第1話 / 死亡と再生
紺碧の空が広がる。
いつもとは違う、穏やかな空がそこにあった。
血塗られた鋼鉄の鳥が埋め尽くすわけでもなく、暴風雨に見舞われることもない、ただ、美しい空。
このように、空を“美しい”と感じたことなど初めてだ。いつもなら、視界に映る情報として処理してしまうからだ。
だが、今は空も、海も、背後にある祖国さえ、鮮明な“風景”として認識することができる。
しかし、この光景を見るのも残り数分のみだ。
私たちの喉元に、黒い鎖鎌がすぐそこまで迫っている。
長年、守護してきたニンゲンという生物により、私たちは殺されなければならない。
この光景を見た者は「反撃はしないのか?」などという疑問を投げかけてくるだろう。
その答えは「もう、疲れた」だ。
そう、私たちはもう、疲れてしまった。
動くことに。
生きることに。
そして、失うことに。
受けた“生”そのものに、疲れてしまった。
そして今―――
※
目を貫く閃光が走る。
それは一瞬のことだった。
しかし、それを認識すると同時に、轟音とともに爆風や熱が私たちに襲いかかった。
世界は一瞬にして、熱異常に覆われる。
鋼鉄の身体の構造が崩壊し、私自身がなくなっていくことがわかる。
身体の内側に海水が侵入し、浮力を維持できなくなる。
魂が哭く。
この熱異常に覆われた世界で、焼け死ぬ苦しみを五体に刻み続けている。
僅かに、仲間の身体が燃えているのがわかる。木製の甲板が火の海に包まれているのだろう。
そして、その痛みは私も同じだ。熱異常の世界によって、身体を溶かされるこの痛みは、四肢をもがれる以上の苦痛を与えてくる。
ああ、憎い……憎い憎い憎い憎い憎い。ニンゲンが憎い。
我が祖国に護られながら、最後は祖国を裏切った。私利私欲のためだけに動く奴らが憎い。
なぜ、私の姉や妹、仲間がこのような理不尽で死ななければならないのだ。ましてや、これは戦争に勝利する過程で命を落とした英霊への冒涜だ。
なぜだ……なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ!!
そう、恨みを並べる内に気づいてしまった。
ニンゲンを守るべきではなかったと―――
※
―――冷たい。まるで、冷水の中に浸かっているような感覚。耳の奥まで、水が入って……
ん? 私は今"耳の奥まで水が入っている"と感じた?
おかしい。これではまるで、私が人間であるかのようだ。私は兵器で、祖国である大龍帝國に仕える戦艦型超戦車。世界最大にして最強の戦車だ。
とりあえず、周囲を確認してみる。
いや、周囲を確認しようにも、視界を確保することができない。とにかく暗くて、その暗闇がどこまでも続いているようだ。
いや、正確には“暗闇が目の前に張り付いている”という方がしっくりとくる。つまり、私は目隠しのような何かをしているということに……
ここまでくると、認めるしかないようだ。
どういう原理は知らないが、おそらく、私が想像したような状況が目の前に広がっていることになる。
悩んでいる暇なんてない。もう、どうにでもなれ。
そして、私は初めて眼前の暗闇を振り払った。
視界には透き通った海色の世界が広がっており、ここは案の定、液体の中であった。
ここでやっと確信した。私の視界を覆っていたものは、目蓋だということを。
私が、人の身体した何かになっているのだと。
再度確認するが、これがどういう理屈なのかは分からない。ただ、私が人の……それも、女性の身体をした何かになったという事実だけがそこにある。
そして、目の前には透き通った海色の世界がひろがる。おそらく私は、私を覆う謎の液体で満たされたタンクの中に隔離されているのだろう。
では、この状況をどうしようか。
結論として、何もできない。言葉を発することも、身体を動かすことも叶わない。
できることと言えば、目蓋を開閉することと、視線の方向を変えることのみだ。
一応、できること……ではないが、感覚はしっかりと機能しているようだ。
例として、の視線若干右上から伸びている管のようなものが、私の右腕に吸盤か何かで張り付いていることがわかる。
……それ以外、何もない。本当に何もできない。
だったら、私が人の身体を得た意味は何なのか。
残念ながら、その疑問に答えてくれる者は誰もいない。というか、微生物すらこの空間には存在しないだろう。
そんなことを考えていた時だった。
突如として、私の右腕に痛みが走る。感覚的に、何か鋭利なもので刺されたようだ。
そして、その先端から身体の中に何かが注入されている事がわかった。
はっきり言って恐怖だ。何もできない上に、一方的に身体に何かをされる。下手をすれば、死に直結するかもしれない。
