5話 元国民的子役、床を汚す。
「イツキ~、難しい顔してどしたん?話聞こか?」
特に難しい顔をしていたつもりはなかったのだけど、教室でノートを広げてペンを回す俺に、友人の浦原がニコニコと軽い調子で話しかけてくる。
ノートには十和子から依頼を受けている新生『柊ワコ』のデザイン案。最初描いた時は我ながらよくできたとすら思えたが、すぐにそれが勘違いだと気が付いた。
「……偶像崇拝を禁止する宗教があるのも納得だよなぁ、って」
「あちゃあ、今日はだいぶキてんな。マジでどした?直れ直れ」
浦原は無遠慮に俺の頭をコンコンと叩く。
「端的に言うと、とある事情で『柊ワコ』の絵を描かなきゃいけなくなったんだけど」
「へぇ。つーかイツキ絵なんて描けるんだ?……って、うまくね!?」
ノートを見た浦原は驚きの声を上げる。それ自体はありがたいが、俺はすでにそんなところにはいない。小さく首を横に振って、重い口を開く。
「全然。こんなもんじゃ、ワコの魅力のほんの表層すらも表せていないっ……!」
「きもちわるいなぁ。ねぇ、じゃあうち描いてみてよ」
浦原はニコニコと笑いながら俺の前の席に座ると、膝の上に手を置いて澄ましたポーズをとる。窓から入る風が、浦原の明るい色の髪を揺らす。
「描いて欲しけりゃ描いてやるが――」
頬杖を突きながらサラサラとシャーペンをノートに走らせる。明るい色の髪は長め、目は大きい、右目の下に小さなほくろ。
「はい、完成」
「わーい。……こら、ざけんな。うちはもっとかわいいだろが」
「だいたいこんな感じだろ?ほくろもあるし。それなりに似てないか?」
「んんー、マジでワコ以外興味ないことがひしひしと伝わってくるねぇ」
「そうなんだよ。それで今困ってるんだけどさ、浦原は配信とかって見る人?」
「取り繕う気もなくて草なんだけど。まぁ普通には見るかな。美容系?とかショートとか。あっ。あと猫。猫の動画。ほらほら、お勧めはコレ。超かわいくない!?」
興奮した様子で浦原がスマホの画面を見せてくるので、画面を眺めながらノートに猫を描いてみる。
「ふっ……、あははは!なにそれ。猫!?絶対猫じゃないよね!?」
「猫だよ」
「なんでそんな目ぇ死んでんの!?ぎゃはは、……でもよく見てると逆にかわいくも見えてくる不思議」
「そりゃどうも」
軽く返事を返すと浦原は俺の描いた柊ワコの絵を指さす。
「なんか知らんけど、ワコの絵もそのくらい力抜いて描いたらいいんじゃん?『こうあるべき!』みたいなのじゃなくて」
「そんなもんすかねぇ」
ノートを眺めながら気のない相槌を打つ。
アバターがなければVTuberとしての活動は始められない。そもそもデザインを決めた後にもLive2D化の発注や、機材の用意、配信の練習が控えている。とにかく、頼まれた以上俺が『柊ワコ』を完成させないと先には進めない。
家に帰ってからも机に向かい、ノートとペンと格闘する。描きあがった絵と写真と見比べても、映像と見比べてもどうもいまいちしっくりこない。
「くっそ、どうしたもんかねぇ……」
ギシっと背もたれが音を立て、天井を見上げてため息をつく。
それとほぼ同時にピロンとスマホが鳴り、十和子からのメッセージが届く。
『練習ね』
なんのこっちゃと思う間にビデオ通話が掛かってきて、シンプルな自室を背景に十和子が映る。
「部屋暗っ。電気くらい付けなよ」
「暗いほうが集中できるんだよ」
「へぇ。まぁいいけど。じゃあ練習」
ゴホン、と一度咳払いをして十和子はスンと澄ました顔になり、まじめな口調で口を開く。
「皆さんこんばんは、柊ワコです」
「ニュースかよ」
俺のツッコミも気にせずに十和子の言葉は続く。
「今日は皆さんに是非お見せしたいものがあって配信を始めました」
「まさか……」
十和子は得意げにコクリと頷く。
「そう。ミントスコーラです」
「どんだけやりたいんだよ」
「ミントスをコーラに入れると謎の原理で噴水のように湧き上がる定番ですよね?ちなみにミントスコーラは日本でしか通じない言葉で、海外ではミントスゲイザーと呼ぶのが一般的なようです。そして、私は思いました。ただミントスをコーラに入れるのも芸がないな、と」
「すでにミントスコーラの時点で芸がないけどな」
十和子は自作のフリップを取り出す。
「まず、ボウルにミントスを全部入れます」
「それも割と一般的だぞ?」
「そして、そこにコーラを注ぎます」
淡々とそう告げた後で十和子は少し身体をずらして、背後を映す。そこにはテーブルの上に置かれたボウルと、空のペットボトル。そして褐色の液体にまみれた床。
「その結果がこれです」
「すでにやってんのかよ」
すまし顔の十和子は眉を寄せて、急に困り顔になる。
「ねぇー、こんなになると思わなかったんだけど!?こんな時間に部屋掃除なんてしたくないんですけどぉ!?責任取って掃除しに来てよ!ねぇ!?」
誰もミントスコーラをやれだなんて言っていないし、勝手にやったのは十和子だ。俺に何の責任があるというのだろう。理不尽な物言いについ笑ってしまう。
人生三周目と称されるほど、年齢不相応に完成された天才子役『柊ワコ』とは似ても似つかない、理不尽で不完全な十和子。きっと、どっちが欠けても柊木十和子にはならないんじゃないか?
「あー、なるほど。悪い、十和子。ちょっと忙しくなった」
クルクルとペンを回し、ノートを開く。
「しょうがない、自分で片づけるかぁ」
画面から聞こえてきた声は、なぜか少し嬉しそうだった。
俺は十和子の鼻歌をBGM代わりにペンを走らせる。何百回、何千回と見てきた『柊ワコ』の姿を単純な線で二次元に落とし込んだ絵。もしかすると、浦原の言うように完璧に描こうとしすぎていたのかもしれない。
きっと、ワコも十和子も完璧でなんかあるはずがないのに。
「出来た。こんな感じでどうかな。どっちがいい?」
どれくらい時間が経ったか。描き上げた絵を画面越しに十和子に見せる。今まで描いたものと、今描いたもの。何度かめくって見比べてもらうと、十和子は嬉しそうに画面を指さす。
「こっち。いいじゃん。表情がいい」
もちろん、十和子が指したのは今新しく描いたもの。
「オッケー、じゃあこれベースに整えるわ」
「うん。お願いね」
そう言って十和子はまだ何かを言いたそうにジッと画面越しに俺を見てくる。
「え。どうした?なんか気に入らないとこあったか?」
問いかけると、十和子は言いづらそうに言葉を渋る。
「んー。そういうわけじゃないんだけど……」
「こわ。なんだよ。はっきり言ってくれよ」
「……片付け、まだ終わってないんだけどなぁって」
「知らねーよ。こんな時間に行くわけねーだろ。自分でやれ」
「ケチすぎる。じゃあ通話だけ繋いでてもいい?」
「ちゃんと掃除するならな」
あきれ顔で応えると、十和子は画面越しにベッと小さく舌を出す。
スマホをスタンドに置いて床を拭く十和子を眺めながら、俺の筆も進む。




