不登校と発作
「おい、嘘だろ」
開始五分で古賀が呆然と呟いた。
それもそのはず、カードのほとんどが静音ちゃんの手元にあるのだ。
「静音ちゃん、すっごく記憶力いいんだよ!」
愛佳ちゃんはくりくりした目を細め、まるで自分が勝ったかのように喜んだ。
事実、静音ちゃんは一度めくられたカードをほとんど忘れることなく取っていった。
序盤こそほとんど差がつかなかったものの、終盤になると四、五組は一気に取っていってしまう。
「……天才かよ」
場に残ったカードがなくなったとき、わずか二組のカードしか持っていない古賀と、その十倍は持っている静音ちゃん。
両側で結った髪を揺らしながら四十枚近くのカードを几帳面にそろえていた。
兄の表情をドヤ顔で見つめながら、ゲームの親である愛佳ちゃんはカードを集め始める。
「お兄ちゃん、もう一回やる? それとも別のゲームでも……」
「このままで終われるか、もう一回だ」
むきになった様子の古賀に、静音ちゃんはようやく表情を緩めた。その拍子に細い栗色の瞳が細まり、黒い糸のように見える。
そこでちょっとしたアクシデントが起きた。愛佳ちゃんに自分のカードを渡そうとした静音ちゃんは、うっかりわきのコップに手をひっかけてこぼしてしまった。
じわりと、真新しいトランプにコーヒーのシミが広がっていく。
「あ……」
普通ならごめん、と言って終わりだろう。汚れたといってもトランプだし、床はフローリングだから拭けばいいだけだ。
でも静音ちゃんは。
汚れたトランプと床を見て一瞬呆然とし、かすれたような呼吸音が喉の奥から聞こえた。
ああ。「また」始まるな。
僕は心の準備をし、次に起こることに備える。
「う、うわああぁぁ」
栗色の瞳から涙をとめどなく流し、引きつったように大声で泣き叫ぶ。
尋常でない泣き方に、古賀が軽くパニックに陥るほどだった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「コーヒーぐらい大丈夫だから、そんなに泣くなよ、」
古賀がかるくたしなめるが、静音ちゃんは泣き止む気配がない。
スカートのポケットからハンカチを取り出し、トランプを何度も何度もこすっている。
「愛佳ちゃんが、せっかく、」
まるで強迫観念に突き動かされるようにトランプをぬぐい、愛佳ちゃんに泣きながら謝っている。
締め切られたガラス越しにでも聞こえそうな大声で泣き続け、すでに顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
僕は腰を浮かせて、静音ちゃんに近づこうとする。だけど兄と違って落ち着いた様子の愛佳ちゃんは、泣き叫ぶ静音ちゃんにそっと触れる。
静音ちゃんは一瞬だけ体を震わせるけど振り払わない。愛佳ちゃんは相手の反応を一つ一つ確認するようにしながら、そのままそっと抱きしめた。
「うっ、うっ、う」
えずくような声はまだ喉の奥から漏れている。けれど、愛佳ちゃんはくりくりした瞳を細めてそっと静音ちゃんの背中を撫でていた。
「大丈夫だよ」
その一言だけをシンプルに伝えながら、ただ彼女をあやしていく。
やがて静音ちゃんが落ち着いてくると。
また、やっちゃった。そんなふうに弱弱しくつぶやいた。
古賀に静音ちゃんの発作を見られた。
愛佳ちゃんは知っていたようだが、古賀は初めてだったらしい。進んで話すことでもないけど、こうなった以上知ってもらった方がいいだろう。
僕から話そうか、そういったけど静音ちゃんは目元を赤くはらしたまま首を横に振った。
場の雰囲気が落ち着いたころ、静音ちゃんはぽつり、ぽつりと話し始める。
「私、不登校なんです」
トランプをしまい、みんなが輪になって座る。
普通の人間ならこういう時は表情を取り繕っても、トラブルに巻き込まれて嫌そうな感じがにじみ出る。
だけどこの場にはそんな人はおらず、静音ちゃんのつぶやきに真剣に耳を傾ける。
「この頃はがんばって、週二、三回は学校に行ってるんですけど。でも行くのはきつくて、通った後はぐったりして」
「でも全然学校に行ってなかった時でも、愛佳ちゃんだけは仲良くしてくれました。プリント届けたりとか、してくれて。そのうちに家に上がって、話もするようになって」
