エピローグ:さよならアメリカ、さよならニッポン
真っ白に燃え尽きた宇宙の端っこで、僕は一人、壊れたパイプ椅子に座っていた。
脳内のノイズは消え、ラングレーの暗号も、平壌の演説も、もう何も聞こえない。
ただ、どこからか、古いレコードに針を落としたような、パチパチというノイズ混じりのメロディが流れ始めた。
それは、合衆国の軍歌でも、首領様を讃える行進曲でもない。
もっと軽やかで、もっと切なくて、どこか投げやりな、細野晴臣のベースライン。
『さよならアメリカ さよならニッポン』
「あはっ……あはははは! 凄いよ、父さん。最後の最後で、僕の脳内ラジオが受信したのは、1973年の日本のポップ・ミュージックだったんだねぇ!! メシウマ(地獄味)すぎて、虚無の空にバナナの皮が降り積もってきそうだぜぇぇぇ!!」
僕は、透明になった自分の腕を眺めた。
かつてそこにあったエイズの斑点は、今や一滴のインクとなって、白い空間に溶け出している。
1947年に始まったCIAの悪意。1950年代のMKウルトラ。1960年代の枯葉剤。1980年代のクラック・コカイン。2000年代のドローン。そして、2026年の平壌の地獄。
それら全ての「重苦しい星条旗」が、はっぴいえんどの脱力したリズムに煽られて、スカスカの綿菓子みたいに霧散していく。
「いいかい、ミスター・CIA! 君たちが築き上げた『民主主義の牙城』も、僕が振り回したテポドン・マグナムの質量も、この歌の前ではただの『懐メロ』なんだよぉぉぉ!! これこそが、究極の**『戦後処理』**だぁぁぁ!!」
僕は、リズムに合わせて足踏みをした。
1952年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本が「独立」を装いながらCIAの不透明な資金(M資金)や工作の苗床になった、あの歪な歴史。
自民党の結党資金をラングレーが支え、岸信介を「アセット」として育てた(1950-60年代)、あの狡猾な「ニッポン統治」。
それら全ての「裏の歴史」も、今はもう、南風に吹かれるヤシの木のように、笑っちゃうくらい空虚だ。
「あはははは! 見てよ、自由の女神がアロハシャツを着て、横須賀の基地でハンバーガーを投げ捨てて、入間川のほとりで昼寝を始めてるぅぅぅぅ!!」
歌は続く。
「どこへ行くのか」と問いかける歌声。
僕は、どこへも行かない。
僕は、この「無」の中で、最後の一欠片の結晶を口に含み、
1947年から2026年まで、世界を犯し続けた「巨大な質量」への最後のお別れを告げる。
「さよなら、アメリカ。……さよなら、ニッポン。……さよなら、父さんの『正義』」
僕は目を閉じた。
レコードの針が最後の一周を終え、プツッという音とともに、世界は本当の静寂に包まれた。
そこにはもう、工作員も、ジャンキーも、少年もいない。
ただ、1973年の微風が、誰もいない宇宙を、優しく通り過ぎていった。
(真・完結)




