第三巻 『炎と土のあいだ ― 暮らしを育てる火』 第一部「川の王の宴 ― 緑玉をめぐる人々の思惑」
一 春を迎えたヌナの邑
山々の雪が少しずつ薄れ、白瀬の川に春の水音が戻ってきた。
冬のあいだ、白く凍りついていた岩の隙間には細い水の流れが生まれ、川辺の土は湿り気を帯びている。雪の下で眠っていた草の芽が顔を出し、木々の枝には、まだ小さいながらも若葉の兆しが見え始めていた。
ヌナの邑にも、春の仕事が戻ってきた。
男たちは山へ入り、獣の足跡を確かめる。狩りに使う弓の木に割れがないかを調べ、弦に使う繊維を撚り直す。石鏃の欠けたものは新しく打ち欠き、槍の先に取り付ける石も確かめていた。
女たちは冬のあいだに蓄えた食べ物を調べ、乾燥させた魚や肉、木の実を選り分ける。栃の実は灰汁抜きを終えたものを粉にし、栗や胡桃は必要な分だけ割って食べる。
稲を育てる者たちは、保存しておいた籾を確かめていた。
食べるための籾と、次の季節に蒔く籾を分ける。湿気が入らぬよう、乾いた草や編み袋を使い、傷んだものを取り除く。
ヌナの邑の人々にとって、稲はすでに遠い土地から届いた珍しい食べ物ではなかった。少しずつ育て、収穫し、食べ、次の年へつないでいく、大切な恵みになっていた。
その一方で、土器を作る者たちは、春の粘土を探す準備を始めていた。
川辺の土は、冬の間に凍ったり解けたりを繰り返し、場所によっては柔らかくなっている。だが、どの土でも器になるわけではない。
指で押すと粘りのある土、乾くとひびが入りやすい土、細かな砂を含んでいる土。土の性質は、採る場所によって違う。
サナは、土器を作る仲間たちと相談しながら、今年使う土を選ぶ日を考えていた。
「この前の土は、形を作るときにはよかったけれど、焼いたあとに少し縮みすぎたね」
「砂を混ぜたら、今度は手にざらついたよ」
「なら、川上の土も見てみよう。水の流れが緩やかなところなら、細かな土がたまっているかもしれない」
人々は、土の癖を知っていた。
長いあいだ土器を作ってきたからこそ、少しの違いにも気づくようになっていたのである。
ミヤは、その話を聞きながら、翡翠を磨く手を休めた。
彼女の前には、いくつかの石が並んでいる。
山から採ったままの原石。形を整えたものの、まだ磨き上がっていない加工途中の石。そして、穴を開け、表面を滑らかに磨いた完成した勾玉。
石は、どの段階にあるかによって、必要とする手間も、渡す相手も違う。
ミヤは一つの原石を手に取り、光にかざした。
「この石は、まだ中がわからないね」
そばにいたアシナが言った。
「そう。表面は緑だけれど、割ってみなければ、どこまで同じ色が続くかわからない。白い筋が入っているかもしれないし、細かな割れ目が隠れているかもしれない」
「山で石を見つける者の目と、磨く者の目は違うのだな」
「でも、どちらも必要よ。山でよい石を選んでくれる人がいなければ、私の手には届かないもの」
アシナはうなずいた。
「そういえば、あの山奥の谷の女も、石を磨くのが上手だったな」
ミヤの手が止まった。
「ユラさんね」
「そうだ。丸い飾りも、細長い飾りも作っていた。穴を開ける前の石を、いくつも見せてくれた」
「どんなふうに磨くの?」
「石を急がせないと言っていた。少しずつ削り、水を使い、形を確かめながら磨くそうだ」
ミヤは、目の前の翡翠を見つめた。
ユラという名は、アシナから何度か聞いていた。
アシナたちがヌナの谷とは別の山間の谷を訪れたとき、ユラはアシナに淡い緑の雫形の飾りを贈ったという。その石は、まだ穴を開けていない加工途中の品だった。
ユラは、いつかミヤと互いの技を見せ合いたいと話していたそうだ。
