22話 元国民的子役、海に行く。
都内、高級分譲マンションの12階。大きな窓の外は刺すような鋭い日光が照り付けている七月の終わり。夏休みは始まっている。
配信の伸びは順調。前回は鷹屋敷四段によるブーストやスパチャ芸もあり、切り抜き動画もかなりの数が再生されている。登録者数は10万を超えた。かなりすごい。東京ドーム二杯分だ。だが、十和子が友人でもあるトップタレント時鳥梓さんとの共演に掲げた条件は『登録者数100万人』。ランキングを見てみると、トップVTuberの100位がだいたい100万人だった。
ざっくり日本に一億人いるとして、その百人に一人が登録していると考えると途轍もなく、途方もない数字だ。
だけど、傲慢かもしれないし、思い上がりかもしれないけれど、俺にはこれっぽっちも不可能だなんて思えない。なぜなら、柊ワコだから。
「つーかさ、今更なんだけど。お前のいた事務所って無能か目が節穴なんじゃないのか?」
パソコンで作業をしながら問いかけると、後ろのテーブルで夏休みの宿題をやっていた十和子が訝し気に顔を上げる。
「なに、急に」
「だってさ。この短期間で登録者10万人を達成するようなタレントをだぞ?仕事とってこれないどころか契約解除までしてるんだぞ?頭がおかしいか、控えめに言っても目が腐ってるだろ」
つい怒気が乗って言葉が悪くなり、十和子は小さくため息をついてから両手を天井に伸ばして背伸びしつつ俺を咎める。
「私のいた事務所だけじゃないから。前も言ったでしょ?六社回ってもダメだった、って。使いづらかったんじゃない?実際さ」
「そんなもんかねぇ」
いまいち納得できない俺の表情を見て十和子はクスリと笑い、手元に置いたうちわでパタパタと俺に風を送る。
「それより、チャンネルの作業してくれるのは助かるけど、イツキもちゃんと夏休みの宿題やってるの?」
「ん?もう終わってるが?」
何を今さらと答えを返すと、十和子は心底驚いたという風に目を見開き口を開ける。
「嘘っ。あ、『終わってる』って別の意味で!?」
「お?『研々ナビ』で培った俺の勉強習慣を馬鹿にしてる?」
――『研々ナビ』。それはかつて柊ワコがイメージキャラクターを務めていた宅配型学習教材だ。
それを聞いて十和子は感心した様子で何度か頷く。
「へぇ~、意外過ぎ。そのまま続けてればよかったのに」
「ワコじゃなくなったら続ける理由ないしなぁ」
「私の後任は梓だったと思ったけど」
「あ、そう。興味なさ過ぎてコメントに困るわ」
「……友達なんですけど」
十和子からうちわを受け取り自分を扇ぐ。十和子の部屋のエアコンの設定温度はうちより少し高め。今でさえ十和子は上に一枚羽織っている。きっと寒がりな家主様に温度を下げようぜなんて図々しいことが言えるはずもない。
「エアコン下げてもいいよ?」
「いや、結構。暑くないし」
自分で言って明らかな強がりに苦笑すると、十和子もそれを知ってケラケラと笑う。
「嘘ばっかり。海でも行こっか」
「いいっすねぇ。行ったことないけど」
十和子はピタリと真顔になり数秒の間停止する。
「ちょっと、十和子さん?」
嫌な予感しかしない。
次の瞬間、十和子はスッと立ち上がり、期待に輝くまなざしで俺を見る。
「海、行こっか」
「マジ?」
十和子は確信に満ちた笑みを浮かべたまま、力強く一度頷いた――。
――そして、電車に乗ること三十分。
駅を出て少し歩くと、人工的な建造物や直線的な海岸線が視界に入る。照り付ける日差し。潮の匂いを含んだ少しべたつくビル風。
「海、だなぁ」
「あれ?思ったよりはしゃがないね?海だよ?初でしょ?」
日傘の奥で十和子が首を傾げる。
「いや、まぁ確かに海だけどさ。思ってた海と違うっていうか、これだとただ都会の添え物としての海みたいっていうか。なによりくそ暑い」
サンダルで砂浜を歩きながら団扇で扇ぐ。俺の様子を見て十和子はむっと頬を膨らませる。
「いいよ、そこまで言うなら。もう一時間半ちょうだい。私がイツキに本物の海をお見せするわ」
