25話 元国民的子役、収益を得る。
8月に入って少し経ち、あることに気が付いた。気が付いてしまった。
パソコンの前に座る俺の、マウスを持つ右手は汗がじんわりと滲む。気づけば、心臓がバクンバクンと大きく音を立てている。
「どうかしたー?」
俺の後ろ姿からなにかを感じ取ったのか、十和子が後ろからパソコン画面をのぞき込み、俺は椅子をクルリと回して十和子に向き直る。そして、神妙な顔で口を開く。
「いいか、十和子。落ち着いてよく聞いてくれ」
「え、こわ。なに?私正座とかしたほうがいい?」
困惑した様子で十和子が座ろうとするので手で制する。
「正座はしなくて大丈夫。ただ落ち着いて聞いてくれれば」
「もー、なんなの。はっきり言ってよ」
椅子を引いてきて俺の目の前に座り、まっすぐに目を見てくる。
大きく一度息を吸い、吐く。
「えっとな。先月収益化の申請しただろ?」
「うん。パパの口座に紐付けしたやつでしょ?それが?」
十和子ののんきな声は数秒後には驚愕の表情に変わるだろう。
「月ごとに翌月下旬頃振り込まれるんだけどさ。先月の収益、記念すべきトワコンチャンネルの初収益は……なんと!156万円だ!」
もちろん広告収入だけではない。それ以外にスパチャや、月額160円のメンバーシップも込みでの総額である。
『えぇっ!?』とか『うそっ!?』とか、そんなリアクションを想定していた。十和子は嬉しそうに笑いながらのんきにパチパチと拍手で応える。
「おー、やったね。イツキなにか欲しいものある?」
あまりの温度差に盛大に肩透かしを食らいながらも、俺は説明を続ける。
「いやいや、だから俺がもらう訳にはいかないんだっての。156万円だぞ?すげぇ額なんだぞ?時給1560円でも1000時間もかかるんだぞ!?」
いまいちうまい例えが浮かんでこない。だが、それが十和子になにかしらのひっかかりを与えたようで何かを考えながら指折り数える。
「へぇ。じゃあ妥当な金額かもね」
そんな浮世離れした言葉をつぶやいた十和子に白い目を向ける。
「炎上しそうな発言はやめろよなぁ」
だが、そんな言葉は耳に入らないとばかりに十和子は得意げな、誇らしげな顔で微笑み、指折り数えて俺を見る。
「1000時間でしょ?6、7、8月。三か月毎日10時間。だいたいそれで1000時間にならない?」
なんのこっちゃと計算してみると、90日計算で900時間。だいたいの範囲ではある。その計算結果を見て、十和子は得意満面の笑顔。
「ほら。イツキの頑張りの正当な評価でしょ?ふふ、なにか欲しいものある?」
「いや。……いやいやいやいや」
恥ずかしながら、うまい言葉も返しも浮かんでこなくて、照れ隠しのように椅子を回して再び画面の方を向く。
「お、俺はいいから。お前の好きなもの買えよ」
「欲しいものかぁ~」
何秒かの沈黙の後で再び十和子の声が部屋に響く。
「あっ、じゃあ!」
カラカラと椅子を転がして十和子は俺の隣に座りパソコンの前に来る。
「ちょっと貸してね」
そういってキーボードに手を乗せて、手慣れたタイピングで画面を開く。
そして、その画面に映ったものを指さし、親におもちゃをねだる子供のような輝いた瞳を俺に向けた。
「これ。これ欲しい」
画面を見て唖然とする。
そこには様々な3Dモデリングの一例が並ぶサンプルページ。
それを輝く宝石箱のように指差し、もっと輝く瞳で十和子は力強く宣言する。
「柊ワコver3.0。もっといっぱい、歌って、踊りたいから」
当然、生半可なクオリティのものでいいはずがない。Live2Dアバターがハイクオリティなだけに、当然3Dモデルだって相当なハイスペックが求められる。