しかし、ミヤ自身は、まだユラに会っていない。
「会ってみたいな」
ミヤは小さく言った。
「きっと会える。山道が落ち着いたら、訪ねよう」
「そのときは、私の磨いた石も持っていくわ」
アシナは笑った。
「石の話だけで、日が暮れてしまうかもしれないな」
「それなら、火を囲んで話せばいいわ」
ミヤの言葉に、二人は笑った。
そのとき、邑の入口の方から声がした。
「遠い川の土地から、旅人が来たぞ!」
人々は顔を上げた。
春の道を越えて、また遠い土地から人が訪れたのである。
二 川の王から届いた招き
旅人は、タケルのもとから来た者だった。
名をイツキという。
以前にもヌナの邑を訪れ、タケルの言葉を伝えた正式な使者である。彼は青銅の小さな飾りを胸につけ、丈夫な獣皮の上着を着ていた。腰には水を入れる小さな器と、旅の道具を収めた袋を下げている。
イツキの後ろには、荷を運ぶ若者が二人いた。
「久しぶりだな、アシナ」
「よく来た。川の水は、もう春の色になったか」
「雪解けの水が増えている。川辺の草も伸び始めたよ」
イツキは笑い、ゴウザやカガにも挨拶をした。
そのあと、彼は皆の前に座り、持ってきた言葉を伝えた。
「タケル様が、遠い土地の者たちを集めて宴を開く。稲を作る者、海を渡る者、青銅を扱う者、石を磨く者、土器を作る者。いろいろな土地の者が集まるそうだ」
「なぜ、わしらに知らせに来た」
ゴウザが尋ねた。
「タケル様は、越の山辺から届いた緑の石を、皆に見せたいとお考えだ。イツキが持ち帰った勾玉を、宴の席に置くそうだ」
ミヤは思わずアシナを見た。
あの勾玉は、彼女が磨いた品だった。
山から見つけられた翡翠の原石を選び、形を整え、穴を開け、何度も磨いたもの。白い筋を残した、雫形の勾玉である。
「タケルは、その石を大切にしているのか」
アシナが尋ねた。
「大切にしている。手に取って、長く眺めていたよ」
「それなら、よかった」
ミヤはそう言った。
しかし、ゴウザの表情は少しも緩まなかった。
「宴には、どのような者たちが集まる」
「川の土地の有力な者たち、海の向こうから来た旅人、稲を作る者、青銅を作る者、土器を焼く者たちだ。遠くの土地の珍しい品も集まると聞いている」
「山の石を求める者もいるのだろう」
「いるだろう」
イツキは正直に答えた。
「タケル様は、石を通じて遠い土地と結びつきたいと考えておられる」
「石を通じて、人と人が結びつくならよい」
ゴウザは、ゆっくりと言った。
「だが、山の石を一人の手に集めるためなら、わしらは道を開かぬ」
イツキはうなずいた。
「そのことは、タケル様も聞いておられる。今回は、山の者たちを無理に従わせるための招きではない。互いの品を見て、話をするための宴だ」
カガが口を開いた。
「取り交わす品は、何を求めている」
「稲の種、塩、干し魚、貝の飾り、石の刃物、そして翡翠だ。タケル様は、遠い土地の土器の作り方や、火の扱いについても話を聞きたいとお考えだ」
その言葉に、サナが顔を上げた。
「土器の作り方を?」
「川の土地には、いろいろな土器を作る者がいる。形も、焼き色も、土の混ぜ方も違う。タケル様は、そうした知恵を集めたいのだ」
サナは、そばにいた土器作りの女たちと目を合わせた。
「それなら、私たちも話を聞きたいね」
「そうだな」とゴウザは答えた。
「石も土も、遠い土地のものを見れば、こちらの山や川のことも、改めてわかることがある」
アシナは、ミヤを見た。
「どうする?」
ミヤは少し考えてから答えた。
「行ってみたい。私の磨いた勾玉が、どんな人たちの目に映るのか見てみたい。それに、遠い土地の土器や石の扱いも知りたい」