「なんか料理漫画みたいなこと言い出したぞ」
相変わらずの負けず嫌いさについ笑ってしまう。
「いいだろう。見せてもらおうか、本物の海ってやつを」
ここで乗らなきゃ面白くない。俺たちは電車でさらに移動する。一時間半。合計二時間。もうちょっとした旅行である。
乗り換えを挟み、電車に揺られること一時間半を経て、俺と十和子は目的地へと至る。
竜宮城を模したような駅を出て、日傘を差した十和子に連れられて進む。当然、初めて降りる駅。初めてくる場所だ。だが、湧き上がる既視感。高揚感。
そして、しばらく歩くと十和子は立ち止まり、得意満面の含み笑いで手を視界の先へと伸ばす。
「はい、海。どう?」
俺は立ち尽くす。
目の前に広がる青い海、波の音、白い砂浜。けど、そんなものどうでもいい。
「お前……、ここ!『レディオキッズ』八話に出てきた海だろ!?すげぇ!まんまじゃん!」
――レディオキッズ。説明するまでもなく柊ワコ主演ドラマである。その八話でワコ演じる鹿苑寺芽衣が友人と訪れたのがこの海だ。
興奮した俺を見て十和子は満足そうに頷く。
「ふふっ、せいか~い」
「いや、笑いごとじゃないぞこれ。やばいな、やばすぎる」
「笑いごとでしょ」
砂浜に降りて物珍し気にきょろきょろと辺りを見渡す。十和子は楽しそうに付近を指差しながら解説をしてくれる。
「ドラマでは秋だったけどね。カメラさんはその辺りにいて、監督はそっちの方。撮影のあと特別に水族館入れてもらったんだよ。貸切。ふふ、ずるいでしょ」
「全然ずるくはないな。ワコなら当然の対応だろ」
「はいはい、ワコワコ」
少しムッとした十和子はハンディファンの風を俺に向けて口を尖らせる。
日の長い夏の夕暮れ。ドラマのシーンをなぞるように、俺と十和子は波打ち際を歩く。足が波で濡れないように、でも波飛沫がかかるかどうかの際を歩く。
「あのドラマも名作だったよなぁ」
「イツキはワコが出てればなんだって名作なんでしょ」
「いや、そうでもないぞ。名作から超名作、神作までちゃんと公正に幅広く評価してる」
「ふーん、へー、そー」
興味なさげに十和子は投げやりな返事を返してくる。でもそんなもの俺には関係ない。
「八話のさ、靴を脱いで裸足で海に入るシーンあっただろ?あの時の十和子の表情が最高にかわいいんだよな。静止画でずっと見てられたよ、ははは」
軽く笑って砂浜を歩く。少し待ってもなんの返事も返ってこないので振り返ってみる。
十和子は真っ赤な顔で、その場に立ち止まって、睨むように俺をじっと見ていた。
「どうかしたか?」
「……本気で言ってんの?今ワコじゃなくって――」
なにやらごにょごにょ口ごもるので首を傾げてみる。
「本気に決まってんだろ。あのシーンのワコは俺的ベスト10に入るかわいさだ。あ、スマホに画像入ってるぞ。見る?」
「いい。見ない」
十和子は無造作に日傘を砂浜に置くと、その場で靴を脱ぎ散らかしてそのまま海へと足を踏み入れる。
「おーい、子供じゃないんだから」
「写真。撮ってよ」
少し頰を膨らませて、十和子はそう言った。
「へいへい。じゃ、スマホ貸して」
手を差し伸べる。十和子は首を横に振る。
「忘れた。イツキのスマホで撮って」
「俺のスマホはワコ専用なんだけどなぁ。しょうがない。撮るぞー、笑って笑って」
スマホを向けると、十和子は困り顔のままジッとカメラ越しに俺を見て首を横に振る。
「やだ。笑わない」
「お好きにどうぞ〜」
十和子が笑おうが笑うまいがお構いなしに撮影は決行される。パシャ、パシャと疑似シャッター音が二度、三度と鳴り響く。
撮り終えた写真は即座に十和子のスマホに送る。
ポシュっと通知音が鳴り、十和子はスマホを取り出して画像を確認する。
「ふふ、ありがと」
「持ってんじゃん、スマホ」
指さし指摘して白い目を向けると、十和子はスマホを庇うように身で隠して悪戯そうに笑う。
「あ、ほんとだ。あったね。画像、消さないでよね。ふふっ」
波打ち際に足を濡らし、十和子は嬉しそうに笑った。




