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第8話:怪物


地下三層、地下四層と下層へ進むにつれ、遺跡の雰囲気は急速に悪化していった。


「ハァ……ハァ……ッ、くっ……!」


エレノアの足取りが、明らかに重くなっていた。

すでに地下三層と四層で、合計四度の戦闘をこなしている。


いくら最高峰の天才といえど、

彼女の保有する魔力量には限界があったようだ。



現在は魔力枯渇(マナ・ドレイン)に近い状態らしく、

一歩踏み出すごとに猛烈な頭痛と眩暈が彼女の視界を狂わせているのが伝わってくる。


ライアンも、連続する複雑な魔導トラップの解除によって神経を極限まで擦り減らし、

その自慢の指先は微かに震えていた。


クラリスに至っては疲労で何度も躓きそうになり、

その度にルークが強引に腕を引っ張って歩かせていた。


その状況でも、リーダーであるルークは絶対に足を止めようとしなかった。


「あと少しだ……! 最深部、第五層の宝物庫まであと少しなんだ! ここで引き返せるかよ……!」


ルークの瞳には、狂気にも似た焦りと功名心が渦巻いていた。

王都からの期待、勇者パーティーの名前を守るため。


そして何より――


手ぶらで後ろをついてくるだけの「教育係」である俺に、

情けない姿を見せたくないという異常なまでのプライド。


それらが複雑に絡み合い、

彼の冷静なリーダーとしての判断能力を完全に麻痺させていた。


「ルーク様……もう無理です……一度セーフゾーンまで戻りましょう……っ」


クラリスが涙目で訴える。


「ダメだ! ここで戻ったら、あのギルドマスターに『やっぱり教育係が必要だったな』と鼻で笑われるんだぞ!? そんな屈辱に耐えられるか!」


「ですが、エレノアが……!」


「私は……大丈夫です……」


エレノアが虚ろな瞳で、必死に杖を握りしめて強がってみせる。


「まだ……あと一回か二回なら……上級魔法を撃てます……っ」


俺は彼らの様子を見て、本気で危険だと感じ始めていた。


(ダメだ……みんなの体がもうボロボロだ。筋肉も、魔力とやらも、完全に底をついている……)


俺の耳は、前方にある地下五層の大広間の奥から響く、

重厚な地鳴りのような金属音を捉えていた。


カチ……カチ……カチ……。


無機質なギアが噛み合い、巨大な防衛機構が冷却液を循環させて起動する音。


そこは、ただの通路ではない。


侵入者を確実に粉砕するために設計された――『キル・ゾーン』だ。


「ルーク、止まるんだ!」


俺は意を決して踏み込み、

ルークの肩に手を置いて強引に制止しようとした。


「触るなと言っただろうがっっ!!!」


ルークが激怒して振り返り、俺の手を猛烈な勢いで振り払った!


「さっきからグチグチと、不吉なことばかり口にしやがって! 後ろで荷物持ちしているだけの気楽な奴が、指示を飛ばすな! 疲れてもいないお前に、命がけで戦っている俺たちの気持ちが分かってたまるかぁっ!」


「そうじゃない! この先の広間は危ない! 壁の奥で――」


「黙れ! 俺たちは『暁の光』だ! どんな敵が来ようと、俺たちの完璧な連携で叩き潰して見せる!」


ルークは俺の制止を完全に無視し、剣を構えて地下五層の巨大な大広間へと足を踏み入れてしまった。


「あ……ルーク様、待って……!」


「くそっ、行くしかないのかよ!」


クラリスとライアン、エレノアも、ルークに引っ張られるようにして広場へと入っていく。


俺は絶望的な心地で、彼らの後を追う。


そして――最悪の瞬間に、災厄の引き金が引かれた。


焦っていたライアンの足元。


極度の精神疲労によって集中力を欠いていた彼の足先が、

黒い金属の圧力板を強く踏み込んでしまったのだ。


――カツン。


静寂の広間に、小さく、だが決定的な音が響いた。


チチチチチチチチチッ――ボォンッ!!


広場全体の壁面に設置された魔導灯が、一瞬で禍々しい血のような「赤色」に染まった。


『警告:重度侵入者を検知。防衛レベル:最大。駆除モードに移行します』


無機質な音声アナウンスが響き渡る。


「しまっ――!? トラップだぁぁぁッ!?」

ライアンが顔を真っ青にして叫ぶ!


ズズズズズズズズッ!!


広場の東西南北、四方の壁が巨大なスライド式で開き、

そこから体長五メートル、体重数トンはあるであろう、金剛石(アダムタイト)で全身を覆われた巨大ゴーレム――『ガーディアン・プレトリアン』が三体、重低音を響かせて姿を現した。


それだけではない。


天井に無数の穴が開かれ、

そこから数千本もの「高圧魔導鋼の針(ニードル)」と、

着弾と同時に致死的な熱量を放つ「爆破魔導石」が、

文字通り雨のように全方位から降り注いだのだ。


「きゃあああああああっ!?」


クラリスが耳を塞いで悲鳴を上げる。


「くそっ! 防御障壁――っ!」


ルークが慌てて剣を構え、

バリアを張ろうとするが、

極度の疲労で魔力伝達が遅れ、

光の幕が半端にしか展開されない。


「あ……あ……」


エレノアは魔力枯渇による激しい頭痛で立ち上がることすらできず、

杖を握りしめて膝から床へ崩れ落ちていた。


――絶望。


彼らが誇っていた「完璧な連携」など、

あまりにも無力に吹き飛ばされる死の空間。


降り注ぐ数千本の鋼鉄の針と、

迫り来る爆破魔導石の群れ。


そして、地響きを立てて迫る三体の金剛石ゴーレム。


その時、最後尾にいた俺の思考が跳躍した。


(みんなが死んでしまう――!)


