第6話:ダンジョンへの道のり
商業都市ルグランの北門を抜けると、
それまでの舗装された石畳の街道は姿を消し、
ゴツゴツとした岩肌と深い原生林が織りなす険しい山道へと変わる。
山道を歩き始めて3時間――
目的地である『深淵の地下宮殿』は、
ここからさらに北の断崖絶壁の地下、
古代の樹海に隠された秘境に存在するらしい。
この山道を歩くことは息を吸って吐くことと同じレベルの、
なんの負荷も存在しない行事に過ぎなかった。
しかし――
前を行く『暁の光』の面々には、徐々に明らかな変化が現れ始めていた。
「ハァ……っ、ハァ……ッ! ル、ルーク様……っ、少し……ペースが……早すぎませんか……っ!?」
荒い息吐きと共に、クラリスが重い法衣の裾を泥で汚しながら、よろめくように立ち止まった。
彼女の額には汗が滲み、自慢の純白の法衣は汗と泥で肌に張り付いている。
後方支援のヒーラーであり、
重い魔法衣を着用して険しい山道を数時間歩き続けるような、
物理的な体力は持ち合わせていなかったようだ。
「くっ……クラリスか」
ルークが脚を止め、振り返る。
彼自身も甲冑の隙間から汗を流し、肩をわずかに上下させていた。
「すまない、クラリス。だが、日没までに遺跡の第一層の安全域へ到達しないと、夜間活発化するBランク魔物の群れに囲まれるリスクが高まるんだ。もう少しだけ頑張ってくれ」
「は、はい……すみません、私の体力が至らないばかりに……っ」
クラリスは悔しそうに唇を噛み、
膝を震わせながら立ち上がろうとする。
その様子をすぐ隣で眺めていた俺は、心底不思議そうに首をかしげた。
(ん……? どうしたんだろう?)
俺はクラリスの顔を覗き込んだ。
「クラリス、体調が悪いのか? どこか怪我でもしたのか?」
「え……? いえ……怪我ではありません……ただの……ただの疲労です……っ」
クラリスは必死に呼吸を整えようとしながら答えた。
「ヒロウ……?」
俺はその聞き慣れない言葉を口の中で転がした。
「疲労って……歩いているだけなのに、なぜ苦しそうな顔をしているんだ?」
――ピタリ
その場にいた全員の足が、完全に止まった。
「……は?」
盗賊のライアンがゆっくりと振り返った。
その顔は、信じられない狂人を見るような、
あるいは酷い侮辱を受けたかのような怒りに満ちていた。
「お前……今、なんて言った?」
「ん? だから、ただ平らな地面を交互に脚を動かして歩いているだけじゃないか。なぜそれで息が上がり、顔が赤くなって、苦しそうにするんだ?」
心からの素朴な疑問として尋ねた。
俺には「疲労」という概念がない。
だからこそ、
ただ移動しているだけで苦しんでいる理由を、
本気で理解したかったのだ。
「……お前、俺たちをバカにしてんのか!?」
ライアンが俺の胸ぐらに掴みかかり、勢いで詰め寄ってきた!
