33話 元国民的子役、企業案件が届く。
——放課後、いつも通りの十和子のマンション。
コンビニで買ったプリンや飲み物を冷蔵庫に入れながら、十和子は俺に手を伸ばす。
「ん。イツキもなにか入れるのある?」
きっと下校中から俺が手にずっと持っていたコンビニ袋を指してのその言葉。
「あぁ、これ違うんすよ。食べ物じゃなくて、花。園芸委員のセンパイに貰った花の苗だ」
「へぇ~。センパイって男?女?」
「そこ重要かよ。男」
手を伸ばした十和子に袋を差し出す。
「コスモスじゃん。イツキ育てるの?」
「と言ってもうち植えるとこないからなぁ。いるならあげるが」
そう言うと十和子は嬉しそうに口角を上げる。
「えっ、いいの?じゃあ貰おうかな。ふふふ、イツキにお花貰っちゃった~」
「花じゃねぇ。苗だ、苗」
舞台の振り付けのように立ち上がると、スマホを取り出して検索を始める。
「コスモスの花ことばは~♪」
リズミカルに、歌うように音声入力を始めた十和子は、検索結果を見て意味ありげな含み笑いを俺に向けてくる。
「調和、謙虚、乙女の真心だって。そっかそっか」
「なんだよその顔。貰い物あげただけだろうが」
苦々しい顔でそう告げるが、十和子は一切意に介さずにスマホ検索を続ける。
「お。色でも花ことばが変わるんだって。これ何色?」
「知らね。センパイに聞いてみるわ」
すぐに返信が来るかはわからないが、とりあえず送ってみる。返信を待つ間、十和子は楽しそうに画面を朗読する。
「白は純潔、赤は愛情。赤かな~。困っちゃうなぁ~、愛情かぁ~」
「重ねて言うけど、そこに俺の意図はないからな?」
「そっかそっか~」
たった花の苗一つでこんなにも十和子は楽しそうに笑う。わくわくした様子で返信を待ち、間を置かず俺のスマホがピロンと鳴る。
「チョコレートコスモスだって。茶色いやつ」
「ふんふん。チョコレートコスモスの花ことばは~♪」
オペラかミュージカルのように上機嫌に画面をスクロールする十和子。次の瞬間、表情はスンと真顔になる。
「恋の終わりですか、へぇ」
今までの上機嫌が嘘のように不満そうに眉を寄せながら、俺の周りを右往左往しながら、口を尖らせる。
「ねぇ、これは?どんな意図があるのかなぁ?イツキくん?」
あまりの面倒くささについ笑ってしまう。
「もう一回言うぞ?貰い物を、あげただけだ」
俺の言葉を聞いてか聞かずか、十和子はハッと真理に思い至ったような顔をして、花の苗を見つめる。
「そっか……。じゃあ、そのセンパイが……」
「男な?そろそろ花ことばから離れましょうぜ」
そんなやり取りを終えて仕事のお時間。
十和子と俺で手分けをして、チャンネルやSNSのコメントを眺めたり、エゴサで評判をチェックしてまとめる。好意的なものが多いチャンネルのコメントは俺の担当で、エゴサは十和子の担当だ。
「アンチってまだいる?」
俺はいちいちアンチの言葉に苛立ってしまうので、十和子からエゴサ禁止を言い渡されている。
「いるよ~。ちゃんと節度を守って活動してくれてる」
「それはファンと違うのか?ちなみに、例えばなんて?」
「ん?怒るから言わない」
「怒らないから……とは約束し難いな。多分怒るけど教えてくれ」
「あはは、や~だよっ」
切り抜き動画もだいぶ増えてきたことと、怪談配信の時の時鳥さんとのやり取りがウケたことでチャンネルにいくつかルールを追加する。
『特定の芸能人の名前が載ったコメントは即座に削除しま~す。相手に迷惑をかけるのも、知名度に乗っかるのもトワコンチャンネルの趣旨に反するからね』
要するに、コメント欄で『時鳥梓』の名前を出すなという事だ。
そして、メールチェック。
ほとんどが不要な案内メール、それに混じってクリエイターさんとのやり取りのメール。その中に一つ目を引く件名のメールがあった。
