34話 元国民的子役、バズる。
『おいしくて、うまいっ!なんて素敵な感想なのでしょうか。これからも沢山おいしくてうまいと言ってもらえるパンを皆様にお届けします♪』
——#柊ワコ、#おいしくてうまい、とハッシュタグをつけてリポストしたのは、某大手パンメーカー・『山雄製パン』公式アカウントだ。
それは、ワコに企業案件を持ちかけた大手パンメーカーであり、十和子が断った大手パンメーカーだ。
案件としては断った。だけど、ただおいしいものを食べておいしいと言いたい十和子は案件関係なくそのパンを食べて、いつも通りお世辞抜きの感想を言っただけだ。
世の中何が流行るかわからないもので、『おいしくてうまい』と言う素っ頓狂な食レポは、じわじわとSNSを侵食していく。
『妻の作ってくれたお弁当、おいしくてうまいっ』
『おいしくてうまいジワるな』
『うまくておいしいとどっちが上?』
『おい……うま……』
引用元であるワコの動画の再生数もみるみる上がり、#おいしくてうまい、は見事トレンド入りを果たすことになる。
「ねぇー、あのパン売ってないんだけどぉ」
帰り道のコンビニで、十和子はパン売り場の中で空になった場所を見て落胆の声を上げる。
「誰かさんがバズらせたからなぁ」
「おいしかったからまた食べようと思ったんだけどなぁ~」
小さくため息をつき棚を眺める。
「今日は完全にパンの口なんだよね」
棚の上のPOPには十和子の友人である時鳥梓さんの姿。山雄製パンのライバル会社でもある大手パンメーカー・『シロウパン』のイメージキャラクターらしい。
「しょうがない。今日は梓のパンにしよっか。イツキはどれがいい?」
「あ、待った。シールの台紙もらっとこうぜ」
シロウパン・秋のシールキャンペーン。CMで時鳥さんも口にするキャッチコピーは『みつけた、小さな秋』。
買い物かごを片手に真剣な表情でパンを選ぶ十和子を見て、俺が犯しかけた過ちの大きさと十和子の選択の正しさを痛感した。もし、二つ返事で『山雄製パン』の案件を受けていたら、ワコは気軽にシロウパンの食レポなどすることはできなくなってしまうところだった。
仕事なんだから、それもある程度はしょうがないのは分かる。毎日小さな食レポをする『ひとくちワコ』がわかりやすくキャッチーで売りやすい企画なのも分かる。だけど、そこを商品にしない十和子の意思はなにより尊重するべきものだよな。
『今日は新作っ『サツマイモメロンパン』!イモ?メロン?どっち!?どっちだとしても絶対おいしいやつだよね~本当は別の食べようと思ったんだけど、なんでか売り切れてたから――』
で、15秒。前口上が長いと食レポまでたどり着けないのが『ひとくちワコ』の特徴である。続きはSNSで、である。
『うんうん、おいしっ。味がおいしい』
思わず笑ってしまうようなのんきな食レポ。
『味がおいしいwww』
『今日はライバル会社かよ』
『たくさんおたべ』
それは再び瞬く間に世に波及する。
ハッシュタグ#味がおいしい、#サツマイモメロンパン、#柊ワコ。シロウパンのSNS担当者も即座にこれに反応した。
『味がおいしい……。なんと味わい深く趣のある一言だろう。動画で見たかったです。公式さん、お願いします!』
引用元のワコの投稿の注目度も跳ね上がる。
ついで、シロウパン公式に乗る形で、イメージキャラクターの時鳥梓さんがサツマイモメロンパンを手に『あ』と口を開けた写真を投稿。本文はなし。写真だけ。
文字一つないその意味深な投稿は、SNS上で様々な考察と憶測を呼び、最終的には『時鳥梓、ワコ好きすぎ』と言う形に収まった。
「ねぇー、今度はメロンパンも売ってないんですけど~」
連日帰り道のコンビニで落胆する十和子。申し訳ないがだんだん面白くなってきた。俺はシールを貯めたいから他のパンを選ぶ。十和子はパンの棚から離れておにぎりを吟味している。
「おにぎりにツナ入れようって思った人天才だよね」
「わかる。当時なんて梅とか昆布がデフォだろ?何食ったらそんな発想出てくるんだろうな」
