第3話 自己紹介でやらかした
■ドリル女がこっち見てる
生徒会役員の挨拶であのドリル女の顔を見た瞬間、陸の意識は、きれいに飛んだ。
そして気がつけば教室……自分の席。
目の前には、なぜかクラスメイト達。
「……え?」
現実が追いつかない。
黒板には大きく書かれている。
……自己紹介
「(いつの間に!? 記憶無いんだけど!?)」
完全に空白だ。
入学式の途中から、すっぽり抜け落ちている。
周囲では、すでに順番に自己紹介が進んでいた。
「では、自己紹介はあいうえお順でいきまーす」
担任の軽い声が教室に響く。
「(あいうえお順……?)」
嫌な予感がする。
「(さ行……俺、前半じゃん!!)」
血の気が引いた。
「(やばいやばいやばい……!!)」
陸の脳内で、警報が鳴り響く。
本来ならこの日のために、完璧な『高校デビュー用自己紹介』を用意していたはずだった。
明るく、適度に面白く、でも軽すぎず、ちゃんと印象に残る完璧なプラン。
……の、はずだった。
「(全部飛んだああああ!!)」
原因は明確。
あのドリル女。
「(なんで生徒会にいんだよあいつ……!!)」
頭を抱えたくなる。
そんな陸をよそに、自己紹介はどんどん進んでいく。
「阿川でーす、よろしくー」
「久しぶりーって人はまたよろしくねー」
教室には笑いが起きる。
「(……ああ、そういう感じね)」
中等部からの持ち上がり組が大多数を占める教室内、すでに人間関係が完成している連中だ。
自己紹介というより、ただの内輪トーク。
それだけで笑いが起きる。
「(きつ……)」
完全アウェー。
胃がじわじわと痛くなる。
「(俺もここでウケを取りたい……でも……)」
考えがまとまらない。
「(あんまりはしゃぎすぎても痛いし……かといって普通にやったら埋もれるし……下手したら『陰キャ認定』一直線だぞ……)」
背中に、じっとりと嫌な汗が滲み呼吸が浅くなる。
そして……。
「次、佐伯くん」
来た。
思考が、止まる。
「(終わった)」
全員の視線が、一斉にこちらへ向く。
逃げ場はない。立つしかない。ぎこちなく、椅子から腰を上げる。
「(どうする……?)」
「(何言う……?)」
「(今からでも、何か……)」
空っぽの頭で、必死に言葉を探す。
そのとき、ふと教室のどこかから、視線を感じた。
「(……まさか)」
嫌な予感がして、ゆっくりと顔を向ける。
そして目が合った。教室の後方。
あのドリルヘアが、静かにこちらを見ていた。
逃げ場は、完全に消えた。
■自己紹介でディベートするな
「えーと、一般枠で入学しました佐伯陸です。 『佐伯』でも『陸』でも呼びやすい方で呼んでください。 色々不慣れなんで宜しくお願い致します」
陸が選んだのは結局一番無難な挨拶だった。
「(奇をてらい過ぎると失敗するからな)」
そう思いつつ、つい言葉を続けてしまう。
「皆さんとは違い『何も誇れるものに恵まれてない』ので、お手柔らかに頼みます」
直後、クラスの空気が変わった。
「(あれ……すべった?)」
胸がドキドキし始めたときだった。
「佐伯君って言ったっけ。 それは聞き捨てならないな」
陸の挨拶を途中で遮るように男子生徒の声が割り込む。
この学園の生徒にしては、少しチャラい感じの男子生徒だった。
しかし今はそのチャラい雰囲気を消し、明らかに真顔で陸を見つめている。
その迫力に思わずたじろぐ。
「……えっ?」
「君は僕達が恵まれた環境の上に胡坐をかいている、と言っているように聞こえたんだが?」
「い、いや、別にそんなつもりは……ただ、俺は一般家庭の生まれだし、一般枠が無ければ入学できなかった訳だし……」
陸は手を振りながら否定する。
「そこだよ。 生まれさえよければ安泰な生活ができるとでも思っているのかな?」
そこまで言われるとさすがに陸もむかつき始める。
「……なんでそんなに絡むんだよ。 事実だろ。 お前に貧乏人の気持ちが分かるのかよ」
つい剥きになって言い返してしまう陸。
「分かる訳ないだろう? だったら逆に、僕達の気持ちが理解できるのか?」
すぐに言い返される。
「……」
「少なくとも僕達は優秀でなければならない」
教室の空気が、ヒヤリと張り詰める。
発言した男子は、一歩も引かない。
「家を背負っている者も多い。 期待も、責任もある」
淡々とした口調だが、その言葉には妙な重みがあった。
「『恵まれている』という一言で片付けられるほど、楽じゃないんだよ」
「……」
陸は、言葉を失う。
「(なんだよ、それ……)」
反論したいのに、うまく言葉が出てこない。
確かに相手の言っていることは、間違っていない。