【商品プロモーションのご依頼】
チャンネル登録者数10万人突破おめでとうございます——、と書き出されたそのメールの差出人は、コンビニでも売られている某大手パンメーカーを名乗った。いつもチャンネル拝見しています。おいしそうに食べるワコさんのショート動画に、ぜひ弊社の商品を登場させていただきたくご提案にあがりました。
要するに、企業案件だ。
まだ夏も終わらない九月。少し高めの温度に空調の設定された室内。にもかかわらず、俺はぶるりと身震いをして、気付けば鳥肌が立っていた。
少し傲慢な言い方をするのなら、数字も、金額もどうでもいい。
ほんの小さなただのプロモーションだ。けど、昔のようにワコが企業に認められたような気がして、それが本当に嬉しい。
十和子を呼び、メール画面を見せる。
『やったね!』と大喜びするのは想像しづらい。『ふーん』とか、『いいんじゃん?』くらいの温度感を想像して、反応を待つ。
やがて、メールを読み終えた十和子はチラリと俺を見る。
「イツキは、どう思う?」
「あぁ。メールのドメインも公式のやつと一緒だし、詐欺とかでは無いと思う。数字だけ見てるんじゃなくて、ちゃんと動画も見てくれてる感じがして、俺はアリだと思う」
高揚した気持ちのまま、少し早口でそう言った後で、ようやく俺は十和子の表情に気がついた。
「ふーん、そっか。なら——」
「待った」
危ない。何を言ってんだ、俺は。十和子に向けた手のひらを下ろして、パシパシと両手で己の頬を張る。
「悪い。決めんのは俺じゃないんだわ。十和子はどう思う?」
十和子はニコリと笑い、両手を小さく握り嬉しさを表す。
「もちろん、やろ!やったね、また新しい一歩だね」
十和子は嬉しそうに笑う。
——本当に危なかった。
「やりたくないことはやらない。それがチャンネルのルールなんじゃなかったのか?」
国民的子役と呼ばれたその演技力。きっと十和子は騙そうと思えば俺なんかいくらでも騙せるんだと思う。それなのに、わざわざ見せてくれたあの表情を、俺が見逃してどうするんだ。
「なんだか知らないが、俺の顔色窺いながらやるならもうチャンネルごと辞めちまえよ」
きっと自分への怒りも込みで、少し強い言葉を向けてしまう。
だけど、今度こそ十和子は嬉しそうに微笑む。申し訳なさそうに、眉を寄せながら。
「ありがと。……じゃあ、やっぱり無しにする」
「おう。断りのメール入れとくな?」
「あ、それは私が自分で打つよ」
席を変わってキーボードに向かいながら、十和子は言葉を続けてくれる。
「あのさ、企業案件全部がダメってわけじゃないんだよ?」
「ほほう、線引きがあるのか。好きじゃないメーカーだったとか?」
十和子は首を横に振り、遅れて黒い髪も揺れる。
「ゲームとか、化粧品とか、服でもなんでもいいよ。お話が来れば私だって嬉しい。……けど、食べ物はなんか嫌だなぁって」
キーボードを止めて、冷蔵庫に向かい、帰り道に買ったプリンを二つ持ってくる。
「私食べるの大好きだからさ。だから、動画では好きなものを何も考えずに『おいしいっ』って言いたいんだ」
そう言ってプリンを食べて、いつものように『おいしっ』と、十和子は笑った。
「……それ、ひとくちワコの撮影用じゃなかったっけ?」
十和子はいたずらそうに、照れくさそうに口を弛める。
「イツキの貰うから平気〜」
——食べ物のお仕事はNGですっ!わたしは食べるのが大好きなので、食べたいときに食べたいものを食べて、好きなようにおいしいって言いたいのです。
トワコンチャンネルのプロフィールにはそんな一文が追加されて、それとは関係ないけれど、その日のひとくちワコでは某大手パンメーカーの新作パンに舌鼓を打つ動画が配信された。
『うん、おいしくてうまいっ』




