56話 閑話 目が眩むほどのまばゆい光
◇◇◇
――奪われたのは目だけではなかった。
遡ること11年前の秋、幼稚園の年中組。お遊戯会で、隣の組が演じた『七色雪姫と七人の小人』。舞台袖から現れた、黒いドレスの女の子を見た瞬間に、俺は目を奪われて、一瞬で心を奪われた。俺の人生の記憶は、まさにその瞬間から始まった。
劇の内容なんて覚えていない。ただ、当時五歳の俺はただただその黒いドレスの女の子に見入ってしまい、劇が終わると先生に注意されるくらいの大きさと勢いで拍手をして、その感動を少しでも伝えようと試みた。
テレビで見るような人たちを含めても、その子は誰よりも、なによりも輝いて見えた。
『ひ・い・ら・ぎ・と・わ・こ』
先生や他の園児に彼女の名前を聞くことは何となく気恥ずかしくて、絵を飾った場所を覚えて、名前を覚えた。
年長組になると、俺と彼女は同じ組になった。どちらからともなく話しかけて、俺たちはよく一緒に遊ぶようになった。
「ねぇ、あいざわくん。どようび、てれびみてみて。ぜったいだよ」
言われるままに、土曜日の夕方テレビをつける。そこには、彼女が映っていた。
『ひ・い・ら・ぎ・わ・こ』
まだ漢字は読めなかったけど、苗字にフリガナが振ってあったので読めた。画面の向こうで、キラキラと光り輝く彼女に、俺は目が離せなかった。
それからも、彼女はたくさんのテレビに出るようになった。幼稚園を休むことも増えていき、他の父母さんも彼女の話題をすることが増えてきた。
『本当、すごいわねぇ。去年のお遊戯会の時からすごいと思ってたのよ』
『もう住む世界が違うよなぁ』
そう。あの子はすごいんだ。そんな話を聞いているだけで、俺は自分のこと以上に嬉しくなってしまう。
幼稚園で会うと、彼女はいつも『てれびみた?』と俺に呼びかけた。そして、キョロキョロと周囲を見渡して人目を気にしながら、幼稚園バッグから取り出したかわいらしい小さな便箋を取り出して、得意満面の顔で俺に手渡した。
「ないしょねっ!」
いたずらそうに彼女は笑う。便箋には、彼女が出演予定の日付と時間が、この年齢に似つかわしくないきれいな字で書かれていた。
黒雪姫を見た瞬間に始まった俺の初恋を、俺はこの頃にはもう自覚していた。
好き、と伝えるにはどうすればいいか?幼稚園児ながら真剣に考えていた時、テレビで彼女は『足の速い人が好き』と答えた。運動会で初めて一番を取ってしばらくした頃、彼女はテレビにレギュラー番組を持ったと得意げに胸を張った。部屋に飾ったおもちゃの金メダルが妙にくすんで見えてしまった。
彼女が幼稚園に通う日はだんだんと少なくなり、もはや来る日のほうが少ないとすらいえる。身ぎれいで美人なお母さんと、背の高いスポーツマンタイプのお父さんと一緒に彼女が登園する日は、多くの保護者たちも感嘆の声を上げた。
そんな光景を遠目に見ていると、幼稚園バッグに忍ばせたたった二文字を記した小さな便箋なんて渡せるはずがないと思えてしまった。
それでも、そんな数少ない登園日にも、彼女は俺を見つけると駆け寄ってきて、小さな手紙を渡してくれた。出演する番組はもう多すぎて、それでも俺はその全部を見た。
輝く瞳で『見た?』と言われて、『見てない』なんて言えるはずがないし、そんなことより俺自身が全部を見たかったから。
彼女の両親が送迎に使う車は子供が見てもわかるくらいの高級車になっていて、それは園児たちの話題の的にもなった。
どんなに足が速くなっても、俺はあの車には追い付けない。
卒園式、彼女はたぶん生徒や保護者や先生たち全員と写真を撮って、全員の卒園アルバムにサインをした。俺は両親にせかされるが、なんとなくそんな輪には入りたくなくて、首を横に振って足を踏ん張っていた。
だけど、彼女は全員とのやり取りを終えた後で、いつものように俺の元へと駆け寄ってきて、アルバムを差し出してきた。
「でんわ番号、教えて。出演番組、これからも教えるから」
そういって彼女は笑う。
そして、互いにアルバムを交換する。戻ってきた俺のアルバムには彼女のきれいな字で『ずっと見ててね』と書かれていた。
彼女はいつものように周りを気にしてから、俺の耳元で『それ、いつきくんにしか書いてないから』と気恥ずかしそうに言った。
小学校に上がってからも、彼女は時折うちに電話をしてきて出演情報を教えてくれた。時間が会えば近くの公園で少しだけ話したりして、お互いの学校の話や、芸能界の話を聞いたりもした。
その頃から、両親の喧嘩が少しずつ増えてきた。俺は父さんも母さんも大好きで、だから大好きな二人が喧嘩をしているのを見るのがすごく嫌だった。でも俺は子供だったから、結婚している二人なんだから、最後は仲直りしてハッピーエンドになるんだと、ドラマの見過ぎだからか本気でそう思っていた。
けれど、現実はドラマのようにはいかなかった。
小学三年の時、両親の離婚が決まった。
「父さんと、母さんのどっちと暮らすかはイツキが決めていいからな。好きなほうと暮らすといい。お前の気持ちが最優先なんだから」
父さんは悲しそうな顔で優しく微笑んでそう言った。けれど、そんなの決められる訳がない。たくさん遊んでくれる父さんを選べば、母さんより父さんが好きってことになるのだろうか?たまに怒るけど、いつもご飯を作ってくれる優しい母さんを選べば、父さんが嫌いって思われないだろうか?
そんなの、選べる訳がない。
「ふーん、そう。イツキの家もたいへんなんだね」
いつもの公園で、それを告げると彼女は他人事のようにそっけなくそう答えた。
そして、人目もはばからずに、被ったキャップを脱いで俺に被せると、まっすぐに俺の目を見る。自信と決意が彩る美しい輝きを宿らせた瞳で、まっすぐに俺を見て、口を開く。
「ちょうど今撮ってるドラマでそんなシーンがあるんだよね。見てるでしょ?『私とパパは各駅停車』。今週分だから――」
彼女は得意げに、指を二本俺に立てて見せる。
「二週間後。家族三人で見て。絶対」
そして、二週間後。彼女に言われた通りに、家族三人でテレビを囲む。
そのクライマックス近くで、彼女は画面の向こうで声を上げた。
――『そんなん親の都合だろ!?子供に選ばせんなよ!子供なんて……、子供なんだから……どっちも好きに決まってんだろ、バカ野郎!』
ボロボロと涙を流し、顔を崩し、声を荒げる彼女の姿と声に、俺も、母さんも、父さんも、気づけば三人とも目から涙が零れていた。
どっちを選んでも、どっちも好きでいい。それでいいんだと、俺はワコの言葉で知った。当時小学三年の俺は、そうやってワコに救われた。
それが、俺の始まりの光。




