第二部「土を選ぶ者 ― 川辺の粘土、山の砂」
一 春の川辺に眠る土
川の王タケルが宴を開いてから、幾日かが過ぎた。
ヌナの谷には、春の陽射しが日ごとに深く差し込むようになっていた。白峰の雪は高いところに残るばかりとなり、白瀬の川は雪解けの水を集めて、いつもより勢いよく流れている。
川岸では、柳の枝が柔らかく芽吹き、水辺の草の間から小さな花が顔をのぞかせていた。
その朝、サナは土器を作る女たちと一緒に、川辺へ向かった。
背には編み籠を負い、腰には木のへらと石の小さな道具を差している。髪は後ろで束ね、額には朝露がかかっていた。
一緒に歩くのは、土器づくりを手伝う女たちと、若い男が二人。それぞれが籠や袋を持ち、採った土を運ぶ支度をしていた。
「今日は、川の曲がるところを見ようと思う」
サナが言った。
「前に採った場所は、雪解け水で削られてしまったからね」
「上流の方なら、まだ土が残っているかもしれない」
「そうだね。けれど、川のすぐそばは気をつけなければならないよ。水が引いたように見えても、足元の土がゆるんでいることがある」
サナは、そう言いながら川岸を見渡した。
土器づくりに使う粘土は、どこにでもあるわけではない。
川の流れが緩やかなところには、細かな土が沈み、長い年月をかけて粘りのある層ができることがある。だが、砂や小石が多く混じる場所もあり、見た目だけではわからない。
土を手に取り、水を少し加えて練り、指で伸ばしてみる。ひび割れがどのように生じるか、どれほど粘るか、乾いたときにどれほど縮むか。
作り手たちは、そうしたことを何度も確かめてきた。
サナは、川岸の少し高いところにしゃがみ込み、土を手に取った。
指先でこすり、少しだけ水を含ませる。
「これは、細かいね」
「器に使えそうかい?」
「まだわからない。よく練って、乾かしてみないとね」
彼女は土を小さく丸め、籠の中へ入れた。
少し離れたところでは、若い男が土を掘ろうとしていた。
「そこは、掘らない方がいい」
サナが声をかけた。
「なぜです?」
「川に近すぎる。水が流れた跡があるだろう。表面は固そうに見えても、下は水を含んでいるかもしれない」
男は足元を見た。
川岸の土には、細い割れ目が走っていた。その下には、少し暗い色をした湿った土が見えている。
「ここなら大丈夫だと思ったのですが」
「土は、見た目だけではわからないよ。足で踏んで確かめ、少し掘って、層の様子を見る。急いで掘ると、土が崩れてしまう」
男はうなずき、掘る場所を変えた。
その様子を見ながら、サナは思った。
土器を作る者は、土を得ることばかり考えてはいけない。
土がどこから来たのか。水がどのように流れ、どこにたまるのか。その土地の姿を知らなければ、よい器を作ることはできないのだ。
二 山から運ばれる砂
同じころ、アシナとミヤは、山の裾にある古い採取場所へ向かっていた。
土器に混ぜる砂を探すためである。
山の土は、川辺の粘土とは違う。
岩が長い年月をかけて砕け、雨や風にさらされ、細かな砂や小石になっている。場所によっては、白っぽい砂もあれば、赤みを帯びた砂もある。黒い粒を含むものもあった。
ミヤは、地面にしゃがみ込み、指先で砂をすくった。
「この砂は、少し粗いね」
「土器に混ぜるには、細かくした方がよいのか」
アシナが尋ねた。
「細かすぎても、粗すぎてもよくないの。土の性質に合わせるのよ」
ミヤは、砂を手のひらに広げた。
「この砂は、粒がそろっていない。大きな粒が混じっているでしょう。土に混ぜる前に、ふるい分けた方がよさそう」
「ふるいは、どのようなものを使う」
「編み目の細かな籠でも、草を編んだものでもよいと思う。大きな石を取り除いて、使う砂を選ぶの」
アシナは、地面に落ちていた小石を拾った。
「この石は、黒いな」
「川の向こうから流れてきたものかもしれない。黒曜石とは違うわ。これは、割れ口が鋭くないでしょう」
アシナは石を指で確かめた。
黒曜石は、割ると薄く鋭い刃を作ることができる。翡翠は硬く、磨くことで美しい光を得る。どちらも山や火山に関わる石ではあるが、でき方も性質も異なる。
「土に混ぜる砂も、何でもよいわけではないのだな」
「そう。砂の粒が大きすぎれば、器の表面に穴ができることがある。けれど、細かな砂を少し混ぜることで、土が乾くときの縮みを抑えられることもあるの」
