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灰と灯火のグリモワール  作者: みむらす
第二部 雪の降る日 中編【女神様の加護】
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7話 カリーナは笑わない

 旅の道中、初めて訪れた村で、初めて宿というものに泊まった。

 他人の家なのにまるで自分の家のように過ごせるのは奇妙な感覚だった。


 私は寝床に寝転びながら、村の皆が持たせてくれた重たい巾着に感謝をする。

 お金さえあれば、どうにかなりそうだ。


 だがその巾着も、日を重ねるごとに少しずつ萎んでいく。

 村を出て1週間もする頃には、中身は半分ほどになっていた。

 このままいけばヴェルディアスに到着しても、村に帰るのは無理かもしれない。


 私は、女神様に祈りを捧げることしかできなかった。

 だが不思議と、女神様に祈りを捧げる度に多くの人々が優しく接してくれた。

 馬車や宿屋に格安料金で泊めてもらったこともある。


 そして数時間前、私は20日間の長旅を終え、ようやくヴェルディアスに到着した。

 旅の途中で徐々に物価が上がっていく中、その地域で最安と聞いていた馬車も宿も、都会であるこの街の方が安いことに私は心底驚いている。


 私は今、大通りに面した飲食店の前に立っていた。

 頭に白い頭巾をつけて、髪を後ろで束ねた若い女性が店の前でお客さんの列の調整をしている。

 列を見ると十人ほど待っているようだった。


 行列ができているってことは美味しのかなぁ。

 列に参加するかを迷っていると、白頭巾の女性が声をかけてきた。


「昼食ですか? よければどうぞ」

 明るい声の女性に紙を手渡される。

 私は右手に持っていた杖を脇に置くと、その紙を受け取った。


 そこには料理のメニューが並んでいる。

 所々に料理をデフォルメした手書きの絵が描かれていて親しみが湧く。


 そして、メニューの横に並んでいる金額に目をやった。

「ご飯も安いんだ……」


 もしかして、今まで騙され――。


 両手で自分の頬を叩くと、手に持った紙がクシャリと音を立てた。

 そんなこと、考えちゃいけない。

 根拠なく人を疑うのは良くないことだ。

 女神様へ願った結果に悪いことなど起こるはずがないんだから。


 私は村の皆が持たせてくれた巾着の口を開く。

 長旅を終えた今、それはスカスカになっていた。


 でも……。

「このお店で食べたいなぁ」

 グゥ〜……。

 今の私に賛同してくれるのは、お腹の虫しかいない。


「よし!」

 こういう時こそ、明るく元気でいなければ。

 私は列に加わることを決めると、巾着を腰のポーチに入れ、脇に置いた杖へと手を伸ばす。


 スカッ。


「――あれ?」

 杖に触れるはずの手が空を切った。

 そこにあったはずの杖はなく、そこに倒れている訳でもない。


 キョロキョロと周囲を見渡すと、近くに同じ型の杖を持っている男が、こちらに視線を向けていた。

「あ、同じ杖の人……って、そんなわけないじゃん!」

 言いながら、即座に理性が反論する。

 流石の私でも盗られたことくらい理解できる。


 その男はくるりと背を向け、逃げた。

 ヒュッと胸の奥に冷たい風が吹き抜ける。


 杖は魔術師にとって、魔力のブースト装置だ。マナの調律もしやすくなる。その杖がなかったら、私は実力以上を発揮できない。

 それに――。


 両親が買ってくれた、私にとって一番大切なものだ!


「ちょっ……ちょっと待って!」


 ここしばらく馬車移動が多かったせいか、走る体は思うように動かない。

 太ももが上がらず、何度も転びそうになった。


「はぁ、はぁ、杖が、無くなっちゃう……!」


 男との距離はどんどん離されていく。

 魔術の詠唱をするが、走りながらでは息が乱れて上手く唱えられない。


「杖を、返して!」

 叫び声に喉がひりつく。だが、その声は男には届かない。

 届いたところで返してくれないことはわかっている。


 それでも――。

「私の杖を返して!」


 涙に視界が歪んだ、その時――。

 私の左右を何かが駆け抜けた。ものすごい速さで私を置き去っていくその背中は、二人の少年だった。


 いったいどんな魔術なのだろうか。グングンと加速していく彼らは男の行手を阻む。

 そして、男が突き出す短剣を容易く交わすと、そのまま地面に押さえつけた。

 男の手から落ちた短剣が、カランと地面にぶつかる音が響く。


 一瞬の出来事だった。

 

「はぁ……。はぁ……」

 ようやく追いつくと、彼らと視線が合う。


 地べたに倒れ込んだ男の背中を、片方の少年が膝をついて押さえつけていた。その横に転がる私の杖を、もう片方の少年が拾い上げる。

「離せ! 俺は何もやってない!」

「いや、なんか盗ったんだろ。この杖とか」

「ち、違う! これは俺のだ。その女が盗ったんだ!」


 意味のわからない男の言動に、私の思考が停止する。

 どうしよう。この杖が私のものだと証明しないといけないのかな。

 だけど、どうやって証明したら……。


「お前はこの前もスっただろ!」

 近くにいた露店の男が大きな声を投げかける。


 私の杖を両手で持った少年が近づいてくる。

「これ、あんたのだよな?」


 私は答えようとしたが、喉が掠れてすぐに声が出なかった。

 呼吸を整え、自分を落ちつかせた私は大きな声で宣言する。

「私のです!」


「……くそっ!」

 押さえつけられている男が観念したように吐き捨てた。


 良かった。本当に、本当に良かった。

 安堵し涙が溢れそうになるのを堪えつつ、彼の手から杖を受け取る。私の手が彼の指先にチョンと触れた。

 その瞬間、胸がドキリと高鳴った。


 え――。

 今のは、なに?


 私の戸惑いをよそに、彼らは男を連れて去って行く。


 「衛兵だろ」「ちがう門兵だ」

 二人は男をどこに連れていくかを話しているようだった。

 言い合いながらも仲が良さそうにしている。


 いいなぁ……。

 気がつけば彼らの背中を目で追っていた。


 私には友達と呼べる人がいなかった。周りにいるのはいつも年上の大人ばかり。

 今まで自分と誰かと比較することはなかったが、同い年くらいの彼らからは、まるで歴戦の戦士のような雰囲気を感じた。

 きっと優秀な魔術師なのだろう。もしかしたら学院の卒業生なのかもしれない。


 私も村の皆の期待に応えるため、彼らのような立派な魔術師にならないと。

 唇を引き締め直し、取り返してもらった杖を握りしめる。


「それにしても――」

 小さくなっていく彼の背中から目を離し、彼に触れた指先をもう片方の手で撫でた。思わず顔がにやついてしまう。

「めっちゃイケメンだったなぁ」


 そこで私は大事なことを思い出した。


「あ! 連絡先聞くの忘れた!」

 彼らを追いかけようとし、メモが入っている腰のポーチに手を――。


 スカッ。


「あれ……?」


 腰にあったはずの、年期の入った革製のポーチがなくなっていた。

 慌てて周囲を見回すと、遠くで私に背を向け、走り去っていく男の姿が見えていた。

毎週日曜の20時に更新しています。

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