40話 元国民的子役の幼馴染、足りないもの
九月中旬。来週ついに、ワコのLive2Dモデルの完成版ともいえるver2.0が納品される。まだテストの動作を見ただけなのだけど、本当に大げさでなくすべての挙動が『柊ワコ』だ。
モデリングをしてくれたうーろんさん。発注時には『ファンだった』と過去形で語っていたことに内心腹を立てたものだが、自分がモデリングを担当した事もあってか今ではワコの配信をすべて見てくれるくらいにはファンの入口に立ち戻っている。
ver2.0でワコはどんな配信をするのだろう。今からもう楽しみで仕方ない。
そして、配信を心から楽しむ為に仕事は早めに片付けていかなければならない。
クラスの模擬店は『焼きそばパン専門店』に決まった。衛生上調理は家庭科室でないとできず、運んでくるまでに冷めてしまうので出来立ては提供できない。
そこを逆手にとっての焼きそばパン。ただの焼きそばパンじゃない。定番のソース焼きそば以外にも、塩焼きそばやオム焼きそば、ご当地焼きそばに、変わり種の焼きうどん、そして焼きラーメンまで、とにかく何でもコッペパンに挟んでしまおうとのコンセプトだ。
当然、十和子には秘密。当日来てのお楽しみである。
何種類かに絞った方が仕入れも調理も手間が少ない。だけど、それじゃ面白くない。生活のかかった実店舗じゃないんだ。たった二日間、全部盛りの方が絶対に楽しいよな。
食材の仕入れ、必要な機材、それらにかかるお金から価格を決める。実行委員を外れた滝田くんは『俺最初から関係ありませんが?』って顔で友人たちとワイワイやっている。別にいいけどな。佐藤さんはそれを見るたびに眉を寄せてチッと舌打ちをしていた。
そして、一つ予想外の予定外。
園芸委員は文化祭の期間中意外と忙しい事が判明した。文化祭期間校内を彩る花全般は園芸委員の管轄であり、来客をもてなす花壇を含めて割と煩雑な事務と実務が発生する様子。
正直言って、望むところだ。
牧野さんは隣のクラスの園芸委員で、俺と同じクラスのもう一人の委員は氷見さん。牧野さんとは仲が良い様子で、直接聞いた訳ではないけれど牧野さんの告白の事も知っている節がある。
積極的に手を挙げて、出しゃばらないように気を付けつつ仕事を割り振り、場を回し、調整する。
勘違いかもしれないけど、そのすべてが俺の栄養になっているような気がする。
調べもの、知りたいこと、やらなきゃいけないことは山のようにある。一日は24時間じゃとても足りない――。
◇◇◇
「こら、イツキ!」
登校前、眠気覚ましに風呂に入っていたら、険しい顔の母さんが風呂場の扉を開けて俺を呼んだので、ハッと目を覚ます。いつの間にか眠っていたようだ。
「あ、あー……ごめん。寝てた。今何時?すぐ出るわ」
母さんは疑いの眼差しでじっと俺を見る。
「昨日寝たの何時?」
「二時か、三時くらいかなぁ」
実際は四時過ぎ。サバを読むって事は俺自身怒られる自覚があるということだろう。
「……その前は?」
「同じくらいだったと思うけど。つーか、そろそろ閉めてくれませんかね?一応俺も年頃なんで、相応に照れとかあるんですよ」
実際はもう少し遅い。カーテンの端がうっすらと明るくなったのに気づいてベッドに入ったんだから。
それを知ってか知らずか、母さんは小さくため息をつくと、困り顔を俺に向ける。
「あんた今日学校休みな。連絡入れておくから」
「いやいや、なんでそうなるんだよ。確かにちょっと寝不足だったかもしれないけど、今寝たから全然平気だって。たかが寝不足位で学校休ませるなんて、ちょっと過保護が過ぎるだろ」
母さんはチラリと左腕の時計に視線をやると、真面目な顔で口を開く。
「仕事に遅れるから四分だけ」
そう前置きをして、言葉は続く。
