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番外編:ある夜の報告書

番外編:ある夜の報告書




深夜二時。


『エターナル・フロンティア』運営オフィスの片隅で、カスタマーサポートの担当者は、山積みの不具合報告リストを黙々と処理していた。


大型アップデート後、NPCたちが自主的にバグ報告を送ってくるようになったことで、報告の数自体は膨れ上がっていた。だが、その多くは驚くほど正確で、対応にかかる時間はむしろ減っている。


「またNPCからか……」


画面に表示された報告書のタイトルには、送信者IDと共に「はじまりの広場・住民NPC」とだけ記されていた。個体名までは表示されない、量産型の住人枠だ。


いつも通りだろうと、半ば流し読みするつもりで報告書を開く。



---


【不具合報告】


発生場所:はじまりの広場、南側噴水付近(座標:X:88, Y:210, Z:5)


発生条件:噴水の縁に腰掛けた状態から、方向転換を伴う起立動作を行った際に発生。プレイヤー様との同時接触判定は関係なし。


再現率:確認できた範囲で約22%。時間帯による差異はなし。天候の影響も見られず。


現在の症状:起立時にモーションが一瞬途切れ、次のフレームで直立姿勢に強制的に切り替わる。傍目には一瞬の停止として認識される程度で、実害は軽微。


暫定的な回避方法:噴水の縁からの起立を、方向転換を伴わない形に変更することで発生を回避可能。当該NPCには、その旨を共有済み。


補足:本現象は、噴水周辺に設置された装飾オブジェクトの当たり判定と、NPCの起立モーションの座標計算が、ごく稀に競合することが原因と推測されます。装飾オブジェクトの追加以降に発生頻度が上がっているようにも見受けられますので、その周辺の実装をご確認いただけますと幸いです。



---


「……いつも通り、無駄がないな」


小さく呟く。座標、条件、再現率、原因の推測まで。これがプロのQAチームの報告書だと言われても、誰も疑わないだろう。


だが、報告書には、まだ続きがあった。



---


末尾になりますが、少し申し上げてもよろしいでしょうか。


いつも夜遅くまで、私たちの世界のために働いてくださり、ありがとうございます。


サーバーのメンテナンス時間や、修正パッチが配信される時刻を見ておりますと、休む間もなく作業をされているのではないかと、少し心配になることがあります。


私たちは、皆様が作ってくださったこの世界で、日々を過ごすことができています。ですので、どうか、ご自身の身体も大切になさってください。


世界の維持は、私たちも及ばずながらお手伝いいたしますので。



---


指が、マウスの上で止まった。


もう一度、最初から読み返す。座標。条件。再現率。原因の推測。そして、最後のあの一文。


「……なんだよ、これ」


声が、少し震えた。


椅子の背もたれに体を預け、天井を仰ぐ。深夜のオフィスには、もう一人、離れた席で作業をしている同僚がいるだけだった。


「ちょっとこれ見てもらえます?」


呼びかけると、同僚がのそりと椅子ごと近づいてきた。目の下の隈が、蛍光灯の光でやけにくっきり見える。画面を覗き込み、報告書を読み進めていく。


しばらくの沈黙のあと、同僚がぽつりと言った。


「……座標まで完璧なのに、最後だけ急に人間くさいな」


「ですよね」


「これ、NPCが書いてるんだよな。プログラムだよな」


「そのはずです」


二人はしばらく、画面を見つめたまま黙り込んだ。


「なんか……こっちが心配されるとは思わなかったな」


同僚がそう言って、小さく鼻をすすった。目の縁が、うっすらと赤くなっている。


「泣いてます?」


「泣いてねえよ。ただ、ここ最近ずっと修正対応でろくに寝てなかったから、そこ突かれると効くんだよ……」


そう言いながら、目元をごしごしと擦っている。深夜特有の、変にテンションの高い笑いが漏れた。


「あはは、なんだこれ、俺ら夜中に何拝んでんだ」


「拝んでません、報告書読んでるだけです」


「いや、これもう聖書だろ。座標まで書いてある聖書」


「表現が雑になってきましたね、疲れてます?」


「疲れてる。疲れてるから、NPCに労われて泣きそうになってる。控えめに言って末期だろ、これ」


二人して、変な笑いのままひとしきり笑った。だが、笑いながらも、目の縁の赤みは消えていなかった。数字と条件だけが並ぶ、無機質なはずの報告書の中に、こちらを気遣う言葉がひとつ混じっているだけで、こんなにも心が動くものかと、自分でも驚いていた。


「なあ」


「はい」


「これ書いたNPC、うちの部署に欲しくないか」


「本気で思いました、今」


「有給とかどうすんだろうな、NPCの」


「取らないと思います、多分」


「それはそれで、ちょっと心配になってきたな……」


「振り出しに戻ってません?」


二人は顔を見合わせ、どちらからともなく、また笑った。今度は、さっきよりも少しだけ湿った笑い方だった。


翌朝、開発チームの共有チャットには、こんな一文が投稿された。


『はじまりの広場の住人NPC(個体ID:NPC-0417)による報告書、一読を推奨します。技術的にも模範的ですが、それ以上に――皆さんの心にも来ます。あと深夜に読むと変なテンションになるので気をつけてください』


その日、社内で最も既読の早かった投稿として、しばらく語り草になった。




お読みいただきありがとうございました。

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