「私も行きたいねえ」
サナが笑った。
「土器を作る者が集まるなら、聞いておきたいことがたくさんあるよ」
ナギも声を上げた。
「私も行きたい!」
「お前は、まず籾の世話を覚えなさい」
サナがたしなめると、ナギは頬をふくらませた。
「だって、遠い土地の人が来るのでしょう」
「遠い土地の人は、宴のためだけに来るのではないよ。道を歩き、荷を運び、食べ物を用意して、長い旅をしてくるのだ。会うなら、その土地の暮らしもよく見なさい」
「うん」
ナギは素直にうなずいた。
こうして、ヌナの邑からも、宴へ向かう者たちが選ばれることになった。
三 川のほとりに集う人々
旅立ちの日は、春の風が穏やかな朝だった。
アシナ、ミヤ、カガ、サナ、そしてゴウザが、タケルの土地へ向かうことになった。オトは足の具合を考えて邑に残り、狩りの若者たちと山道の見回りを続けることになった。
ナギも行きたがったが、春の籾の世話があるため、今回は残ることになった。
「帰ってきたら、遠い土地の話をたくさん聞かせてね」
ナギはミヤに言った。
「もちろん。土器のことも、食べ物のことも、皆に話すわ」
「それから、珍しい飾りも」
「見つけたらね」
ミヤは笑い、ナギの髪を整えてやった。
旅の一行は、山道を越え、川沿いの道をたどった。
途中、別の邑で食べ物を分けてもらい、川辺で魚を獲り、夜は火を囲んで眠った。道中では、黒曜石を運ぶ者や、塩を入れた袋を背負う者たちにも出会った。
ある者は、翡翠の原石を獣皮に包んで運んでいた。
別の者は、すでに形を整えた加工途中の石を、割れないように草で包んでいた。
さらに遠くへ運ぶ者は、穴を開け、滑らかに磨いた完成品の勾玉を、小さな袋に入れていた。
同じ翡翠でも、旅の荷の中にある姿はさまざまだった。
「石を運ぶ者が増えたな」
カガが言った。
「それだけ遠くの土地でも、欲しがる者がいるのだろう」
アシナは答えた。
「欲しがる者が増えれば、山へ入る者も増える。山を知らぬ者が、石だけを求めて入れば、また川岸を崩すかもしれぬ」
ゴウザは、道の先を見ながら言った。
「だからこそ、山の道を知る者が互いに知らせ合わねばならぬ。遠くの者と取り交わすことを止める必要はない。だが、山の水を濁らせ、獣の道を壊してまで石を集めてはならぬ」
ミヤは、腰の袋に入れた勾玉に手を添えた。
彼女は、自分の作った品が遠くへ渡ることを嬉しく思っていた。
けれど、そのために山が傷つくなら、石を磨く喜びも曇ってしまう。
勾玉は、山から生まれた石である。
山の雨が川となり、川の水が人々の暮らしを支えている。
そのつながりを忘れてはならないと、ミヤは思った。
数日後、一行はタケルの土地へ到着した。
川は広く、流れのゆるやかな場所には舟がいくつも浮かんでいた。岸辺には稲を育てる水辺が広がり、住まいの数もヌナの邑よりずっと多い。
人々は、木や草を使って住まいを作り、食べ物を蓄える場所を整えていた。
川沿いには、遠い土地から届いた荷が並べられている。
塩を詰めた袋、干した魚、貝の腕飾り、石の刃物、黒曜石の鏃、赤い顔料、青銅の飾り。
そして、いくつもの土器が並んでいた。
丸みの深い器、口の広い器、細長い器、表面に縄目や刻みをつけた器。
同じ土器でも、作る者の手によって形が違う。
ミヤは、その並びに目を奪われた。
「ずいぶん違うね」
サナがそばで言った。
「土が違うのかもしれない。混ぜる砂も、作る形も、焼く火も違うのだろう」
「触ってみたいねえ」
「作った人に聞いてからにしよう」
二人は、土器の並びを見ながら、作り手を探した。
そのとき、遠くから人々の声が上がった。
