつぐもうとして、やがて諦めて口を開く。
「……ヴァルプロからです」
思わぬ言葉に梓は目を見開く。梓が所属する最大手のプロダクション、それが『ヴァルハラプロモーション』。通称・ヴァルプロ。
梓は立ち上がり、ちょんちょんと新田の手をつつく。そして、新田が恐る恐る顔を上げると、少し困り顔で、優しい笑顔を新田に向ける。
「そっか、ありがと。教えてくれて」
そして、新田に小指を差し出す。
「約束通り、お互いにこの話はここで終わり。指切りしよっ」
新田と指切りをしながら、梓は昔を思い出すように、柔らかく微笑む。
「ねぇ、新田さん。いつか、また三人で番組作ろ」
そういって悪戯そうな視線で新田を見上げる。
「いひ、今のも指切りに入れちゃおっと」
新田は、少し嬉しそうにため息をつく。
「本当、敵わないな」