「あんたが今なにかに頑張ってるのはわかってるつもりだよ。でも、寝不足を『たかが』って言ってる時点でズレてるんだよ。今はまだ若いから平気かもしれないよ?けど、それが成功体験になって、当たり前になって、歳を取った時にダメージがくるんだ。そもそも風呂で寝るってことがどれだけ危なくて異常なことかわかる?」
決して感情的にならず、淡々と、子供に絵本を読み聞かせるように母さんは言葉を紡ぐ。
「たとえイツキ自身だろうと、私の宝物を傷つけるつもりなら私は許さない。頑張るってのは、自分の心身の範囲でやるものだよ。それを超えるのは、ただの無茶だ。だから、母としてお願い。今日は学校を休んで、パソコンを使わないで、ぐっすり寝て。そして、明日からまた頑張って。……これでも伝わらないんだったら」
母さんは言葉を選ぶように首を傾げて、少し寂しそうに笑う。
「倒れた時に泣いたら伝わるか?」
――小学三年のあの日以降、母さんはいつだってちゃんと俺に伝わるまで話をしてくれる。
「……ごめん」
そう呟いて、照れ隠しに口まで湯に沈める。すると、母さんは嬉しそうに頷く。
「学校に連絡は入れとくから。聞いてくれてありがと。おっと、遅刻しちゃう。行ってくる」
「行ってら」
慌てて玄関へ向かう母さんへひらひらと手を振る。揺れた手から飛沫が落ちて、水面を揺らす。
湯船から上がり、欠伸を噛み殺しながら服を着る。母さんの言う通り、今日はぐっすりと眠るようにしよう。
ここ一週間、細切れの睡眠しかとっていなかった。反省。まだまだ足りない。足りないものばかりだ――。
――どれぐらいの時間が経ったのか。思いのほかパッチリとした目覚めと共に身体を起こす。
「あ、起きた。まだ寝てなよ」
ベッドの下から聞きなれた声がした。俺がこの声の主を間違えるはずがない。
「……なんでいんの?」
俺の部屋。ベッドに寄りかかって座る十和子に問いかけると、十和子は俺を見上げてあきれ顔で呟く。
「なんでって。美香子さんから頼まれたからなんですけど。今日遅くなっちゃうから、ちゃんと寝てるか様子見てほしいって。ダメだよ、ちゃんと寝ないと。無理と無茶は違うんだから」
「ちゃんと寝てたよ。……信用されてねぇなぁ」
十和子は寄りかかるベッドから頭を起こし、抗議を示すようにボフッと再度頭を乗せる。
「違うよ。心配されてんの」
「了解。面目ねぇ」
俺の表情を見上げて満足げに十和子は笑う。
「テレビ時代もそんな人いっぱいいたよ。ディレクターにいい顔しようとして、やる気十分って感じで人の仕事いっぱい巻き取って、あれもこれもって手を伸ばして、――で、キャパオーバーで直前にギブアップ」
他人事とは思えない惨劇に思わず顔をしかめてしまう。それを見た十和子は、『あ』と思い出したように言葉を続ける。
「それはまだマシな方か。一番ひどいのは、うまくいってるフリして本番当日。で、当日バックレ。あはは、ひどくない?」
「ひっでぇ……。それ、現場はどうすんの?」
「ん?普通に回すけど。言い方は悪いけど、そのくらいの仕事しかできない人が一人飛んだくらいで回らなくなるほど、みんな甘い仕事してないからね」
こともなさげにサラリと言い切る十和子の表情は、何かに例える必要もないほど頼もしく、かっこよく見えた。
俺は再びベッドに潜り込み、壁を向く。
「……とりあえず、今の俺に足りないものはよくわかった。睡眠だ」
「ふふ、だね。あ!じゃあ寝かしつけにお話でもしてあげよっか」
「いらん」
「まぁまぁ。『昔々、あるところに……22世紀からきたネコ型ロボットがいました』」
「気になる導入やめろ。寝るんだよ、俺は」
俺の苦言をクスクスと笑ってかわしながら、十和子の小話は続いた――。




