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第13話:特訓と出会い


商業都市ルグランを立ち去ってから、三日の月日が流れた。

太陽が昇り、沈み、再び夜が訪れては去っていく。


街道を吹き抜ける風の匂いは、

街の熱気や人々の雑多な生活臭から、

次第に青々とした草木と湿った土の香りに変化していた。


俺はただ一人、ひたすら西を目指して歩き続けていた。


「……はぁ」


途中で足を止め、

街道脇に広がる果てしない青野を見渡しながら、

小さく吐息を漏らした。


(……俺は、なんて愚かだったんだ)


「このくらいなら大丈夫だろう」と自分の常識で世界を測ってしまった。


俺の無頓着さと力の加減の分からなさが、

結果として人を傷つけ、恐怖を与えてしまったんだ。


自分の右手を持ち上げ、指先をまじまじと見つめた。


傷一つない綺麗な皮膚。

爪の間に汚れすら残っていない。


こんなにも滑らかで強い手が、

一歩間違えれば他人の未来や身体を簡単に破壊してしまう。


(加減だ……)

俺は固く拳を握りしめた。


あの一件で痛感した。


俺に必要なのは、

どんな巨大なモンスターを倒す力でも、山を貫くような強さでもない。


……『手加減』だ。


みんなと一緒に生きていくための、

繊細な指先の感覚……それを完璧に覚えない限り、

俺は二度と誰の隣にもいちゃいけないんだ。


「よし……特訓だ」


俺は街道から外れ、

人通りのないだだっ広い野原へと足を踏み入れ、

リュックサックをそっと地面に下ろした。


そこは、なだらかな丘陵地帯が広がる美しい場所だった。


数十メートル先には小さな小山がそびえ、

その麓には透き通った小川が流れている。


周囲に人の気配はなく、

風が草木を揺らす音だけが響いていた。


「よし、目標を設定しよう」


俺は足元を見渡し、指先ほどの大きさもない小さな丸い小石を一つ拾い上げた。

重さすら感じない、ごく普通の川原の小石だ。

問題は、どうやって投げるかだ。


「失敗を繰り返すな。あの時は、指先で石を弾くだけで山を打ち抜いた。つまり……俺が『普通に投げる』と思っている力の、百分の一……いや、一万分の一までパワーを削らなきゃいけない」


俺は小石を親指と人差し指でそっとつまんだ。


(イメージしろ……)


呼吸を整える。

身体中のすべての筋肉から力を抜き、ただ「指先をそっと前へ滑らせる」だけのイメージ。

(息を吹きかけるくらいの……超繊細な力だ……!)


「ふっ!」


俺は指先をひょいと前へ押し出した。


――ズボオォォォォォォンッッッッ!!!!


静寂に包まれていた野原に、

世界がひっくり返ったかのような絶大な爆音が轟いた。


俺の指先から放たれた小石は、

大気を極限まで圧縮しながら、

周囲の空間に巨大な真空の衝撃波を発生させた。


俺の手元から前方に向けて、

衝撃の余波で地面の土と草が扇状に巻き上げられ、

目標だった巨木どころか――。


ドカンッッッッッ!!!!!


