第23話 本命
麗華たちが生徒会室に辿り着く少し前。
男のインカムが短く震える。
『こちらチーム4。ターゲットは教室内に居ない……オーバー』
わずかな間のあと、男は目を細めた。
『……どういう事だ?』
『分からん……が、我々が来る前に教室から移動したようだ』
『了解した。お前たちは制圧後、エレナと合流しろ。隣の教室にいる』
『了解。オーバー』
通信が途切れる。
男はゆっくりと息を吐き、口元を歪めた。
「逃げたか……いや」
視線が、廊下の先を射抜く。
「集まった、か」
守るべき場所へ。
守るべき人間の元へ。
それが“普通”だ。
だからこそ、読みやすい。
「運の良いお嬢様だな」
小さく呟き、すぐに言葉を継ぐ。
「……いや、運が悪いのか」
逃げ場を、自分で狭めているのだから。
左右に控える男たちへ、無言の合図。
全員が即座に理解する。
「本命は……」
一拍。
「生徒会室だ」
空気が、わずかに張り詰めた。
“仕上げ”に入る。
■引き金の外側
教室は、異様な静けさに包まれていた。
誰も動かない。誰も声を出さない。
ただ、銃口だけがそこにある。
エレナは微動だにしなかった。
構えたままだが……指は引き金から外れている。
完全に。
「(……これでいいの?)」
胸の奥に、微かなノイズのような違和感。
消えない十年前の記憶……屋敷が焼け落ちる光景……崩れる人々……そして血の匂い。
「(……あの時、私は誓った)」
復讐を。
それは間違いではないはずだった。
あの男も、同じものを見てきて……同じ怒りを、抱えている。
なのに。
「(……違う)」
今、目の前にいるのは怯えているだけの子供たちだ。
敵ではない……戦う相手ですらない。
エレナは、ぎゅっと目を閉じた。
思考を、押し殺すように。
そのとき、ポケットの中で、スマートフォンが震えた。
一瞬だけ、呼吸が止まる。
画面を見る。
表示された名前に、迷いはなかった。
「……はい」
『制圧は完了した。合流しろ』
短い命令……感情はない。
「……了解」
それだけを返し、通話を切る。
沈黙。
ほんの数秒……だがそれで、十分だった。
……戻れない……もう、選び直す段階は過ぎている。
エレナはゆっくりと立ち上がる。
ダッフルバッグを背負い直す。
重い。
中身のせいではない。
「……聞いて」
視線を、床に座らされたクラスメイトたちへ向ける。
びくり、と何人かが肩を震わせた。
「動かなければ、生き残る確率は上がる」
淡々とした声だが、ほんのわずかにだけ……温度があった。
「だから……動かないで」
命令ではない。
願いに近い言い方だった。
誰も答えない。
ただ、必死に頷く者が数人。
それでいい。
エレナは視線を外し、そしてそのまま教室の扉へ向かった。
廊下の空気は、ひどく冷たかった。
一歩、踏み出す。
向かう先は……同じ。
「……生徒会室」
小さく呟き、歩き出す……その背中はもう、止まらなかった。
■動けぬ国家、動く怪物
「大切な孫娘が人質になっているのだぞ」
低く、押し殺した声。
だが次の瞬間、それは爆発した。
「……何故、救出に向かわぬ!!」
応接室の空気が震える。
九条太蔵……その老体から放たれる威圧は、年齢という概念を踏み潰していた。
対面に座る男……内閣危機管理監は、わずかに肩を震わせる。
「九条様……状況は極めて複雑でして……」
言葉を選ぶ……一つでも誤れば、この場で終わる。
「犯人グループは重火器で武装。加えて、校内の構造を把握している可能性が高く……警
察の通常部隊では対処不能の恐れがあります」
「……そんなことは聞いておらぬ」
九条の声が、すっと落ちる。
静かに、だが、その方がなお恐ろしい。
「結果だけを言え」
空気が凍りつく。
男は喉を鳴らし、それでも言葉を絞り出す。
「……現時点では、突入は困難です」
沈黙。
一秒。
二秒。
その間に、室温が数度下がったように錯覚する。
「……ほう」
九条はゆっくりと立ち上がる……杖もつかず、まっすぐに。
「貴様は今、『見殺しにする』と言ったのか?」
「い、いえっ!! そのような……」
「ならば動け」
一歩、踏み込む。
男は反射的に身を引いた。
「孫に何かあれば……貴様の人生など、存在ごと消してやる」
脅しではない……事実の宣告だった。
男は顔面を蒼白にしながら、それでも首を振る。
「……それでも、です」
震える声だが、逃げない。
「九条様だけではありません」
その一言で、空気がわずかに変わる。
「現在、政府関係者――特に閣僚クラスの子女が、複数同校に在籍しております」
九条の眉が、わずかに動く。
「……続けろ」
「はい。すでに複数の方面から『強硬突入は避けるべき』との圧力がかかっております」
つまり。
誰も、決断できない。
「加えて……」
男は一瞬だけ言葉を詰まらせるが、言わなければならない。
「例の……永田議員の件が、SNS上で拡散されております」
空気が、さらに重くなる。
「あの件に対する政府の関与を疑う声が急増しており……世論が完全に不安定化しています」
「……」
九条は何も言わない……ただ、聞いている。
「この状況で強行突入を行い、人質に被害が出た場合……」
男は、はっきりと言い切った。
「政権そのものが崩壊する可能性があります」
沈黙……長い、沈黙……やがて……九条は、ゆっくりと嗤った。
「……なるほど」
低い声。
感心したようにすら聞こえる。
「つまり貴様らは」
振り返る。
その目は、冷え切っていた。
「孫を含めた人質と、己の地位を天秤にかけ……」
一拍。
「地位を取ったわけだ」
「……っ」
否定できない。
なぜならそれが、現実だからだ。
九条は小さく息を吐く。
そして、静かに告げた。
「ならばよい」
その言葉に、男は一瞬だけ安堵しかける。
だが次の瞬間、空気が凍りついた。
「この件、もはや政府は関与するな」
「……は?」
「私がやる」
その一言は、あまりにも重かった。
国家ですら動けない状況で……たった一人の老人が、そう言い切る。
「すでに手は打ってある」
九条は窓の外へ視線を向けた。
「貴様らは、ただ見ていろ」
背中越しに放たれたその言葉は……宣言だった。