「土によって、砂の量も変えるのか」
「うん。土がよく伸びるなら、砂を少し増やすこともある。反対に、砂が多くてまとまりにくい土なら、粘りのある土を混ぜるの」
ミヤは、いくつかの砂を小さな袋に分けた。
「これをサナに見てもらいましょう」
「そうしよう」
二人は、山の斜面を歩きながら、砂の採れる場所を確かめた。
山道には、ところどころに古い足跡が残っていた。
以前、ゴウザたちが見つけた道の目印や石積みが、遠くの木々の間に見える。
山の道は、翡翠を採るためだけの道ではない。薪を拾い、獣を追い、木の実を集め、土や石を運ぶために、昔から人々が歩いてきた道である。
「山の奥には、まだ知らない土があるかもしれないね」
ミヤが言った。
「トウマたちの谷にも、違う砂があるかもしれない」
アシナは答えた。
「そうだね。いつかユラさんにも聞いてみたいわ。翡翠を磨くときに使う砂と、土器に混ぜる砂は、どのように選ぶのか」
「ユラは、石を磨くための砂をよく見ていた。細かさの違う砂を使い分けると言っていたよ」
「やはり、石も土も、砂を選ぶところから始まるのね」
ミヤは、袋に入れた砂を確かめた。
ユラと会う日は、まだ決まっていない。
けれど、同じ山の石を扱う者として、いつか互いの手仕事を見せ合いたいと思っていた。
三 土を練る手
昼を過ぎたころ、サナたちは採ってきた粘土を邑へ運び戻った。
採取した土は、すぐに土器の形にするわけではない。
まず、根や小石、枯れ草などを取り除く。土の塊を細かくほぐし、水を加えて練り、必要に応じて砂や砕いた土器片を混ぜる。
サナは、皆が運んできた土を広げ、ひとつずつ確かめた。
そこへ、アシナとミヤが戻ってきた。
「山の砂を持ってきたよ」
ミヤが袋を差し出す。
「ありがとう。どれどれ、見せておくれ」
サナは袋を開け、砂を指でこすった。
「これは細かいね。こちらは少し粒が大きい」
「大きな粒は取り除いた方がよさそう」
「そうだね。けれど、こちらは別の土に混ぜて試してみよう」
サナは、いくつかの土を小さな塊に分けた。
一つ目には、粘りのある川辺の土だけを使う。
二つ目には、細かな山砂を少し混ぜる。
三つ目には、砕いた古い土器片を混ぜる。
四つ目には、山砂と土器片の両方を少しずつ加える。
「どれが一番よいか、作ってみよう」
サナはそう言って、土を練り始めた。
土を手のひらで押し、折り返し、また押す。
水が多すぎると手にまとわりつき、少なすぎるとまとまらない。土の中に空気が残っていると、焼いたときに割れやすくなることもある。
彼女は土の感触を確かめながら、少しずつ水を加えた。
ミヤも手伝い、土の塊を両手で押した。
「この土は、よく伸びるわ」
「こちらは、少し固いね」
「水を加えすぎると、形が崩れてしまう。少しずつね」
サナは、土をひも状に伸ばした。
そのひもを丸く積み重ね、指先でつなぎ目をなじませていく。
土器の形は、ゆっくりと立ち上がっていった。
「土器を作るときは、底をしっかり作らなければならないよ」
サナは若い女に教えた。
「底が薄すぎると、煮炊きのときに割れやすい。厚すぎても、乾くのに時間がかかる。器の大きさに合わせて、土の厚みを考えるんだ」
若い女は、真剣な顔で土を重ねていた。
「縁は、どうすればよいですか」
「口を少し広げるか、すぼめるかで、使い方も変わる。煮るものを入れる器なら、口が広い方が中を見やすい。水を蓄えるなら、口を少し狭くした方がよいこともある」
「食べ物を入れる器にも、形の違いがあるのですね」
「そうだよ。使う者の手に合う形を考えるんだ」
アシナは、少し離れた場所で、その様子を見ていた。
土を練る手は、狩りの道具を作る手とは違う。
だが、どちらも、使う場面を考えながら形を整えていくことに変わりはなかった。
「器も、使う者の暮らしに合わせて作るのだな」
「そうよ」
ミヤが答えた。
「翡翠の飾りも同じ。身につける人がどのような姿で、どんな思いで使うのかを考えるの」
「石も土も、人の暮らしに寄り添うのか」
「そういうことね」
四 乾かす時間
土器の形ができると、すぐに火へ入れることはできない。
土の中には、まだ水分が残っている。
その水分を十分に逃がさずに強い火へ入れると、急な熱で内部の水が膨らみ、器が割れたり、破片が飛び散ったりすることがある。
