自分を超えてゆけ
「自分の凡てを我がものとすること。支配すること、そして超えること」
ミス・ドラゴン女史の言葉を胸に、私はマントを翻して王宮を駆ける。こちらを見てひそひそ笑う魔法使いたち、石を投げられる、唾を吐きかける人もいる。
でも、今の私には全てがどうでもよかった。彼らを見る目が、哀れな者よ、と変わったからだろうか?そうかもしれない。そうでないかもしれない。それが、性格が悪くなるということならば甘んじて引き受けよう。
今の私には自信があった。私は虐げられてきたルサンチマンの権化、必ず生まれかわることができる。サラ、あなたを超えることだって…!!
職場のドアは、開くとドアベルが鳴るようになっている。このベルは、二年前に私が買わされたものだ。突然入って来る客たちに辟易したスタッフたちが集まって、お金を出し合って買おうということになったのだ。先に立替えて買って来て欲しい、と言われ、素直に従った。…それからお金が支払われることはなかった。誰もこのことを口に出さず、新しいベルが取り付けられたことは「なかったこと」にされてしまった。よほど馬鹿にされていたのだろうが、私は従った、従うことを選んだ。唯々諾々と…
その頃の「なかったことにされた」空気が戻って来たように、職場のスタッフは一瞬だけ私のほうを振り返ると、一斉に仕事に戻った。誰一人話しかけてくる者はなく、デスクの上には空の木箱が置かれている。「出て行け」という意思表示だというくらいは、私にもわかる。
隣の席のミセス・ロレッタがちらりと私を見て、ごめんなさい、許してね、という表情をした。
「…君が、宮廷魔術師の妹だという事実が知れわたってしまったんだ」
「オーウェン課長」
「ミス・エマ・テイラー。私は君を、ここから追い出す気はないよ」
課長はわざと大きな声で、周囲に響き渡るようにそう言った。一瞬の緊張、そして不可思議な空気。
「ありがとうございます、ミスタ・オーウェン。そう言って頂けると…」
「私は本気だよ。言葉どおりに受け取って頂いて結構だ」
「…課長は、午後から宮廷へ呼ばれているそうですね。お付き合い致します」
「うん、案内を頼むよ。
その前に…別室へ行こう。何が起こっているのか、お互いの情報を擦り合わせたい」
「課長は、ドラゴンの出現をご存知だったんですよね。情報をどこからか得てらしたのですか」
「私、出向スパイだからね」
さらりと言ってのける。私はずっこけそうになると同時に、昨日見た家庭内の豪華さに納得をしていた。そういえば、服の世話をしてくれたメイドだけでも二人くらいいたっけ。宮廷内事務職員からの天下りだったら、それもおかしくはない話だ。
「こう見えても大卒のキャリアでね。以前…君の入職前には、宮廷の総務部長を勤めていたんだ。
特に第二王子には可愛がってもらった。こちらに回されたのは、上の意向だよ」
「意向…ですか」
「ミス・エマ、きみの監視だ。それが私の任務だった。
…魔法使いにおけるルサンチマンの理論を提唱したのは、第二王子だったんだ。あの理論の本質が、君にはわかるかい?」
「はい」
ミス・ドラゴンは何も言わなかった。サラも、母さんも。でも、…わかる。
「つまり…魔法は、きっかけさえあれば『誰にでも使える』ということです。虐げられてきた、ルサンチマンを持つ人間であれば」
そう、「性格の悪い人間」なんてものはいないのだ。皆同じように、傷ついて怒って、何かのきっかけで(不幸にも)「力」を得てしまう。
それが、人間だ。魔法使いなど最初からいなかった。
「…ミス・エマ、君はミス・サラの下でずいぶん…その、いじめられてきた。怪我をして出社したのも一度や二度ではない。魔術管理課は『それ』が起こること、いや、起こっていることを恐れていたんだ」
「起こっていること…ですか」
「君が魔法使いとして目覚めていた場合、何が起こったか。想像がつくだろう?宮廷最高の魔法使いサラと、その妹の殺し合いなんて、何人か死ねばめっけもんの事態さ。何にせよ、宮廷は早くから君に目を付けていた。『ドラゴン』なんて事態にならなくてもね」
「納得しました。
…ところで課長、もう時間ですね。出発しないと」
「え、困ったなあ。君の話を聞いてないよ」
「宮廷に行けば、だいたいわかりますから…」
ドラゴンはたいてい、黒い大きな犬の姿で描かれる。ミス・ドラゴンを見てあっけに取られる課長を想像し、笑いをかみ殺しながら私は彼のためにオフィスのドアを開けた。ちりん、私の買ったベルが鳴る。
「…課長、ちょっと待って下さい」
「ん?」
ジャンプしてドアベルを取り外す。あいつなら何も言わないだろう、そう思われながら「買わされた」これ。
…私にも持てるだろうか、力への意思が。
「畜生!」
机の上に乗せられた木箱を見つめ、思い切りベルをねじ切る。箱が全く同じ形に勢いよく破壊され、ミセス・ロレッタが飛び上がるのが見えた。