小石が命中した背後の小山が、

まるで内部から巨大な爆弾を破裂させたかのように、

ド派手に土煙と岩石を撒き散らして吹き飛んだ。


小山の中央部分には綺麗な円形の空洞が穿たれ、

崩れた岩石がガラガラと凄まじい音を立てて崩れ落ちていく。

直後、遅れてやってきた猛烈な暴風が俺の服と髪を激しく吹き散らした。


「…………………………………………え?」


俺は、小石を投げた体勢のまま固まった。

風が静まり、土煙が薄れていく。


そこにあったのは、

目標にしていた巨木の痕跡すらなく、

半分以上が粉々に破砕されて形を失った小山の無惨な姿だった。


「な……なんで……?」

俺は呆然と自分の指先を見つめた。


「なんでまた失敗するんだよ……っ!?」

頭を抱えて地べたに座り込む。


「ダメだ……全然ダメだ! なんで普通に投げることがこんなに難しいんだ……!? 俺の『ほんの少し』が、どうして世界にとっては『大爆破』になっちゃうんだよ……っ!」


俺は激しい自己嫌悪に陥りながら、

ポカポカと自分の頭を拳で(力を抜いて)叩いた。


「どうすればいい……? どうすれば普通の人みたいに、ぽてんと地面に落ちるような投げ方ができるんだ……?」


不眠不休の俺にとって、時間はいくらでもあった。


俺は諦めなかった。


ここで投げ出せば、二度と誰とも関われなくなる。


「もう一度だ! 今度は……指を動かさない! 手首も振らない! 指先の上に小石を乗せて、重力に従って前へ『転がす』だけにしよう!」


俺は再び新しい小石を拾い上げた。


(指の筋肉を動かすな。腕の力を使うな。ただ、前傾姿勢になって、指の上の石が滑り落ちるのを待つんだ……)


慎重に、慎重に、全身の力を極限まで解放する。


全身から力が抜け、

まるで風に揺れる柳の枝のように指先がゆらりと前に傾いた。


小石が、指先からコロンと離れる。


(よし! これなら――)


シュンッッッ!!

バゴォォォン!!


今度は小川の護岸が激しく破裂し、

水柱が数十メートルの高さまで吹き上がった。


「うあああぁぁぁぁっっ!! なんでだよぉぉぉぉっ!!」


頭を抱えて転がる俺。


「難しい……! 手加減って、なんでこんなに難しいんだよ……!! 殴ったり壊したりする方が一万倍簡単だぞ……!!」


それから、俺の「手加減地獄」が始まった。

昼も夜も関係なく、俺は野原で小石を投げ続けた。


一回投げては山が削れ、

一回投げては川が干上がり、

一回投げては平地に深いクレーターが完成する。


「違う! これじゃない! もっと力を抜くんだ!」


投げ続けること数百回、数千回。

五日目の夜が明け、六日目の朝日が昇った頃。


俺の全身は、異常なまでの超集中状態(ゾーン)に入っていた。


(……見えた)


俺の目には、

空気中のチリや微粒子の動き、

自分の皮膚の表面の微細な振動すらもが視覚化されているかのように感じられた。


世界の空間と、自分の指先を「調和」させる感覚で。


スッ……。



力みが一切存在しない動作。

俺の手が緩やかに前へと伸び、指先から小石が離れた。

衝撃波は起きない。


小石は綺麗な放物線を描き、

十メートル先の草むらへと静かに飛んでいった。


ポトン。


草の上に、小石が小さな音を立てて落ちた。


「……あ」


俺は目を見開いた。

草は引きちぎれていない。

土は削れていない。


「で……できた……!!」



俺は叫んだ。


両手を高く突き上げ、跳び上がって喜んだ。


「できたぞ!! 『ぽてん』って落ちた!!」


人間の身体の繊細さに、

自分の感覚を歩み寄らせることができた第一歩だった。


「よし! この感覚を忘れないうちに、もっと練習して――」


俺が歓喜の声を上げていた、その時だった。


「ほう……見事な力の制御じゃな。それほどの莫大な出力を、破裂させることもなく一粒の小石に抑え込んで殺してみせるとは……ただの力(ちから)バカかと思えば、恐ろしい才能を秘めておる」


背後から、しわがれつつも朗々と響く老人の声が聞こえた。


♢


「わっ!?」


俺は驚いて跳ね起き、振り返った。

いつの間に近づいていたのだろうか。


俺の感覚すら察知できなかったその老人は、

大きな木の根元に腰掛け、面白そうにパイプの煙をくゆらせていた。


見た目は七十歳を超えているだろうか。


真っ白で長いヒゲをたくわえ、

頭にはツバの広い大きな三角帽子をかぶっている。


身に纏っているのは、

幾重もの魔導陣が刺繍された濃紺の高級なローブだった。


手には、

先端に怪しく輝く宝珠が埋め込まれた木の杖を握っている。


「誰だ……? いつからそこに……」


 俺が警戒して身構えると、老人は「ほっほっほ」と不敵な笑みを浮かべた。


「そう身構えるな、若者よ。わしはただの通りすがりの旅の隠者……と言いたいところじゃが、あまりに  も派手な大爆破の音が連日響くでの。気になって見に来てみれば、一人の青年が山を削っては頭を抱えておるではないか」


