34話 約束の門
まだ少し雪の残る門までの道を、僕たち3人は無言で歩く。
村の門が視界に入ってくると、ローゼンは既に到着していた。
僕は手を挙げ、「ローゼン――」
隣を歩く母に、唐突に両肩を掴まれた。
母は唇をわなわなと震わせ、目に涙を蓄えている。
「……カイン。お願いだから、もう少しだけいてちょうだい。あと半年でも1ヶ月でも良いから……!」
そして崩れ落ちるように膝をつき、ボロボロと涙を流す母の姿に胸がギュッと締め付けられたように苦しくなる。
「母さん……」
「やめなさい……」
父は母の肩に手を置くと、優しく母を宥める。
「母さん、いきなり出て行ってごめん。でも、僕はアリスに約束をしたんだ。
"オータスみたいに強くなって、魔術学院を卒業する時に迎えにいく"って……。
まだ英雄ほど強くはなってないけど、約束を守りに行きたい」
母は震える声で、絞り出すように続ける。
「あなたが"オータスみたいな英雄になる"って言った時、私は……嬉しかったのよ。
ああ、カインはたくましく育っていくんだなって。あの時、本当に……」
オータスの英雄譚を始めて読み聞かせてくれた夜の光景が脳裏をよぎった。
蝋燭の灯りだけが照らす薄暗い部屋。
あの時「みんなを守る」と誓った時、頭の中には母さんの姿があったことを今でも覚えている。
「でもね、本当はずっと怖かった。あなたが危険な世界に巻き込まれていくんじゃないかって……。あなたがこの家から出て行くことが……、何よりも怖かったの」
母は頬を伝う涙を拭う。
だが、溢れる涙がとめどなく頬を濡らす。
「それでもね、あなたが友達との約束のために頑張ってきたって聞いて、あなたの芯はあの頃と変わっていないって気がついた。あなたなら、きっとアリスちゃんが認めるような英雄になれるわ」
再び僕の肩に置かれた手が震えていた。
だけど――。
「母さん、僕……この家がちゃんと好きだよ」
「知ってるわよ……」
「……今朝のメルンパン、やっぱり最高に美味しかった」
「……もうっ」
それでも僕は、この村を出る。アリスを迎えに行く約束のために――。
「たまには帰ってくるよ」
「その時は、早めに連絡するのよ」
僕は黙って頷いた。
それから、僕たち3人は再び門に向かって歩き始める。
「ちゃんと、帰ってくるのよ」
「うん。帰るよ。絶対に――」
僕たちはローゼンに合流する。
「ローゼン君、カインをよろしくね」
気丈に振る舞いながらも涙を湛える母の言葉に、ローゼンは無言で、力強く頷く。
行ってきます――。
僕がそう言おうとした時、父が声を発した。
「カイン。これも持って行きなさい」
手渡されたのは麻袋。
大きさの割にはズシリと重たかった。
「……これは?」
「お守りみたいなものだ」
そして父は僕の背中に手を回すと、力強く引き寄せた。
力強くも暖かな父の胸の感触が伝わる。
少しの間そうしてから離れると、今度は僕の両肩に手を置き、じっと目を見つめてきた。何も言わず、その姿を記憶に焼き付けるように――。
そうだ。これが最後かもしれない。
僕も父の目をじっと見返す。その目には優しくも力強さが宿っていた。
しばらくそうした父は、「頑張れよ」と僕の肩に乗せた手に力を込めた。
この目で、この手で――、今まで僕たちを守ってくれていたのだ。
「――うん。行ってくる」
その一言だけを残して、僕は振り返らずに村を後に――。
「私もやる……!」
母は涙をボロボロと流しながら、飛びつくように抱きついてきた。
「ははは! 握手会じゃないんだぞ」と父。
「うるさーい!」
子供のように感情を表現する母を、僕はこの時初めて見た。
もしかしたら今まで母親のように努めていたのだろうか。
そんな母を僕は抱きしめ返す。
僕の身長はいつの間にか母を追い越していたようだ。
震える母の体は余計に小さく感じた。
母が僕から離れるのを待ち、僕は父に向き合う。
「父さん、母さんをよろしくね」
父は静かに笑うと、「それが父さんの役目だよ」と返しながらローゼンに向き合う。
「ローゼン君も、頑張ってくるんだよ」
父はローゼンにも麻袋を手渡す。ローゼンはそれを真顔で受け取った。
「カインだけは、無事に返します」
僕たちのやりとりを見て何を感じたのか、そんなことを言うローゼンを父は抱きしめる。
「そんなことはいい。君も無事に帰ってきなさい」
「うん……。ありがとう――。いつも、本当に」
この時ローゼンはどんな表情をしていたのだろうか。
父の体に隠れて、僕からは見えなかった。
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