サナたちは、形を整えた土器を、風通しのよい日陰へ並べた。
陽の当たる場所に置けば早く乾くように思えるが、表面だけが急に乾き、内側に水分が残ることもある。乾き方にむらができれば、ひび割れの原因になる。
「この器は、まだ少し冷たいね」
サナが指先で表面を確かめた。
「もう一日、ここに置こう」
「こちらはどうですか」
若い男が尋ねた。
「縁のところが、まだ湿っている。底は乾いてきているけれど、全体が同じようになるまで待とう」
ミヤは、土器の一つをそっと持ち上げた。
「形を作ったときは柔らかかったのに、少しずつ固くなるのね」
「水が抜けていくからね。でも、まだ焼いたわけではないよ。土器として強くなるには、火を通さなければならない」
サナは、器の縁をなでた。
「乾かすことも、火に入れることも、急いではいけない。土は、待ってやらなければならないんだ」
その言葉を聞きながら、アシナは山のことを思った。
翡翠も、採ってすぐに勾玉になるわけではない。
石の筋を見て、形を考え、少しずつ削り、磨き、穴を開ける。急げば割れてしまうこともある。
人の手が加わるものには、待つ時間が必要なのだ。
その日の夕方、乾かしていた土器の一つに、小さなひびが見つかった。
若い女が、悲しそうに器を見つめた。
「せっかく形になったのに」
サナは、器を手に取った。
「まだ、直せるかもしれないよ。ひびの周りを少し湿らせて、土をなじませてみよう」
「それで、また使えるようになりますか」
「うまくいくかはわからない。でも、試してみよう」
女はうなずき、土を少し練り直した。
ひびの入った器を、捨てずに直そうとする。
その姿を見て、ミヤは微笑んだ。
「石も、少し欠けたからといって、すぐに捨てるわけではないものね」
「そうだね。形を変えれば使えることもある」
サナは答えた。
「失敗したものにも、次の仕事を教えてくれるところがあるんだよ」
五 崩れ始めた川岸
翌日の朝、サナたちは粘土を採った場所へ、もう一度向かった。
前日に持ち帰った土の中に、まだ確かめたいものがあったからだ。
川の水は、前日よりも少し増していた。
山の雪解け水が流れ込み、川岸には新しい流れの跡ができている。
サナは、昨日掘った場所を見た。
「ここは、もう掘らない方がいいね」
「どうしてです?」
若い男が尋ねた。
「土が崩れている」
川岸の端には、昨日までなかった細い割れ目が走っていた。
その下の土は、少しずつ水を含んでいた。
アシナは、川岸に近づかず、少し離れた場所から様子を見た。
「水が下から土を削っているようだ」
「そうね。ここを掘り続けたら、崩れるかもしれない」
サナは、皆に川から離れるように言った。
そのときだった。
川岸の端が、音もなく少し沈んだ。
次の瞬間、土の塊が水の中へ崩れ落ちた。
「下がれ!」
アシナが叫んだ。
若い男が驚いて後ろへ下がる。
土の塊は水に落ち、濁った流れとなって川下へ運ばれていった。
幸い、誰も近くにいなかった。
しかし、崩れた場所は、昨日掘ったところよりも広くなっていた。
サナは、しばらく黙って川岸を見つめた。
「私たちが掘ったところから、崩れたのだろうか」
若い男が言った。
「それだけではないよ。雪解けの水で、川の流れが変わったのかもしれない。けれど、掘ったことで土を支える力が弱くなった可能性もある」
サナは、崩れた土を見つめた。
「土器を作るために土を採る。それは暮らしに必要なことだよ。でも、土を採ることで川岸を壊してしまったら、魚のいる場所も、川辺の草も、変わってしまう」
アシナは、川の流れを見た。
濁った水は、少しずつ澄み始めていた。
「ゴウザに話そう。川岸を掘る場所を、皆で考えなければならない」
サナはうなずいた。
「そうしよう。土器を作る者だけで決めてはいけないね。川を使う者、魚を獲る者、山から水を引く者、皆に関わることだから」
その日の採取は中止となった。
人々は籠を持ち、川岸から離れた場所へ移動した。
六 土を守る者たち
ヌナの邑へ戻ると、サナはゴウザとオトに、川岸で起きたことを伝えた。
ゴウザは、話を聞き終えると、しばらく考えていた。
「川の水は、雪解けのころに強くなる。岸の土も、まだ固まりきっていない。掘る場所を誤れば、崩れることがある」
オトが言った。