だが……。
「……でもさ」
気づけば、口が動いていた。
「俺には、それでも『恵まれてる』ように見えるんだよ」
一歩も引かない。
「少なくとも、俺のいた環境よりはな」
教室の空気が、わずかにざわつく。
「……っ」
男子生徒の眉が、わずかに動いた。
陸は、息を吐く。
「悪かったよ」
「言い方が悪かったのは認める」
少しだけ視線を逸らす。
「でも、こっちだって必死なんだよ」
その一言は思った以上に、静かに教室に落ちた。
沈黙。
誰も、すぐには口を開かない。
さっきまでの内輪の軽さは、完全に消えていた。
「(……やっちまったな、これ)」
陸は内心で頭を抱える。
「(初日からやる空気じゃねえだろ……)」
空気は最悪……完全に『面倒くさい新入生』ポジションを買って出てしまった。
そのときだった。
「はいはい、そこまでー」
間延びした声が、空気を割った。
「自己紹介でディベート始めないでくださいねぇー」
花房詩織だった。
にこにこと笑いながら、 しかししっかりと場を制御している。
「佐伯君、自己紹介ありがとー。 じゃあ、次の人、どうぞー」
その一言で、強制的に流れが切られ、空気がわずかに緩む。
助かった……のかどうか、分からない。
陸はぎこちなく席に座った。
「(……終わった)」
心の中で、静かに呟く。
「(俺の高校生活、詰んだかもしれん)」
そのとき、ふと視線を感じた。
顔を上げる。
教室の後方……あのドリルヘア……麗華が、こちらを見ていた。
だが。
先ほどとは違う、無関心ではない……ほんのわずかに興味を持ったような目。
「……」
数秒、視線が交差する。
そして麗華は、すっと視線を逸らした。
何事もなかったかのように。
だが……。
「(……なんだ今の)」
陸の胸の奥に、小さな違和感が残る。
その意味を理解するには、まだ少し時間が必要だった。
■コロンビアから来た少女
同時刻。
別の教室でも、自己紹介が行われていた。
「次、エレナ・カリストさん」
名前を呼ばれ、女生徒が静かに立ち上がる。
教室の空気が、わずかに揺れた。
エキゾチックな顔立ち。光の加減で微妙に色を変える、複雑な髪色。
そしてどこか、感情の抜け落ちたような瞳。
綺麗だが、近寄りがたい……そんな印象を、無意識に周囲へ与えていた。
エレナは小さく息を吐く。
それから、簡潔に口を開いた。
「エレナ・カリストです。出身はコロンビアです」
流暢な日本語。抑揚は少ないが、発音は正確だった。
「留学生として入学しました。よろしくお願いします」
それだけ。
必要最低限の言葉だけを残し、軽く頭を下げる。
拍手は、まばらだった。
エレナは気にした様子もなく、すぐに椅子に座る。
同時に、周囲の男子生徒達の間で小さなざわめきが起きた。
「コロンビアってやばくね……?」
「てか日本語うまくね?」
「なんか怖くね……?」
ひそひそと交わされる声。
だが誰も、直接話しかけようとはしない。
距離を測りかねているのが、はっきりと分かる。
女子生徒達も同様だった。
「どうする……?」
「話しかける……?」
「いやちょっと……」
結局、誰も動かない……空気だけが、微妙に浮いている。
そんな小さな混乱のまま、自己紹介は流れるように終わった。
「はい、じゃあプリント配りまーす」
担任の若い女性教師が、ぱんと手を打つ。
一気に現実に引き戻される。
「今日は入学式だけで終了です。明日と明後日はオリエンテーション。授業開始は来週からになります」
テンポよく説明が進む。
クラスの空気も、徐々にいつもの調子に戻っていく。
「はーい、裕子ちゃん。質問」
前方の席から、明るい声が上がった。
「何ですか、藤崎さん」
「先生、恋人いますか?」
「……」
一瞬の間。
「その質問、終業式でもしましたよね?」
「えー、だって気になるじゃん」
「数日で恋人ができたら苦労しません!! あと『裕子ちゃん』呼びはやめなさい!」
「だって裕子ちゃんは裕子ちゃんじゃん。そっかー、まだ彼氏できないんだー」
「だからやめなさいって言ってるでしょう!!」
教室に、どっと笑いが広がる。
完全に『出来上がっている』空気。
これが、持ち上がり組の強さだった。
ただ……その輪の外で。
エレナ・カリストは、一人だけ窓の外を見ていた。
まるで最初から、この教室に興味がないかのように。
ガラスに映る自分の姿を、ぼんやりと見つめる。
その瞳にはやはり、光がなかった。
そして。
誰にも聞こえないほどの小さな声で、呟く。
「……時間は、ある」
その意味を理解できる者は、まだ誰もいなかった。