何もわからないまま、死ぬわけにはいかない。せめて、私の存在意義を見つけ出さなければならない。
そう、強く願うも、現実は無情だった。
おそらくは打たれた薬剤の影響だろうか、突如として睡魔が襲ってきた。
これがただの睡魔なのならまだいい。だが、この状況では油断することができない。
ここで、意識を手放すわけにはいかない。絶対に―――
※
再び目を覚ましたとき、私はステージのような場所に寝かせられていた。
いや、正確には“眠っていた”が正しい。私はあの時、意識を手放してしまったのだ。
そして、気づいたこの場にいた。
当初、私はこの場所がどこか別の場所であると疑った。
しかし、その疑問はすぐに消えた。なぜならば、液体に浸されていたとき、私の体中についていた管がまだついたままだったからだ。
ひとまず、管をすべて外す。それらをまとめて、台の端にまとめて置いておく。おそらく、後で作業する時に楽になるだろう。
なお、作業するかどうかはわからない。あくまでも自己満足のようなものだ。
さて、ここからどうしたものか。ここは目に見えるほどの冷気が満ちており、とても寒い。生身では長く持たないだろう。
服くらいどこかに置いてないものだろうか。そう思い、台の周囲を探してみるも、特に服らしきものは見当たらない。
この施設は、私を凍死させる気なのだろうか。
私は深くため息をつく。白い靄が口から吐き出され、消えていくのが視界に映る。
これが、人の身体を得たことによる体験。おそらく、私が兵器としての道を歩み続けていたのならば、生涯を通して体験することはできなかっただろう。
そう思うと、人の身体も悪くはないと思う。
その時、私の聴覚が妙な音を感じ取った。一定間隔で聞こえてくる、靴底が床で擦れる音だ。
誰かがこちらに向かってきている。
1つだけ、不確定な要素がある。相手が友好的であるか否かということだ。
それによって、私の運命は大きく変化する。下手をすれば命の危機に直結する。
やがて、冷気の中から黒い輪郭が現れる。
見たところ、女のようだが、その正体は分からない。警戒しなければ……
「警戒なさる必要はありません」
女の声が聞こえた。思考を読まれたようだ。
まさか、龍族や上位吸血鬼の生き残りか?
いや、人間が思考を読み取る装置を開発した可能性だって捨てきれない。
「ご安心を。私はあなたと面識のある者です」
その言葉と同時に、冷気の中から声の主が姿を現した。
現れたのは、黒長髪の女。軍服らしきものを着用しており、その瞳は死線をくぐり抜けた者のそれだ。
只者ではない。だが、私と面識のあるとなどういうことだ。彼女の声を、私は知らない。
「私の自己紹介が先でしょうが、まずはこちらを」
彼女はそう言って、私に服を差し出した。灰色のそれは軍服のようで、昔見慣れた軍帽がその上に乗っかっていた。
彼女のことを知ることを優先するべきだが、ここはあまりにも寒い。ここは、彼女の言葉に従うべきだ。
「わかったわ。話はその後で―――」
※
少しして、私は女に渡された軍服に身を包んだ。この軍服は何重にも重ね着する型式のようで、着用に多少の時間がかかった。
下半身は特にそうだ。あまり詳しく説明できないが、長ズボンの上にロングスカートを履かされている点、身体の機動力が鈍ったような気がする。
いや、そうじゃない。服の構造と手間なんてどうでもいい。今は、彼女のことを知らなければならない。
「えっと、待たせたわね?」
「どうして疑問形なんですか……。もしかして、少しボケていらっしゃいます?」
疑問形になってしまった。私が軍服を着用しているとき、攻撃などしなかった点からして、彼女は信用に値する。
……というのに、私自身の警戒が解けきれない。意志とは裏腹にだ。
「ごめんなさい……。どうしても警戒心が解けきれなくて……」
「はあ……。まあ、そんなことだろうとは思いました。生まれてこの方、姉妹以外を信用してなさそうですもんね」
何か、ひどいことを言われた気がする。いやまあ、彼女の言っていることは事実なのだが……。なんと言うか、少し悲しくなる。
「それで、あなたは誰なの?」
本題だ。眼前のあなたは何者なのか。
その問いに、彼女は表情を変えず、冷静に答えた。
「改めて、私は駆逐艦型/宏月型超戦車2号車 澪月と申します。あなたは?」
彼女は澪月と名乗った。そして、私の名を尋ねた。
先の言葉からして、彼女は私のことを知っているはずだ。にも関わらず、彼女は私の名を聞いた。
しかし、彼女は名乗ったのだ。ここで私も名乗らなければ無作法というものだ。
「改めて、私は戦艦型/夜桜2号車 水月と申します。以後、お見知りおきを」




