第9話 お嬢様はスペイン語が話せる
その日の放課後。
外装工事の足場は突貫工事で組まれ、既に全体の三分の二まで完成していた。
現場監督の男はタブレットの工程表を見つめながら、安堵のため息を漏らす。
「足場さえ組めてしまえば、後は防風ネットの設置か……」
そんな事を考えていると、職人たちがぞろぞろと引き上げていく。
「今日はご苦労様。明日もよろしく頼むよっ」
現場監督が職人たちに声を掛けると、職人たちも返事を返してくる。
「さて、クライアントに電話しておくか……」
現場監督は胸ポケットからスマートフォンを取り出すと、連絡先の一覧から目的の相手を選び出す。
通話のアイコンをタップする。
数コールしてから、相手が出た。
「お世話になっております。現場監督の狭間です。進捗の報告でお電話しました……」
狭間は電話をしながら人気のない方向へ進んで行く。
「はい。予定より早く進んでおります……明日の午後からは防風ネットも張れると思います……」
「はい……指示通り、赤い印のついたパイプは定間隔になる様に組んでいますよ……」
「え、追加で搬入したいものがある? はい、では私の方で学園の方へ申請しておきます……はい。今後ともよろしくお願いいたします」
そう言って狭間は通話を終える。
西の空がオレンジ色に輝いている。
「明日も良い天気になりそうだ……」
狭間はそう言って、自分の車の方へと戻っていくのだった。
■
次の日の朝。
昨日と同じように、正門前で陸がお嬢様を待っている頃。
通用門の前に、一台のトラックが到着する。
警備員がトラックを停車させ、運転手に話し掛ける。
「見たことの無い顔だね……許可証か、申請書はお持ちですか?」
「はい。これです。現場監督の狭間さん経由で連絡があったと思うんですが」
警備員は受け取った書類を確認する。
「ああ、工事に必要な追加の物資が搬入されるって言ってたやつか……聞いているよ。ちなみに荷物は何かな?」
「接着剤です。エポキシ系の。外装の修復とか、床のひび割れとかの修理に使うやつですよ」
「なるほど……書類も問題ないね。搬入場所は分かるかな?」
「それも狭間さんに聞いてます」
「じゃあ、気を付けて。生徒は近づかない場所だけど、万が一があるからね」
「注意します」
そう言ってトラックが通用門から敷地内に侵入する。
「相変わらずザルだな……」
助手席の男が呆れた様に呟く。
「良いじゃないですか。おかげで俺達は問題なく行動できるってもんですよ」
「明後日には防風シートが張り終わる……そこからが時間との勝負だな」
助手席の男がそう言うと、運転席の男は黙って頷く。
前方に資材置き場が見えてきた。
男達の顔に暗い笑みが浮かぶ。
◆
「今日も朝から工事の音が煩いなー」
陸はお嬢様を待ちながら、背後から聞こえてくる工事の音に文句を言う。
「しかし、働いている人が悪い訳じゃないしな……」
そんな事を取り留めも無く考えていると、一台のマイクロバスが入ってきた。
「あれって確か……留学生が登校に使うやつだよな……」
陸が見ていると、マイクロバスが正門から少し離れた場所に停車する。
ドアが開き、昨日と同じようにインターナショナルな生徒達がぞろぞろと降りてくる。
「(何度見ても凄いな……同じ学校とは思えないぜ……)」
そう呟いて、自分の顔を思い浮かべる。
「(ぐっ、俺ももう少し堀の深い顔をしていればワンチャンあった……のか?)」
そんな事を考えていたせいで、その人物が目の前に来たことに気付かなかった。
「リク。何を一人で面白い顔をしているの?」
「えっ?」
陸が顔を上げると、目の前に笑いを堪えているエレナの姿があった。
「あ、いや、これは……俺がもう少しソース顔だったら、モテるかなって……いや、俺は何を言ってるんだ?」
「ぷっ……ふはははは」
エレナが堪えきれなくなったようで、大きな声で笑いだす。
「なんだよ……ふっ、ふはははっ」
陸もつられて笑い出す。
「リクって面白い人だったんだね」
「いや、俺は別に……でもいいか、エレナが笑ってくれるなら」
「えっ?」
「いや、何でもないって……」
そして、そんな二人を邪魔するかのように麗華の乗る車が横付けされる。
運転席から早乙女さんが降りてきて、後部ドアを開ける。
其処から颯爽と金髪の美少女……麗華が姿を現す。
「おはよう。お二人とも、朝から仲が宜しいようで」
そう言って麗華がニコッと笑う。
「(笑顔なんだけど……凄く怖いんだけど……)」
陸が固まっていると、早乙女さんが当たり前のように陸に鞄を手渡してくる。
「さあ、お二人とも。参りますわよ」
そう言って麗華はエレナの肩を軽く叩いて歩き出す。
「えっ?」
「えっ?」
エレナはびっくりした表情のまま、麗華に押されるように歩き出す。
そして陸は暫く呆けていたが、二人との距離が開いてしまって、慌てて追いかけ始める。
「お嬢様……」
その光景をじっと見つめてから、早乙女は運転席へ戻るのだった。
◆
麗華は横を歩くエレナに話し掛ける。
『エレナさん。学園には慣れましたか?』
それは流ちょうなスペイン語だった。
『レイカさん……スペイン語が話せるの?』
『日常会話程度ですけど……こちらの方が話しやすいかと思って』
『あ、ありがとうございます。留学生はたくさんいるんですけど、スペイン語を話す人がほとんどいなくて……久しぶりに母国語で話ができてうれしいです』
『そう言って頂けると、勇気を出してお話した甲斐がありますわ』
『いえ、凄くお上手ですよ。イントネーションもばっちりです』
そう言ってエレナが嬉しそうに笑う。
その後ろで、一人だけ蚊帳の外になった陸。
「(何だか仲良さそうに話してるなー。何を話してんだろ……ひょっとして俺の事?)」
そこまで考えて陸の肩が落ちる。
「(絶対ないな……ないわー)」
後ろで陸が凹んでいる事に全く気付かない麗華とエレナだった。