「い、いくら掛かるかわかってる?」
「うん。ざっくり200万円。……ダメ?」
そんな風に聞かれても答えは一つしかない。あまりのスケールの大きさに苦笑いを浮かべるしかない。
「稼いだ金ですぐに次の勝負。……勝負師ですなぁ」
「それで?答えは?」
隣に並べた椅子から、十和子は俺の顔を見上げる。
「……OK以外あるはずないだろ。まだ2.0の納品もまだだけど、今発注しても完成はかなり先なんだ。やろうぜ。俺の金じゃないけど」
「あはは、まだそんなこと言ってる」
頼むべきモデラーの選定、必要な素材。正直に言えば、いつか必要だとは思っていたからある程度の下調べは済んでいる。もちろん十和子の希望最優先で進めていこう――。
『こんばんは~っ!今日は何食べようかなぁ。食べるの大好きっ。今日は~、デデン!スーパーで売ってる冷蔵ピザ!これを――』
毎日投稿しているワコのショート動画『ひとくちワコ』。動画一本15秒というルールを設けていて、それは言葉の途中だろうと厳格に適用される。
今日の投稿分はピザが画面に出てきたところで終了しており、続きはワコのSNSで直接語られることになる。
『今日も黒子に冷徹に打ち切られた。今日はワコ特製スーパースペシャルピザを紹介するよ。大きくてお得でおいしい冷蔵ピザあるでしょ?あれに追いチーズ、追いウインナーして、さらにチンしたもう一枚を裏返して上から乗せるのよ』
で、贅沢にも俺は目の前で出来立てスーパースペシャルピザのご相伴にあずかる。
「本当よく食べますなぁ」
「だっておいしいじゃん」
鼻歌でも歌いださんばかりに十和子は熱々のピザをピザカッターで切って頬張る。
「私は見ての通り料理上手なわけだけど――」
「ん?幻術かなにか使ってんの?」
十和子は二枚重ねのピザを片手に、俺に挑発的な視線を送る。
「イツキさんはまさか料理の一つもできないってことないよね~?」
安い挑発につい吹き出してしまう。
「お前……、ピザ片手に料理の催促するなよな」
「あ、ずらした。論点ずらし!できるの?できないの!?」
だんだん面白くなってきてしまい席を立つ。
「ゆっくり食べさせてはもらえませんなぁ。ちょっと冷蔵庫を失礼」
「どうぞ~」
冷蔵庫を開けてみる。ピザ食ってるやつに作る料理……ねぇ。カット野菜、常備品のウインナー、卵のパック、牛乳、イチゴ。お、決まり――。
「へい、お待ち」
テーブルにグラスを乗せる。
グラスに満ちるのは少し赤みを帯びた乳白色。イチゴミルクだ。イチゴをざっくりつぶして、砂糖と牛乳を入れて、混ぜる。それだけ。料理ではない。ピザ食ってるやつに食わせる料理はない。
「わ。おいしそう」
「料理じゃねーけどな。召し上がれ」
十和子は両手でグラスを持ち、それを眺める。
「これは考えなかったなぁ。絶対おいしいやつじゃん。いただきまーす」
ゴク、ゴク、ゴクと十和子はグラスを傾け、イチゴミルクは喉を通る。まさか、と思う間もなくグラスは空になる。一気飲みである。
「ん。おかわり」
「はいよ」
悪いが想定内。予め注いでいたグラスを冷蔵庫から取り出して目の前に置く。
十和子はやっぱり、嬉しそうに、楽しそうにグラスを手に取ってくれた。
急激に背が伸びて、世間のイメージとずれ始めた頃から極端に食事を減らしたことがあると十和子は言った。
もしかして、だから十和子は今たくさん食べるのか?と考えはしたけど、目の前で幸せそうに笑う十和子を見て、そんな野暮な邪推は窓の外に放り投げることにした。