「静音ちゃん面白かったしね! すっごく記憶力よくて、聞いてると楽しかったし」
愛佳ちゃんにとっては何気ない言葉なのだろう。でも静音ちゃんの表情はほころび、軽く涙ぐむ。
「でも時々泣き叫んじゃうだけで仲間外れにされてるの、なんかいやな感じがした」
愛佳ちゃんは手元にあったコップを取り、乱暴な手つきですすった。
ガラガラという氷の入った飲み物をすする音が部屋に反響する。
「愛佳ちゃんと一緒なら学校に行けるって、少しずつ思えてきたんです。ある日勇気を出して、愛佳ちゃんに頼み込んで、一緒に登校してもらいました」
「でも愛佳ちゃんが仲間外れにならないか、すぐに怖くなりました。実際、愛佳ちゃん私と仲良くしてるせいで悪く言われたりして」
「そんなこと気にしないでいいんだよー。バカっていうやつがバカなんだよ!」
くりくりした目を細めて、顔いっぱいに笑顔を浮かべて愛佳ちゃんは言う。
明るい調子だからこそ、虚勢を張っているのが嫌というほど伝わってくる。
この年でここまで場の空気に気遣えることが逆に痛々しかった。
「だから、愛佳ちゃんにだけは悪いことしちゃいけないんです、それなのに……」
「気にしすぎだろ」
静音ちゃんの声が途絶えたところで、古賀がそう言う。
「迷惑くらいかけたっていい。それがダチってもんだろ ……なあ西戸崎」
静音ちゃんが身をすくませた。視線をそらし、体操すわりした膝の間に顔をうずめてしまう。反応が意外だったのか、古賀の言葉が珍しくしりすぼみになった。
古賀が僕にも視線を向けたけど、さすがに面と向かって違うとは言えないから空気だけで否定した。
言葉が響かないことに戸惑ったのか。相手の反応に、さすがに苛立ったのか。古賀の表情が険しくなる。
古賀はやっぱり陽キャだな、と軽くむかついた。
その言葉は友達に恵まれた人間だから言えるセリフなんだよ。
支えて支えられて、喧嘩して仲直りしてがごく当たり前だからの発想だよ。
僕や静音ちゃんは、話せる相手が一人でもいることが奇跡だった。
そんな陰キャやコミュ障にとっては、人を傷つけるとか、怒らせることがすごく怖い。
一度怒らせて取り返しのつかないことになった経験が少なからずある。
だから対人関係では友達を作らなくなったり、人の顔色をうかがってびくびくと震えるようになる。
「いいんだよ、静音ちゃん」
今度は僕が言葉を紡いだ。
「迷惑かけて泣いたっていい。それは君がとびぬけて優しいからだよ。受け入れてくれる人がいるんだから、それでいい」
そうやって、いつも通り静音ちゃんの背中を撫でていく。
小学生だけど徐々に肉付き始めた背中。ブラの紐をひっかけないよう、手つきを慎重にする。
「ありがとう、先生」
目元を赤くしながらも、笑顔で僕を見上げる静音ちゃん。
「それと、愛佳ちゃんのお兄さん。ごめんなさい」
正座して深々と頭を下げる彼女に、古賀も毒気を抜かれたらしく表情がすっかり落ち着いた。
麦茶を片付けて、今度はみんなでババ抜きをする。
その間も、古賀を注意深く観察した。
口でなんと言おうとも、口だけでやさしいことを言って心の中で見下している人はいる。
「よっしゃ、ババだぜそれ!」
「失敗です。ババ抜きみたいな運次第のゲームは嫌いです」
「運も実力のうちってな」
陽キャと陰キャの言葉遣いと雰囲気の差が、これだけのやり取りでもはっきりとわかる。
でも古賀の目は、汚いものを見るような目じゃなかった。
ア〇ペガイ〇ジとか平然と言う人の雰囲気とは違う。食い違いはあるけれど、お互いに
うまくやろうとしている。これなら大丈夫だろう。
それからは穏やかな時間が流れ、やがて僕と静音ちゃんがおいとまする時間になった。
「またね~」
「西戸崎も、愛佳の友達も、またな。今日はいろいろあったけど、今度は楽しくやろうぜ」
静音ちゃんのことは心配だけど今はこれでいい。友達が増えて、安心して過ごせる時間が増えれば自然と落ち着く。
僕がそうだったから、よくわかる。
それに今やっていることが順調にいけば、彼女と気が合う友人ともっと多く出会えると思う。彼女と似た境遇の子とも出会える可能性がある。
誰にでもできることじゃないし、失敗する可能性もある。
時間と費用と才能が要る茨の道だ。そして彼女に茨の道を勧めたのは、この僕だ。




