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「だめ」

「なんで」

「この前したから」

「もう五日経ったよ」

「まだ五日でしょ」

「五日も!」

「五日しか」

久世くんは冷静だった。

私は歴史研究部の机に両手をついて、向かいに座る久世くんを見る。

机の上には、あの透明なケース。

中には耳かき。

ある。

そこにあるのに。

してくれない。

「久世くん」

「なに」

「お願いします」

「だめ」

「ちょっとだけ」

「だめ」

「右だけ」

「左右の問題じゃない」

「表面だけ」

「この前綺麗にしたばっかり」

「じゃあ見るだけ!」

「見て綺麗だったら終わりだよ?」

「…………」

それでは意味がない。

私が黙ると、久世くんは小さくため息をついた。

「耳掃除は、やりすぎてもよくないんだよ」

「でも気持ちいい」

「気持ちいいからって毎日やったらだめ」

「久世くんが優しくやれば大丈夫じゃない?」

「俺が上手でもだめ」

自分で上手って言った。

でも実際上手なので反論できない。

「健康な耳を保つためにも、耳かきは週一回」

「…………」

「そんな顔してもだめ」

「…………久世くん」

「なに」

「耳かきして」

「話聞いてた?」

私は机に突っ伏した。

「一週間長い……」

「まだ二日だよ」

「長い……」

「仕方ないなあ」

久世くんの声が、少し笑った。

顔を上げる。

「耳かきはしないけど」

「けど?」

「マッサージならする?」

「する!!」

結局。

私はいつものタオルを彼の膝に敷いた。

「……結局この体勢なんだ」

「だって耳のマッサージでしょ?」

「まあいいけど」

猫の膝掛けをかける。

頭を乗せる。

あ。

今日も同じ匂い。

すっかり好きになってしまった、あまり香料のしない、干した布団みたいな匂い。

久世くんの手が耳に触れた。

「今日は中には入れないよ」

「はーい」

親指と人差し指で耳たぶをつまむ。

ふに。

ふに。

「…………あー」

「気持ちいい?」

「うん」

耳たぶを軽く引っ張って。

離して。

今度は耳の縁を、指の腹でゆっくり揉んでいく。

くる。

くる、くる。

「そこ好き」

「ここ?」

「そこ」

「じゃあもうちょっと」

くる、くる。

時々、指先が耳の入口を、

こしょ。

こしょこしょ。

「んっ」

肩が勝手に上がった。

「くすぐったい?」

「くすぐったいけど、やめないで」

「難しい注文だな」

こしょ。

「……ふふ」

「笑ってる」

「だってくすぐったい」

「やめる?」

「やだ」

今度は梵天が出てくる。

「中は入れないからね」

「うん」

ふわふわした毛先が、耳の表面を撫でる。

かさ。

かさかさ。

わさ。

「…………」

「もう眠そう」

「眠くない」

「目閉じてるけど」

「集中してるの」

「何に?」

「気持ちよさに」

久世くんが笑った。

耳かきをしてもらえないのは残念だったけど。

これはこれで。

ものすごくいい。

その日から私は、耳掃除をしてもらえない日にまで歴史研究部へ行くようになった。

そして。

私は考えた。

どうしたら一週間で、もっと耳垢が溜まるんだろう。

我ながら、かなりどうかしている。

調べてみると、新陳代謝という言葉が目についた。

なるほど。

代謝。

だったら生活を整えればいいのでは。

私は早寝を始めた。

夜更かしをやめた。

朝もちゃんと起きるようにした。

軽く筋トレも始めた。

食事もちゃんと食べた。

水も飲んだ。

目的はただ一つ。

久世くんに耳掃除してもらうため。

ところが、一か月ほど経った頃。

「ねえ」

昼休み。

友達が私の顔をじっと見た。

「なに?」

「志乃ちゃんさー、なんか最近、肌綺麗じゃない?」

「え?」

「あとちょっと痩せた?」

「ほんと?」

「なんかすっきりした。何してんの?」

「早寝早起きと筋トレ」

「えらっ」

私は曖昧に笑った。

まさか、

**耳垢を育てようと思って。

とは言えない。**

友達がニヤッとする。

「彼氏でもできたでしょ。」

「違うよ!」

即答した。

「ほんとに?」

「ほんとほんと!」

だって私は、耳掃除のために健康になっているだけだ。

好きな人なんて。

別に。

いない。

……はず。

『でも久世と付き合ってるんじゃないの?』

『…え?』

『だって、よく一緒に帰ってるよね?』

『あ、えーと、それは。』

『でも意外。久世と志乃ちゃんってなんか接点あった?』

それは、なんとも説明しにくい接点があるんだけども。

『付き合ってないって。』

『え?そうなの?付き合ってると思ってる人そこそこいると思うけど。』

『なんで本人たちの知らぬ間にそんなことに!』

『なんか、2人ってちょっとタイプ違うけど不思議系だし、まぁそうなのかなって。』

その話はそこから対して広がらず、腑に落ちないまま終わった。

なのに。

なぜか。

胸の奥に、小さな引っかかりが残った。

その日の放課後。

待ちに待った、一週間目。

私は放課後資料室に走りこんだ。

鍵は空いてるし、もう長椅子で久世くんが雑誌を読んで待っていた。

「やばい、耳かき楽しみすぎて泣きそう。」

「そんな喜ぶ?」

「喜ぶ!」

私はにこにこしながら長椅子に座った久世くんの太ももにタオルを敷いて、久世くんの膝に頭を乗せる。