自分が前に出て、圧倒的な風圧と鉄拳ですべてを弾き飛ばし、叩き潰せば、みんなを助けられる。


俺は自分の力が持つ意味を本当の意味では理解しないまま――全霊の踏み込みを行った。


ドオンッッッッ!!!!


広場の石畳が爆発したような凄まじい衝撃波と共に、

俺の身体が音速を超えて弾け飛んだ。


「俺が全部弾く!!」


目視不可能な速度で振るわれる両腕。


パンパンパンパンパンパンパンパンパンッッッ!!!!


大気を断ち切る凄まじい手振りの風圧と拳打によって、

降り注ぐ数千本の高圧魔導鋼の針が、

次々と叩き落とされ、弾き飛ばされていく。


続いて、飛来する無数の爆破魔導石。


俺は空中を蹴り、回し蹴りの一撃でそれらをまとめて打ち払った。


バコォォォォォンッッ!!


打ち払われた爆破魔導石は壁に激突し、

爆発音と共に凄まじい爆炎と衝撃波を広場全体に巻き起こした。


さらに俺は着地と同時に、

迫り来る金剛石の巨大ゴーレムの胸の中へと飛び込んだ。


「はあぁぁぁっ!」


手加減など存在しない鉄拳が、金剛石ゴーレムの胸郭に向けて叩き込まれた!


ズドォォォォォォンッッ!!!!


凄まじい破壊の衝撃。


金剛石のゴーレムは内側から耐えきれずに破裂し――何千、何万という鋭利な鉱石の破裂片となって、四方八方へと猛烈な速度で飛散した。

(よし! 一体粉砕! 残りの二体も――!)


俺は助けられたという確信と満足感と共に、次のゴーレムへ向けて踏み出そうとした。

その時――


「「「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!??!?!」」」

背後から、悲痛な絶叫と悲鳴が響き渡った。

俺はハッと息を飲み、振り返った。


そこに広がっていたのは――俺が思い描いていた「無事に助かって胸を撫で下ろす仲間たちの姿」ではなかった。


激しい血の匂い。

響き渡る絶叫と悲鳴。

視界に飛び込んできた凄惨な光景に、俺の思考は一瞬でフリーズした。


「え……?」


ライアンは太ももに何本もの鋼の針が深々と貫通し、石畳に縫い付けられて激痛にのたうち回っている。


(……あ……俺が手で弾いたあの針だ。俺の拳の風圧で勢いよく跳ね返った針が、ライアンに……?)


クラリスとルークは全身が血まみれになり、爆風に吹き飛ばされて壁際に打ち付けられていた。

そして、何より凄惨だったのはエレノアだった。

彼女は崩れ落ちたまま、自分の右腕を抱えて狂ったように泣き叫んでいた。その肩から腕にかけては、白い肌がざっくりと削り取られ、骨があり得ない方向にへし折れて、真っ赤な血が溢れ出していた。


(……俺がゴーレムを殴って、粉々に砕いた……あの金剛石の破片……。俺の拳の勢いが強すぎて、弾丸みたいに飛び散って……エレノアに当たった……?)


頭の中で、全てのピースがカチリと噛み合ってしまった。

(俺だ……)


背筋に、氷を叩きつけられたような猛烈な悪寒が走った。

みんなを傷つけたのは、罠でも、ゴーレムでもない。

助けようとして飛び出した、俺の腕振りの風圧であり、俺が弾き飛ばした石であり、俺が粉砕したゴーレムの欠片だった。


俺が……全部、俺がやったんだ。


「なんで……? なんで……っ」


俺なら、痛くも痒くもない。

針が当たったって弾けるだけだし、爆風だって服が汚れるくらいだ。

ゴーレムの破片だって、カチンと跳ね返る程度のものだった。

俺が平気だったから、みんなだって平気なはずだと……勝手にそう思い込んでいた。

でも違った。

みんなにとっては、こんなの……皮膚が裂けて、肉が削れて、骨が折れてしまうほどの激痛だったんだ。


「俺が……俺が……みんなを……!?」


全身の筋肉が凍りついたように動かなくなり、激しい恐怖と罪悪感で呼吸の仕方すら分からなくなる。


「イリス……っ!!」


血みどろのルークが、鬼のような形相で俺を睨みつけてきた。

その瞳に宿っていたのは――自分たちを庇ってくれた仲間を見る目ではなかった。

仲間を無残に痛めつけ、恐怖に陥れた存在に対する、狂おしいほどの恐怖と絶望、そして激しい憎悪であった。



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