 老人はパイプの煙を紫煙として吐き出し、俺の背後に広がる「元・小山だった巨大なクレーター群」を  杖で指し示した。


「……あ」


 俺は顔を真っ赤にした。


「す、すみません! 破壊活動をしようとしたわけじゃないんです! 俺……自分の力の加減がうまくできなくて、手加減をする練習をしていただけで……!」


「ほほう? 手加減とな?」


 老人は白ヒゲを撫でながら、興味深そうに目を細めた。


「そなた……見たところ魔法を使っておらんようじゃが、その生体出力は尋常ではないな。普通の人間なら、それほどの運動エネルギーを叩き出せば、自身の腕の肉が骨ごと弾け飛ぶはずじゃ。……だが、おぬしの腕には擦り傷一つない」


 老人の鋭い眼光が、俺の全身をくまなく観察する。


「……おぬし、自分が何者か分かっておらんのか?」


「俺……自分の詳しい記憶がないんです。ただ、自分の力があまりにも人とズレていて、この前も自分の加減のなさのせいで人を事故に巻き込んじゃって……」


 俺は落胆したように視線を落とし、

 自分の未熟さと力に対する不安についてポツリポツリと語り始めた。


 老人は静かにパイプをくゆらせながら、俺の言葉に耳を傾けていた。


 俺が「もっと人間を知りたくて、加減を覚えたくて特訓していた」と話し終えると、

 老人は大きくうなずいた。


「なるほど……なるほどなぁ。己の圧倒的な能力に溺れることなく、こうして一人で力の制御に向き合うか。……ほっほっほ! 面白い! 」


老人は愉快そうに腹を抱えて笑った。


「あの……おじさん、笑うようなことじゃないです。俺は本気で悩んでいて……」


「いやいや、失礼。笑ったのは馬鹿にしたのではないぞ、イリスよ。その若さで、それほどの絶大な力を持ちながら、『他者を傷つけないための加減』を学ぼうとする志……それはな、並の魔法使いや剣士には決して持ちえぬ『真の強さの萌芽』じゃからな」


老人はゆっくりと立ち上がった。


その背丈は小柄だったが、

立ち上がった瞬間に周囲の空気がズシリと重くなるような、

圧倒的な存在感が放たれた。


「イリスよ。おぬし、これからどこへ向かうつもりじゃ?」


「俺は……人間についてもっと勉強したいんです。人の痛みや、世界の仕組みや、自分が何者なのかを知るために……とりあえず、西にある『学術都市アルテミア』を目指そうと思っていました」


「学術都市アルテミアとな!」


老人はニヤリと笑みを深めた。


「良い目標じゃ。あそこには世界中から様々な種族、様々な人間が集まっておる。貴族も、平民も、天才も、落ちこぼれもな。人間という愚かで、脆く、されど愛おしい生き物を学ぶには最高の場所じゃろう」


「そうなんですか!?」


「うむ。……ちょうど良い、わしもアルテミアへ帰るところじゃった。どうじゃ、途中まで一緒に行かんか? おぬしの『手加減特訓』の成果、もう少し見せてもらいたいしの」


老人は杖をコンと地面についた。


俺は少し戸惑いながらも、

この不思議な老人に悪意がないことを感じ取っていた。


むしろ、彼と接していると、

どこか懐かしい温かい空気を感じるのだ。


「よろしくお願いします! 俺はイリスです!」


「うむ。わしは……まあ、しがない『魔術学院の教員』とでも名乗っておこうかの。ほっほっほ!」


老人はお茶目にウィンクすると、

軽やかな足取りで街道へと歩き出した。


俺は急いでリュックサックを背負い、

老人の後を追った。



 この時、俺はまだ知らなかった――


 この親切で風変わりな老人が、

 世界最高峰の魔法機関『アルテミア魔術学院』のトップに君臨する、

 伝説の最高賢者――学長マザー・ボゼルその人であったことを。



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