37話 元国民的子役、炎上しかける。
『鷹屋敷四段が初のタイトル獲得へ向けて好スタート!棋凰戦一次予選トーナメント決勝へ』
朝の準備をしていると、朝の情報番組は高揚した様子でそう告げていた。特別将棋に興味があった訳ではないけれど、それでも日々活躍がニュースになる俺と同じ年のプロ棋士・鷹屋敷圭。それに加えて十和子と同じクラスともあれば、少しは興味も湧こうというものだ。
ちなみに、母さんは割と鷹屋敷四段のファンである様子で、ニュースが流れると準備の手を止めて画面に見入っている。
「おー、次ついに決勝か。圭くんは今日もかわいいな~」
『さて!鷹屋敷四段といえばですね、昨日の対局……見てください、これを!』
女子アナさんの声とともに、左利きである彼が駒を持つ左手ではなく、盤の脇に置いた右手がアップで映る。
『なんと!ネイルで飾られているんですよ!わかりますか!?』
それを聞いて十和子の言葉を思い出す。――『梓、最初鷹屋敷くんの爪にネイルやってたんだよ。私にやる練習してたんだって』
となれば、ネイルの主は時鳥さん。割と日数が経っているはずだけど、落とさずそのままにしているだけなのか、またネイルをしてもらったのか。
母さんも完全に準備の手を止めて画面に釘付けだ。
「あらら、これ圭くん完全に彼女いる感じだね。もう高校生だから、そのくらい当たり前か。うちの子も家に女の子連れてくるくらいだしね」
思わぬ方向に飛び火してくるので、白い目で応える。
「家に十和子を連れてきた。そして十和子の性別は女。うん、要素だけ抜き出せば間違ってないな」
指折り数えて頷くと、それを見た母さんはケラケラと笑う。
「あはは、またかわいくないこと言っちゃって」
「……どうせ俺はかわいくありませんよ」
準備を終えて玄関に向かう母さんは、振り返るとニッと笑う。
「うそうそ。世界一かわいいに決まってる。私の宝物だから。いってきます」
「……はいはい、いってら」
聞いているこっちが恥ずかしくなるような、歯の浮くような言葉を真面目に口にして、母さんは今日も仕事に向かう――。
――そして、朝の情報番組を受けてネット界隈もにわかに騒然としだす。
『鷹屋敷圭ネイルしてるwww』
『能ある鷹屋敷、爪隠さず』
『相手は?』
『クラスメイトの――』
鷹屋敷圭がワコの配信を好んで見ているのは周知の事実。そして、彼が言いかけた言葉によりクラスメイトであろうことも予想の範囲内。
アンチ的な目線で見れば、マーキングにも似た匂わせに思えてしまうだろう。
これ、もしかして炎上するんじゃないか?
SNSを眺めながら背筋に冷たいものが走る。
『ワコじゃない?』
そう結びつけるのも理解できる。どうする?どうしよう?俺に何ができる?
正直言って学校になんか行ってる場合ではない。浦原と羽村からメッセージが来ていたが、既読をつけることもなく思考を巡らせる。
火はまだ燃え広がっていないにせよ、いち高校生の俺に何ができるのか。
全身から流れる嫌な汗。不自然に早まる鼓動。
——結果から言うと、その全てはたった一つの投稿により杞憂に終わる。
『あ、それ犯人あたしっす』
その時点で一番拡散されていた情報番組のアカウントにリポストする形で、時鳥梓さんが投稿した。
光沢のあるベージュに小花柄のワンポイントが施された右手の爪を見せつけるように、顔の近くで『がお』とポーズを取る写真が続けて投稿される。
『休み時間、将棋に夢中で気付かれなかったから練習させてもらったんよね。ふはは。意外とうまいでしょ?』
少し間をおいて、鷹屋敷四段のアカウントが返信する。
『かっこいいのでまたやって下さい。少し剥げてきた』
『んー?梓ちゃんの今度出るドラマ見たらやってやんよぉ』
『ドラマ?』
『いやいやいや、そこまで奇人ぶらなくていいんだよ。さすがの将棋星人でもドラマくらい知ってるでしょ』
『調べますね』
『あ、結構でーっす。時鳥梓出演ドラマ・『君が好きな僕が好き』!水曜午後9時、やってまーす。みんな見てねっ』
軽快な宣伝ポストで締めて、これ以降一切炎上の芽が消えた。
すげぇ。
この手のゴシップってのは相手が分からないから過熱する訳で、それを初手で鎮火して、最終的には流れるように自分のドラマの宣伝に持っていってしまった。
きっと彼女にとってもイレギュラーだったはずのこの事件を、まるでクラスメイト二人で最初から仕組んだ茶番のように変えてしまった。
