20話 柊木十和子の声は聞こえない。
配信を翌日に控えた土曜日。そして、この日からは夏休みが始まる。
学校がない分配信のペースも上げられそうだし、やれることは何でもやりたい。
「あ。鷹屋敷くんだ」
リビングでテレビを眺めていた十和子が声を上げ、振り返ると画面に映っていたのは無造作に髪の伸びた細身の少年だった。鷹屋敷圭。去年中学三年にしてプロの将棋棋士になった天才だ。
「お。そう言えば鷹屋敷四段と同じクラスって言ってたよな。こないだ初めて負けたんだろ?すげぇよな、負けてニュースになるって」
「確かに。次の日学校来なかったよ」
「やっぱり悔しいよなぁ」
ありきたりの感想を述べてしまうと、十和子はクスリと笑い首を横に振る。
「じゃなくて。振り返りで将棋のやつ並べてて、気づいたら一日が終わってたって」
「駒、な。さすがすぎる」
鷹屋敷四段の出演しているのは生放送の情報バラエティ番組。
『それでは、デビューから29連勝の日本タイ記録を打ち立てた鷹屋敷四段ですが、春から高校生になったんですよね?最近ハマってることってありますか?』
『え。普通に将棋、ですが』
何を当たり前のことを、とばかりに首をかしげる鷹屋敷四段。
『で、ですよね~。じゃあ、将棋以外!将棋以外だったらどうでしょう?』
『将棋以外……』
鷹屋敷四段は腕を組んで考え込む。周囲を思考の渦に巻き込むような沈黙。一秒、二秒。放送事故って何秒からだっけ?見ている方が心配になってしまう。
『あ』
なぜすぐに思いつかなかったのか、と閃きに顔を綻ばせながら、短く声を上げ、MCの女性は明らかにほっとした表情を見せた。そして、人懐っこい笑顔で鷹屋敷四段は言葉を続ける。
『柊ワコって人の配信見てます。知ってます?僕のクラスメ――』
『な!なるほど!』
MCの女性がとっさのタイミングで言葉を遮り、速射砲のように早口で言葉をまくしたてる。
『神童と呼ばれる鷹屋敷四段も、週末は配信を眺めるという年齢相応な一面もあるということでしたね~。新時代の天才のこれからに、番組も注目していきたいと思います!それでは続いて――』
画面から目を離して十和子を見ると、十和子も俺を見ていた。
「柊ワコ、だって」
「……鷹屋敷四段、見てたの?マジで!?」
「見てるって言ってた。確かに」
それからSNSを眺める。当たり前の話だけど、もうお祭り状態だ。
『【速報】鷹屋敷圭、柊ワコのガチファン』
『クラスメ……って言った?』
『柊ワコっていつの間にか消えたよな』
『オワコンチャンネルってのやってて悲しい』
『そうか、柊ワコと鷹屋敷四段同じ歳か』
ほとんど稼働のない鷹屋敷四段の公式アカウントも大賑わい。将棋界隈以外のファンも多い彼のガチ恋勢の悲鳴も交じり、かなり混沌とした様相を呈する。
SNSのフォロワーも、チャンネル登録者数も、わずかな時間で目に見えて増えていく。
『明日夜九時三分!配信しまーっす。毎週日曜はトワコンチャンネル、よろしくです』
十和子は嬉々として宣伝ポストを投下。
「商魂たくましいっすなぁ」
「んっふふふ、いっぱいの人に見てもらえるのって嬉しくない?」
ワコファン以外にも鷹屋敷四段のファンも、冷やかしも、批判目的も見に来るだろう。そう思ったけど、そもそもテレビってのがそういう存在だった訳だから、今更十和子がそんなこと気にする訳がないのか。
一時間ほど経って柊ワコの公式SNSにDMが届く。DMの主はなんと鷹屋敷四段。
『柊木十和子さん、ごめん。聞かれたからつい答えちゃって。時鳥梓さんに電話ですごい怒られた。反省してます。ごめんなさい。これからも配信見てもいいですか?』