「何時間も傾斜三十度の山道を、重い装備背負って歩いてんだぞ!? 疲れるに決まってんだろ!! お前は脳みそまで筋肉でできてんのか!?」
「いや、バカになんてしていないよ。本当に分からないんだ」
俺は困ったように両手を広げた。
「だって、脚を出せば体は前に進むだろう? そこに苦しむ要素がどこにあるんだ?」
「イリスさん」
魔法使いのエレノアが、冷徹な眼差しで俺を睨みつけていた。
「冗談でも笑えません。人間なら誰だって体力を消費すれば疲労します。運動によって筋肉繊維が微小断裂し、代謝物質が溜まり、酸素消費量が増大して心拍数が上がる。それが生物として抗えない『摂理』です。貴方はまさか、自分は疲労など感じない特別な存在だとでも言いたいのですか?」
「ああ。俺は生まれてから一度も疲れたことがないんだ」
ごく当たり前の事実として答えると、一瞬の静寂の後、ルークが酷く蔑むような冷笑を漏らした。
「ハッ……! 呆れた強がりだな」
ルークは苛立ちを隠さずに頭を掻きむしった。
「自分のタフさを誇示して俺たちのマウントを取りたいのか知らんが、仲間の限界も見抜けず、配慮もできない奴が『教育係』とは片腹痛いな。いいか、人間には休息が必要なんだ。お前みたいな思考停止の筋肉バカと一緒にしないでくれ。……15分、小休憩を入れる!あと、俺たちを見ろ!この装備、対してお前は……ふっ笑わせてくれる」
ルークの指示で、パーティーは大樹の木陰に腰を下ろした。
ライアンは革の水筒を取り出してゴクゴクと勢いよく水を飲み、干し肉を激しく噛み締めてエネルギーを補給し始める。
エレノアは木に背を預けて目を閉じ、
体内の魔力循環を整えている。
クラリスは祈りの聖印を構え、
微弱な回復魔法を自分の両脚に照射して筋肉の緊張をほぐしていた。
俺はその光景を、静かに、そして興味深そうに見つめていた。
(水……干し肉……休憩……回復魔法……)
俺も人間だが、人間という生き物は、動けば体内の「エネルギー」というものが減り、
水分が失われ、休まなければ壊れてしまう。
それは、エレナの村でも見た光景だった。
村の大人たちも、農作業や薪割りの合間に「ふぅ、疲れた」と言って汗を拭い、冷たい水を飲んでいた。
(自分には……やっぱり、その『疲れ』という感覚が分からない)
俺は自分の手首に触れてみた。
脈拍は一定。体温も変化なし。呼吸も乱れていない。
目覚めてから現在に至るまで、肉体はただの一度も「消耗」という現象を起こしたことがなかった。
(みんなとは根本的に違う構造をしているんだな……。でも、ここで『俺は平気だ』と言い張り続けると、またみんなを怒らせてしまう)
俺は学習した。
皆と同じように振る舞うことが、パーティーの中で生きていくための「礼儀」なのだと。
俺はリュックからギルバードさんにもらった水筒を取り出すと、蓋を開け、飲むフリをして口元を湿らせ、真似事のように「ふぅ」と小さな息を吐いてみた。
「おい、イリス」
干し肉をかじっていたライアンが、ニヤニヤとした嫌みな笑みを浮かべて話しかけてきた。
「お前、本当に最後まで手ぶらで行くつもりか? 観念して俺の予備の短剣でも借りたらどうだ? 15金貨で貸してやるぜ?」
「いらないよ。俺の手があればだいたいのものは壊せるから」
「はぁー……ダメだこいつ、会話になんねぇ。本物のバカだ」
ライアンは呆れ果てて額を押さえた。
ルークも冷ややかな視線を俺に送る。
「いいか、イリス。遺跡に入ったら勝手な行動は一切許さない。索敵と罠解除はライアン、後方からの広域火力支援はエレノア、全体の回復とバフ付与はクラリス、そして前衛で敵の攻撃を受け止め、切り伏せるのはこの俺だ。お前は俺たちの後ろで、拾った戦利品でも担いでいろ。余計な手出しをして俺たちの完成された連携を乱すなよ」
「分かった。ルークの指示に従うよ」
俺が素直に頷くと、
ルークは自分の優位性を確認できたことに満足したのか、
誇らしげに鼻を鳴らした。
彼らにとって、
俺は「実力もない癖に、体力だけを誇る口ほどにもない愚者」
にしか見えていなかったのだろう。
15分の休憩が終わり、俺たちは再び立ち上がった。
夕闇が原生林の木々を黒く染め上げる頃、
ついに目的地である古代魔導遺跡の入口が、俺たちの前にその姿を現したのだった。
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次回第7話は、9月27日15時10分に投稿します!!