タケルが宴の場へ姿を現したのである。
四 緑の勾玉を手にする者
タケルは、川辺に設けられた大きな火のそばに座った。
年齢は四十を少し越えたころ。体つきはがっしりとしており、日焼けした顔には深い皺が刻まれている。髪は後ろで束ね、胸には青銅の飾りを下げていた。
その周りには、川沿いの邑々から集まった有力な者たちが座っている。
宴の席には、遠い土地から来た人々も招かれていた。
タケルは、ヌナの谷から来たゴウザたちを見つけると、立ち上がって迎えた。
「よく来てくれた。山の道を越えるのは、楽ではなかっただろう」
「道を知る者がいれば、歩けるものだ」
ゴウザが答えた。
「それに、遠い土地の人々に会えるのは嬉しいことだ」
「そう言ってもらえるなら、宴を開いた甲斐がある」
タケルは笑った。
その後、彼はミヤの方を見た。
「お前が、緑の石を磨いた者か」
「はい。山から届いた石を、磨かせてもらっています」
「イツキから聞いた。お前の手で、この形になったそうだな」
タケルは、懐から小さな包みを取り出した。
そこに入っていたのは、以前イツキがヌナの邑から持ち帰った勾玉だった。
ミヤが磨いた、白い筋のある雫形の勾玉である。
タケルは、それを掌に載せた。
「この石を初めて手にしたとき、山の奥にある水の流れを思った。深い緑の中に、白い水が走っているように見えた」
ミヤは、静かに頭を下げた。
「石の中にあった筋を、そのまま残しました。削ってしまうより、この石らしいと思ったのです」
「石らしい姿を残したのか」
「はい。石を磨くとき、形を整えることばかり考えていると、石がもともと持っている姿を失うことがあります。だから、石がどのような顔をしているのか、よく見てから磨きます」
タケルは、勾玉をしばらく見つめた。
「よい手を持っている」
「ありがとうございます」
「このような石を、もっと多く手にしたいものだ」
その言葉を聞き、ミヤは慎重に答えた。
「山には、まだ石があるかもしれません。でも、どれほど採れるかはわかりません。石のある場所も、山を知る者でなければ簡単には見つけられません」
「それは、わかっている」
タケルはうなずいた。
「だからこそ、山の者たちと話を続けたい。石を採る者、磨く者、運ぶ者、それぞれが安心して働ける道を作りたいのだ」
ゴウザは、タケルの目を見た。
「その言葉が本当なら、わしらも遠い土地との取り交わしを続けよう」
「もちろんだ」
しかし、タケルの後ろに座る男の一人が、口を挟んだ。
「山の者たちが石を持ち出す量を決めていては、遠い土地の望みに応えられません。こちらで石を集め、渡す量を決めた方がよいでしょう」
その男はクマロだった。
イツキが話した、翡翠を集め、山道を取りまとめたいと考えている男である。
「山の者たちが、自分たちだけで石の行き先を決めるのは、あまりに勝手ではありませんか」
「クマロ」
タケルが低く呼んだ。
「山の石は、山の者たちが採る。こちらは、欲しいものを求め、渡せるものを渡せばよい」
「ですが、タケル様。遠い土地の者たちは、もっと多くの翡翠を求めています」
「多く欲しがるからといって、山を荒らしてよいわけではない」
タケルの声には、強さがあった。
クマロは口を閉じたが、納得しているようには見えなかった。
ミヤは、タケルの手の中にある勾玉を見つめた。
タケルは、この石の美しさを本当に感じているのだろう。
けれど、その石をめぐって、別の者たちは力を得ようとしている。
同じ緑の石を見ても、人の心に浮かぶものは違うのだ。
五 土器を焼く火の知恵
宴の翌日、ミヤたちは土器を作る者たちの集まりへ向かった。