俺が何もできずに冷や汗をかいている間に。
「……悔しいな」
公園のベンチで一人呟き、遅れて学校に向かうことにした——。
そして、放課後。割といつものようにうちの最寄り駅まで来た十和子に聞いてみる。
「あぁ、アレね。ビックリしたよね、ニュースになってて」
十和子もまるで他人事のようにクスクスと笑う。今日は電車に乗るでもなく、駅裏の小さな広場に留まるだけだ。今日はこれから用事があるらしい。
「つーかさ、今日用事あるならわざわざこっちまで来なくてもメッセージで言ってくれたらよかったんじゃねぇ?」
多分、少し不貞腐れた様子で俺がそう言うと、それを見透かした様に十和子はマスクをずらして微笑む。
「メッセージじゃ伝わんないでしょ?イツキが不安がってると思ったからさ。私は全然平気だよ、って伝えたくて」
——すぐそばを走る車の排気音が、ずいぶんと遠くの世界のもののように聞こえた。
「お、俺は全然——」
言いかけて、言葉を止めて、しゃがんで、俯き顔を隠す。
「や、違うな。……正直言うとさ、ワコに飛び火しなくてよかったな〜って気持ちより先にさ」
「うん」
言うべきかどうか、言葉を選びながら辿々しく言葉を繋ぐが、十和子は催促せずに聞いてくれた。
「……すげぇ悔しかった。俺が『どうしよう!?』って狼狽えている間に、あんなに鮮やかに解決されちゃって」
「そうなの。梓はすごいんだよ」
頭の上で、誇らしげな十和子の声が聞こえる。子役時代から共に過ごした、戦友で親友。トップタレント。
そりゃ、俺とは違うよな。
「悔しい?」
言葉を返せずにいると、なぜか嬉しそうに十和子が追撃をしてきた。それにも返さずにいると、頭に十和子の手が触れる。
「じゃあ、イツキもすごくなって。もっと。もっと、もっと」
うっかり泣いてしまいそうになった。
「お前さ、今日タブレット持ってる?」
「ん?それ今なにか関係あるかなぁ?ワコを映して言えって?あはは、おもしろ〜」
そんな軽口で返すのが精一杯で、俺のつむじをぐりぐりと押す十和子の冷たい笑いが頭の上で聞こえた。
「まぁ、ワコワコ言い出したってことは元気な証拠か。私もう行くね。明日は遅刻しないでちゃんと学校行きなよ」
バレないように目元を腕で拭いつつ、立ち上がり伸びをしてごまかす。
「お忙しいところわざわざすいませんね」
「いえいえ〜。今日はね、久しぶりに一緒にご飯食べるんだ。パパと、ママと!」
そう言って十和子は子供のように無邪気に笑った。
「そっか。食べ過ぎんなよ」
ひらひらと手を振ると、笑顔の十和子も大きく手を振る。
「大丈夫、いっぱい食べてくるね!」
その心配をしてるんですが、と思いはするけど笑顔の十和子にそんな野暮は言えず、そのまま見送ることにした——。
◇◇◇
——十和子のマンションからそう遠くないレストラン。
今は十和子は久しぶりに両親に会う。場所も店も十和子が選び、少し奮発した価格帯の高級店だ。
無意識にいつもより少し幼く振る舞う十和子は両親に近況を語り、父も母も楽しそうにそれを聞き、相槌を打つ。
三人で会うのは、高校の入学式以来だ。
「あのね、今配信やってるんだ。VTuber……って知ってる?これ、見て!ほら、昔みたいでじゃない?かわいいでしょ、このアバター」
得意げに、子供がビー玉やカードの入った宝箱を広げて見せるように、十和子は二人にスマホを見せながら楽しそうに語る。
「本当ね。よくできてるわ、かわいらしい」
母が嬉しそうに笑うので、十和子も嬉しくなる。大きな声で、『イツキが描いてくれたんだよ』と伝えたくなる気持ちをグッと抑える。それを知っているのは世界で2人だけでいい。
「だんだんいっぱいの人が見てくれるようになってね、チャンネル登録者も10万人を超えたし、同時接続だって1万人超えたんだよ」
本当は数字なんかどうだっていい。だけど、大人を納得させるには数字が一番効果的なことを十和子はよく知っている。
「そりゃすごい。これならテレビに戻れる日も遠くないな」
父は笑顔で、本当に嬉しそうにそう言って、母も同様に頷いた。
「あ〜……、うん。そうかもね、あはは」
久しぶりに会った両親が、子供の頃のように二人で楽しそうに笑う姿を見て、十和子も笑顔でそう答えた。
そのあと食べた料理は、少しも味がしなかった——。