「魚を獲る者たちにも知らせた方がよい。川岸が崩れれば、魚の集まる場所も変わる」
「そうだな」
ゴウザは、邑の人々を集めることにした。
その夕方、火のそばに人々が集まった。
土器を作る者だけではない。漁をする者、山へ入る者、稲を育てる者、子供たちを見守る年長者もいた。
サナが、川岸で起きたことを話した。
「私たちは土器を作るために粘土を採っている。でも、川岸を掘りすぎれば、土が崩れてしまう。土を採る場所を決める前に、川の流れや岸の様子をよく見なければならないと思う」
魚を獲るトヨが、うなずいた。
「川岸が崩れると、水が濁る。魚が逃げることもある。網を置く場所も変わってしまう」
オトも続けた。
「雨のあとや雪解けのときは、川の近くへ近づかぬ方がよい。足元が崩れることもある」
若い男が尋ねた。
「では、粘土はどこから採ればよいのでしょう」
ゴウザは、火の向こうを見つめた。
「川岸だけが土のある場所ではない。水が流れた跡、古い川筋、山の裾にも土はある。土器を作る者たちが、いくつかの場所を調べればよい」
サナはうなずいた。
「山の裾には、粘りのある土が見つかることもある。川辺の土と混ぜれば、器に使えるかもしれない」
「だが、山の土を掘るときも、木の根を切りすぎてはならぬ」
ゴウザは言った。
「木の根は土を抱えている。根を傷つけすぎれば、雨のときに土が流れやすくなる」
「それなら、採る場所を少しずつ変えればよいのではないか」
アシナが言った。
「一か所を深く掘り続けず、必要な分だけ採る。採ったあとは、土を戻し、草を植えることもできる」
「草の根が、土を押さえるからね」
トヨが応じた。
人々は、少しずつ考えを出し合った。
- 雪解けや大雨の時期には、川岸の低い場所を掘らない。
- 水の流れを変えるほど深く掘らない。
- 土を採る前に、地面の割れ目や水のしみ出しを確かめる。
- 山の裾では木の根を傷つけすぎない。
- 採取場所を一つに決めず、土の様子を見ながら分けて使う。
- 採ったあとの穴や崩れた場所は、できる範囲で土や草を戻す。
それは、誰か一人が命じた決まりではなかった。
川と山のそばで暮らす者たちが、自分たちの経験を持ち寄って作った約束だった。
ゴウザは、皆を見渡した。
「土は、器になる前から、川や山を支えている。器を作るために土を採るなら、その土があった場所のことも忘れてはならぬ」
サナは、深くうなずいた。
「よい器を作るには、よい土を知ること。よい土を知るには、その土地を知ることだね」
七 火のそばで生まれた新しい器
数日後、サナたちは山の裾で見つけた粘土を使い、土器づくりを再開した。
川辺の土に比べると、少し粗いところもあったが、細かな山砂を混ぜることで、まとまりがよくなるものもあった。
さらに、砕いた古い土器片を少し加えたものも作った。
サナたちは、それぞれの土で小さな器を作り、乾かしてから焼くことにした。
火を焚く場所は、風の強さを見て決めた。
地面には乾いた草や小枝を敷き、その上に土器を置く。いきなり大きな薪を積むのではなく、まずは細い枝で弱い火を作り、土器の周りを少しずつ温めていく。
火が安定してから、太い薪を加えた。
サナは、炎の色と煙の流れを見ながら、薪の位置を調整した。
「こちらへ薪を少し寄せて」
若い女が、細い枝を動かした。
「そう。急に火を強くしないで。土器の中まで温まるのを待つんだよ」
火は、ゆっくりと大きくなっていった。
やがて、土器の表面が赤くなり、周囲には熱気が広がった。
ミヤは、少し離れたところで、火の様子を見ていた。
「翡翠を磨くときとは、違う難しさがあるね」
「そうだね」
サナが答えた。
「石は、水を使いながら少しずつ削る。土は、水を抜き、火を通す。どちらも急がせてはいけないけれど、火は、思いどおりに止められないからね」
アシナは、火の向こうに並ぶ土器を見つめていた。
火が強くなりすぎれば、器は割れる。
薪が少なければ、十分に焼けない。
風向きが変われば、炎の当たり方も変わる。
人々は火を使いながら、火に教えられているのだ。
焼き上がった土器は、火が落ち着くまでその場に置かれた。
すぐに取り出すと、外の冷たい空気に触れて割れることがある。人々は、火が弱まり、器がゆっくり冷めるのを待った。
翌朝、土器を取り出した。
一つは、縁に小さなひびが入っていた。