そこでは、川の土地で長く土器を作ってきた年長の女が、若い者たちに土の扱い方を教えていた。
彼女の名は、マツといった。
マツの前には、いくつかの土が並べられていた。
赤みのある粘土、灰色の粘土、細かな砂を含んだ土、乾くと固くなる土。
「この土は、手で練ると柔らかいが、焼くと縮みやすい」
マツは、一つの土を指で押した。
「こちらは砂が多い。形は崩れにくいが、土だけで作ると水が漏れることがある」
サナは、土を少し手に取り、指先でこねてみた。
「ヌナの谷の土にも、よく似たものがあるよ」
「そうかい。土地が違っても、似た土はあるものだね」
「ただ、こちらの土は、少し細かいようだね」
「川の流れが緩やかなところに、細かな土がたまるからね。けれど、細かければよいというものでもない。水を含みすぎると、乾くときにひびが入る」
マツは、土の塊に少しずつ砂を混ぜた。
「土だけで器を作ると、乾くときに縮み、割れることがある。だから、砂や砕いた古い土器のかけらを混ぜることがある。ただし、混ぜすぎれば、器は弱くなる」
ミヤは、そばに置かれた土器の破片を手に取った。
細かく砕かれたものが、土の中に混ぜられていた。
「これは、割れた土器を使ったのですか」
「そうだよ。割れた器も、使えるところがある。細かく砕いて、土に混ぜる。昔の器が、新しい器を助けるのさ」
サナは感心したように、土器片を見つめた。
「古い器が、次の器を丈夫にするのか」
「そう。土も、器も、捨てる前に使い道を考えるのさ」
マツは、練った土をひも状に伸ばした。
それを輪のように重ね、指先でつなぎ目をなじませていく。
土器の形は、少しずつ立ち上がっていった。
「土を積むときは、下の土が柔らかすぎてもいけない。乾きすぎても、上の土とうまくつながらない。土の水加減を見ながら、少しずつ形を作る」
サナは、うなずきながら見ていた。
「私たちも、似たように作るよ。ただ、こちらの土の混ぜ方は、もう少し試してみたいね」
「やってみるといい。土は土地によって違う。ここでうまくいったやり方が、そちらでも同じようにいくとは限らないからね」
やがて、形の整った土器がいくつか並べられた。
まだ乾いていないものは、直射日光を避け、風の通りすぎる場所に置かれている。
マツは、火のそばへ移す前に、土器の乾き具合を確かめた。
「急いで焼いてはいけない。中に水が残っていると、火の中ではじけることがある」
「火を強くすれば、早く焼けるのではないのですか」
若い男が尋ねた。
「早く熱くすることと、よく焼くことは違うよ」
マツは、火の中から小さな薪を一本取り出した。
「土器は、まず弱い火で温める。土の中に残った水を逃がしてから、少しずつ火を強くする。薪を一度に積みすぎれば、外だけ熱くなって、中まで熱が回らぬこともある」
サナは、その言葉を何度も心の中で繰り返した。
ヌナの邑でも、土器を焼くときには火を見守ってきた。
しかし、火の強さを変える時刻や、薪の置き方、土器の並べ方には、まだ工夫の余地がある。
「火を操るというのは、火を思いどおりにすることではないのだね」
サナが言った。
マツは笑った。
「火は、人の言うことを聞くわけではないよ。ただ、火の様子をよく見て、どこまで近づけるか、どこで離れるかを覚えるのさ」
ミヤは、その言葉を聞きながら、翡翠を磨くときのことを思った。
石もまた、無理に削れば割れてしまう。
土も、急に乾かせばひびが入る。
火も、強くしすぎれば器を壊す。
人が扱うものには、それぞれの性質がある。
その性質を知り、寄り添うことが、よい品を作るために必要なのだ。
六 宴の火が照らしたもの