「ツナじゃない?」
「わはは、納得」
当然、十和子の手はツナマヨネーズのおにぎりに伸びる。
初配信の翌日から毎日欠かさず続けているひとくちワコ。素材もだいぶたまってきているし、食レポまでたどり着いていない動画もたくさんあるので、総集編の動画でも作ってみるか。当然、過度な編集は行わず、そのままのワコが見えるように。
「おっ、アンチくん発見っ」
マンションのソファに寝転がりながらエゴサをしていた十和子が楽しそうに声を上げる。
「……楽しそうに言う単語じゃないんだよなぁ」
「イツキは見ないほうがいいよ、絶対怒るから」
作業の手を止めてクルリと椅子を回す。
「よーし、その挑戦受けてたとう。お前も浦原もずいぶん俺を短気な人間と思ってるみたいだけど、全然そんなことないからな?」
「え。無理無理。別にそんなとこで無駄に燃えなくていいって。絶対怒るから」
「絶対怒んない」
「怒ったら?」
スマホを俺から離すように距離を取り、寝転がりながら十和子は俺に問う。
「じゃあ怒ったら鼻からスパゲッティ食べてやるよ」
「それ私に得がないんですけど。食べ物は、ちゃんとおいしく食べましょう」
クスクスと笑う十和子。まぁ確かにそりゃそうだ。まるで交通標語のようにきれいに五・七・五になっているので俺もつい笑ってしまう。
「じゃあ十和子が決めていいぞ」
「へぇ、なんでも?そんなこと言って大丈夫?絶対怒るのに」
「はいはい、そんな安い挑発には乗りませんぜ。なんでもどうぞ」
少し考えてから十和子はソファに座りなおし、ぴんと人差し指を立てて、挑発的な笑みを俺に向ける。
「じゃあ、もし怒ったら私の言うことなんでも一つ聞くこと」
その笑みに同様の笑顔で応える。
「問題なし。ほれ、見せてみ」
「ん」
十和子に差し出されたスマホの画面を覗き込む。
『絶対こいつデブだよね。食ってばっかだし。オワコン豚女w』
『だからV落ちしたんでしょ。顔映さなくていいようにさ』
一瞬で頭が沸騰したかと思うくらい熱くなり、逆に手先は血を失い冷たくなる。
「はい、負けー」
スマホの画面を消した十和子が楽しそうに笑い、『怒ってねぇよ』とかそんな単純な反論をする余裕すらない俺の眉間をグリグリと指で伸ばしてくる。
「はいはい、怒らない怒らない」
芸歴十年を超える十和子にはこんなアンチコメント馬耳東風ってことなのだろうか?言われ慣れている?それって健全なことなのか?
「……こんなこと、言われっぱなしでいいのかよ」
何とか言葉を絞り出すと、十和子は涼しい顔で俺を見る。
「うん。怒る理由なんてないし」
『はぁ!?』と反論する前に、十和子の人差し指はまた俺の眉間にツンと触れる。
「イツキが怒ってくれるのわかってるし。毎回見つけるたびに、『これはイツキ怒るぞ~』って嬉しくなっちゃう。だから私が怒る理由なんてなくない?」
「……なんだそりゃ」
そんな表情を見ていると、触れられた指先のあたりから怒りがどこかに散ってしまうように感じる。
「とは言え事実確認は大事だよね。ファクトチェックっ」
頭の上にクエスチョンマークを浮かばせる俺に構わず、俺の顔をのぞきながら十和子の言葉が続く。
「174センチ58キロ。デブい?」
「わからんがデブくはないだろ。つーか、背高いな」
「食ってばっか?」
「それは正解」
「ふふ、そうだね。オワコンは?」
「現在進行形でバズり中。アンチするならちゃんとアップデートしろ」
十和子は嬉しそうに笑う。
「だよね~」
そして自分のシャツをつまんで、いたずらそうに口元を上げる。
「あ。腹筋固いか触ってみる?」
「触ってみない」
毅然と首を横に振ると、不満そうに眉を寄せて口を尖らせる。
「めぐるちゃんの腹筋は触ったくせに。あっ――」
ピン、となにかを思いついた様子で声を上げると、得意げに、勝ち誇った顔で、人差し指をくるくると回す。
「言うこと、なんでも一つ、どうするんだっけ?」
「どうするんだっけかなぁ~」
無駄な抵抗を試みるが、どれだけもつだろうか――。