『あはは、気にしないで。ちょうどテレビ見ててびっくりしたけど全然問題なし!明日も配信見てくれると嬉しいです』
『ありがとう』
「なんかすごい感じよさそうな人だな」
文面からもう人柄がにじみ出ている。
「そう!芸能科の中でも鷹屋敷くんは一番マイペースで、一番独特の空気出してるんだよ。梓は名人って呼んでる。なんか皆名人になってるんだって、中学生でプロになると」
十和子は楽しそうにそう話し、よく考えてみると俺は十和子の学校での姿を全く知らないことに今更ながら気が付く。
「時鳥梓も同じクラスなの!?」
驚きの声を上げると、十和子は不満げにジト目を俺に向けて椅子をクルリと半回転回す。
「あれ?ワコ以外ご興味ないんじゃなかったでしたっけ?」
「そりゃもちろん。3回共演あるからな。『天気よし』と、『ヴァリアント』と、あとレギュラーの――」
「はいはい、別にワコ豆知識は披露しなくていいから」
十和子は立ち上がり、テレビを消す。
「別に数字とかはあんまり興味ないんだけどさ」
そう前置きをして窓に向かい、窓を開く。大きな枠取りの窓を開くと、風が入り込み、カーテンを揺らし、十和子の黒髪を揺らす。
「100万人。チャンネル登録が100万人になったら、梓と共演したいんだ。子供のころからずっと、一緒に戦ってきた友達だから」
俺を振り返り、決意を秘めた瞳で十和子はそう言った。自分の力で増やさなければ、隣に立つ資格がないとその瞳は言っていた。
「できると思う?」
チャンネル開設からひと月と少し。現在の登録者数は45882人。馬鹿げた数字だ。俺は小ばかにしたように鼻で笑い即答する。
「できないと思うか?」
十和子は嬉しそうに口を弛めて首を横に振る。
「全っ然」
「だよな。そんじゃ引き続き、明日の準備と行きますか。明日歌もやるんだろ?権利的にハードル低いやついくつかリストアップしといたから、好きなの選んでくれ」
そして、部屋の隅に坐する白い防音室に目をやる。
「そういや、アレ試したの?」
「うん。中に入ったけど、全然音しなかったよ」
「……そりゃ元々この部屋静かだからなぁ」
あきれ顔で呟くと、十和子はピンと閃いた様子でパンと手を叩く。
「あっ、じゃあ今試そっか。私が中で大声を出すから、イツキは聞こえるかどうか確かめてよ」
「おっけー。俺の耳を甘く見るなよ」
「ふふ、なにその自信。もし聞こえたらドアをコンコンって叩いて。じゃ、スタート」
十和子は弾むような足取りで防音室の扉を開き、中へと入る――。
◇◇◇
――防音室の中。
電話ボックスの倍以上ある大きさの白い箱に入った十和子は扉が閉まっていることをしっかりと確認すると、ガラス越しにイツキの姿を確認して一度大きく息を吸い込む。
「イツキー。聞こえるー?」
叫び声に近い大きな声を上げる。すると、コンコンとドアがノックされる。
「じゃあ次ね。おーい、き・こ・え・るー?」
少し声量を抑えて声を出す。しばしの間返事を待つが、ノックは来ない。それから二度、三度と音量と高低を変えながら実験をする。防音の線引きをかなり把握した十和子は少し考えて、一度口を結ぶ。
深呼吸。息を吸って、吐く。
「おーい。聞こえるー?聞こえますかー?」
この音量であれば聞こえないことはすでに確認済み。返答は無い。
十和子は、ガラス越しにイツキを見ながら、ガラスに手を触れて困り顔で呟く。
「……ワコだけじゃなくて、私も見ろよ。バーカ」
そんな言葉は、防音室の壁に吸われて消えて、外に出ることはなかった――。