宴の最後の夜、タケルは川辺に集まった人々の前に立った。
火は大きく燃え、周囲には稲を煮たもの、魚の汁、焼いた獣の肉、木の実の餅などが並べられていた。
海辺から来た者たちは、塩を使った干し魚を分けている。
遠い土地から来た者は、赤い顔料や貝の飾りを見せていた。
青銅を扱う者は、小さな鏡や刃物を並べ、土器を作る者は、焼き色の異なる器を見せ合っていた。
その中で、緑の勾玉は、ひときわ人々の目を引いていた。
タケルは勾玉を手に取り、皆に見せた。
「この石は、遠い山から来た。山で見つけられ、谷で磨かれ、幾人もの手を経て、ここへ届いた」
人々は、静かに勾玉を見つめた。
「この石を求める者は多いだろう。だが、山の石を採る者がいなければ、誰も手にすることはできぬ。石を磨く者がいなければ、この姿にはならぬ。運ぶ者がいなければ、遠い土地へ届くこともない」
タケルは、ゆっくりと人々を見渡した。
「それぞれの土地には、それぞれの恵みがある。山には石と木があり、川には魚と稲があり、海には塩と貝がある。火を扱う者は土を器に変え、青銅を扱う者は銅と錫を合わせて新しい道具を作る」
彼は一度、言葉を切った。
「誰か一人が、すべてを持つことはできぬ。互いに持つものを分け、互いに足りぬものを補い、遠い土地の者とも道をつなぐ。それが、これからの暮らしを支える道だと、わしは思う」
人々の間から、静かなうなずきが広がった。
しかし、クマロは少し離れた場所で、その様子を見つめていた。
彼は、タケルの言葉を聞いても、なお考えていた。
翡翠を欲しがる者は多い。
青銅を持つ者は、遠い土地でも力を持つ。
稲を蓄える者は、人々を集めることができる。
山道を押さえ、石を集めれば、自分も大きな力を得られるのではないか。
タケルの願いと、クマロの望みは、同じ宴の火に照らされながら、少しずつ違う方向へ向かっていた。
そのころ、ヌナの邑では、春の火が静かに燃えていた。
ナギはサナの言いつけどおり、籾の入った袋を確かめていた。
オトは弓の弦を張り直し、ゴウザの留守を守る若者たちは、山道の様子を見回っていた。
遠い川の土地で宴が開かれていることを、彼らはまだ知らない。
けれど、山も川も海も、すべての道はどこかでつながっている。
一つの勾玉が遠い土地へ届けば、その石を見た者の心に、新しい思いが生まれる。
一つの土器が焼き上がれば、その器を使う者の食べ方が変わる。
一つの火加減を覚えれば、次の器は少し丈夫になるかもしれない。
人々は、そうした小さな知恵を重ねながら、長い時を越えて暮らしを育てていく。
宴の火は、やがて小さくなった。
だが、その火のそばで生まれた言葉と願いは、まだ消えてはいなかった。
タケルの手には、緑の勾玉が残っていた。
その石の奥には、山の静けさが眠っている。
そして、山の静けさを守ろうとする者たちと、石を求めて力を伸ばそうとする者たちの道は、これから少しずつ分かれていくことになる。
第三巻 第一部 了
次回予告 第二部「土を選ぶ者 ― 川辺の粘土、山の砂」
ヌナの邑では、春の土器づくりが本格的に始まる。サナたちは川辺の粘土を採り、山から運んだ砂や砕いた土器片を混ぜ、割れにくい器を作ろうと工夫を重ねる。
そこへ、川の土地で土器を作ってきた職人から聞いた知恵が伝わる。土の選び方、練り方、乾かし方、火に入れる順序。人々はこれまでの経験を確かめながら、新しい工夫を試していく。
しかし、粘土を求めて川辺を掘り進めたとき、思いがけないことが起こる。雨で緩んだ岸辺の土が崩れ始めたのだ。
土器を作るための土と、暮らしを支える川。その両方を守るため、人々は新たな知恵を探し始める。