もう一つは、底が少し歪んでいた。
しかし、残りの器は、しっかりと焼き上がっていた。
サナは、一つずつ手に取り、軽く指でたたいて音を確かめた。
「これは、よく焼けているね」
「こちらはどうでしょう」
若い女が尋ねた。
「少し弱いところがある。水を入れてみて、漏れないか確かめよう」
彼女たちは、器に水を注いだ。
しばらく待っても、底から水がにじむことはなかった。
「使えそうだね」
サナは笑った。
「でも、これで終わりではないよ。次は、土の混ぜ方を少し変えてみよう。今日の器より、もっと丈夫なものができるかもしれない」
若い女たちは、嬉しそうにうなずいた。
そのとき、ナギが駆け寄ってきた。
「かあ、できたの?」
「できたよ。ほら、見てごらん」
ナギは、焼き上がった器を両手で受け取った。
「軽いね。これなら、木の実を入れられるかな」
「もちろん。けれど、使う前に水を入れて、漏れないか確かめておくれ」
「うん」
ナギは器を大切そうに抱えた。
その姿を見て、サナは笑った。
土を選び、練り、形を作り、乾かし、火に入れる。
それだけのことに、どれほど多くの手間と知恵が込められているのか。
ナギも、いつかそのことを自分の手で知るだろう。
八 土と石、それぞれの道
その夜、ミヤは火のそばで翡翠を磨いていた。
昼間に焼き上がった土器の一つが、すぐそばに置かれている。
土器の表面には、赤茶色の焼き色があり、ところどころに黒い色が混じっていた。火の当たり方や煙の流れによって生まれた色である。
ミヤは、土器と翡翠を見比べた。
土器は、土を練り、形を作り、火を通して生まれる。
翡翠は、山の奥から採り出され、石の姿を見極め、少しずつ削り、磨いて生まれる。
どちらも、自然の恵みに人の手が加わったものだった。
「どうした?」
アシナが尋ねた。
「土器も翡翠も、手をかけるほど、それぞれの姿が見えてくると思って」
「土器の形は、作る者の思いが表れるな」
「そうね。使う人のことを考えて作るから」
ミヤは、磨いていた石を布で拭いた。
「ユラさんも、きっと同じように考えているのだろうね」
「会ったら、聞いてみるといい」
「うん。私が磨いた石を見てもらいたいし、ユラさんの手の動きも見てみたい」
「いつか、山の道を通って訪ねよう」
二人は、火の揺れる光を見つめた。
そのとき、邑の入口の方から、若者の声が聞こえた。
「ゴウザ! 山道に、見知らぬ者の足跡がある!」
ゴウザが立ち上がった。
「どのあたりだ」
「川上へ向かう分かれ道です。二人か三人ほどの足跡に見えます」
アシナは、腰の石小刀を確かめた。
「山へ入ったのか」
「まだわかりません。ただ、荷を背負って歩いたような跡があります」
ゴウザは、火のそばにいたオトを見た。
「明日の朝、山道を調べよう。川岸の土を採る場所も、山の道も、よく見ておかなければならぬ」
オトはうなずいた。
「わしも行こう。足はまだ長く歩くには痛むが、道の跡を見るくらいならできる」
アシナは、ミヤを振り返った。
「明日は山へ行くことになる」
「気をつけてね」
ミヤは答えた。
「土器のことは、サナと一緒に続けておくわ」
アシナはうなずいた。
春の火は、まだ静かに燃えていた。
土器づくりの知恵は、少しずつ深まり始めている。
しかし、山の道には、また新しい足跡が残されていた。
その足跡は、誰のものなのか。
翡翠を求めて来た者なのか、それとも別の品を探している者なのか。
山の恵みと人々の暮らしを守るため、アシナたちは再び山へ向かうことになる。
第三巻 第二部 了
次回予告 第三部「火を読む者 ― 炎の強さ、煙の行方」
山道の足跡を調べるアシナたちは、遠い川の土地から来た若い男と出会う。彼は翡翠を求めているのではなく、土器を焼くための薪と、火を長く保つ方法を探していた。
一方、ヌナの邑では、サナたちが焼き上がった土器を使い、稲や魚、山菜を煮る新しい方法を試し始める。
薪の種類によって火の強さや煙の出方が違うこと。細い枝と太い薪の使い分け。風を読み、炎を育てること。
人々は、火をただ燃やすだけではなく、火の様子を読みながら使う知恵を深めていく。
だが、乾いた風が吹き始めたある日、火の粉が思いがけない場所へ飛んでいく。暮らしを支える火が、山を脅かす火へ変わる危険が迫っていた。