「お願いします」

「猫系だと思ってたけど、犬系でもあるのかな。」

「なに?」

「なんでもないよ、耳かきするね。」

耳にかかる髪を、指で払われる。

最近これがして欲しくてわざと髪無造作のまま寝転んでる。ごめんね久世くん。

それだけで身体の力が抜けた。

「あ」

「なに?」

「今日はちょっとある」

「ほんと!?」

「嬉しそうだね」

「だって一週間待ったもん」

「耳垢を楽しみにする女子高生、初めて見た」

「私も初めてなった」

耳かきが入る。

かり。

かり、かり。ガサゴソ

「…………あー」

「痛くない?」

「最高」

「よかったね」

「うん」

かり。

かり。

一週間ぶりの、小さな音。

耳の中を探る、久世くんの手。

いつもの膝。

いつもの匂い。

いつもの部室。

私は目を閉じた。

やっぱり好きだ。

耳かき。

本当に好き。

でもなんだろう、何かもっと、なにか欲しいようなもどかしいような。

十分に気持ちいいのに。

そんなことを考えていると。

「あのさ」

久世くんが言った。

「ん?」

耳かきは動いたままだった。

「本田さんはさ」

「うん」

「他に耳かきしてくれる人がいたら、してほしい?」

「え?」

耳かきが止まる。

「俺じゃなくて」

久世くんの声は、いつもと同じだった。

「もっと上手い人とか。毎日してくれる人とか」

「…………」

私は考えた。

毎日してくれる人。

それは魅力的だ。

耳かき専門店とか。

ものすごく上手な人とか。

そういう人にしてもらったら。

きっと気持ちいい。

……でも。

頭の下にある久世くんの膝がなくなる。

久世くんの匂いもなくて。

耳に触れるこの指じゃなくなる。

時々交わす、どうでもいい会話もない。

目を覚ましたとき。

久世くんが本を読んでいない。

よだれ拭いてくれたり。

メレンゲクッキー食べてくれたり。

猫のメモ帳も。

「…………やだな」

「え?」

「耳かきは大好きだけど」

私は目を開けた。

久世くんを見上げる。

「久世くんがしてくれる間は、久世くんだけがいい」

久世くんの目が。

ほんの少し開いた。

「…………そっか」

「うん」

「じゃあ」

久世くんが、また耳かきを動かした。

かり。

「俺、ずっとしてあげるから」

かり、かり。

「これからもずっと一緒にいようね」

「…………」

耳かきの音が止まった。

私は久世くんを見る。

久世くんも私を見ていた。

細い目。

特別かっこいいとかじゃない。

でもすごく好きになってた。

「……それ」

「うん」

「耳かきするときだけ?」

久世くんが黙った。

聞きたかった。

「耳かきしないときも、一緒にいてくれる?」

「…………」

久世くんが、ゆっくり笑った。

いつもの目だけ細めるやつじゃなくて恥ずかしそうにクシャって笑って。

「それだと」

「うん」

「俺ばっか嬉しいな」

「…………え」

今度は、私が固まった。

久世くんの顔が少し赤い。

たぶん私もめちゃくちゃ顔が熱いから赤いと思う。なんなら耳まで熱い。

「俺、本田さんのこと好きだよ」

耳かきの間ずっと、もっと欲しかったけど形が分からなかった空白ピースがぴったりと埋められた。


「私も久世くんが好き。」

「え、ほんとに?耳かき目当てじゃない?」

「違うよ!」

なぜかじとっとした目で久世くんは疑わしそうにしている。

「今日友達に、久世くんと私が付き合ってると思ったって言われて、違うよって言ったけど、そうだったら良かったのになぁー…って。」

「俺もこの前聞かれたな。」

「え!そうなの?教えてよ!」

「いや、言ってどうするの。」

「聞いたらたぶん嬉しかった。」

「そうですか。」

「彼氏になってもここで耳かきしてくれる?」

「彼氏ならここ以外でもしてあげられるよ。」

私は嬉しさで心が爆発しそうになって、思わず久世くんの太ももに顔をぐりぐりしたら

「わー!そこはやめろバカ!」って本気のトーンで怒られたから

とりあえず大人しくまた耳かきをしてもらう。

「ここにいるのも好き」

久世くんが、少し笑った。

「今度からは彼女に耳かきでいいんだよね?」

「…………うん」

あまりにも普通に言われた。

だから私も。

普通に答えた。

「……じゃ、続きするね」

「え?」

「まだ左終わってない」

「今!?」

「途中だから」

「告白した直後だよ!?」

「付き合ったら耳垢消えるの?」

「消えないけど!」

「じゃあ反対向いて」

「…………はい」

私は久世くんの膝の上で寝返りを打った。

久世くんの指が、いつものように髪をよける。

耳かきが入る。

かり。

かり、かり。

何も変わらない。

でも。

「ねえ、久世くん」

「ん?」

「彼女になったら、週二回になったりする?」

「ならない」

「えー!」

「健康な耳を保つためです」

「じゃあマッサージ」

「それはする」

「梵天も?」

「する」

「耳ふにふにも?」

「はいはい」

私は笑った。

久世くんも笑った。

「本多さん」

「なに?」

「寝てもいいよ」

「今日は寝ない」

「なんで?」

「もったいないから」

「何が?」

私は少しだけ考えて。

目を閉じた。

「彼氏に耳かきしてもらってる時間」

耳かきが。

一瞬、止まった。

「…………」

「久世くん?」

「今それ言う?」

「え?」

久世くんが私の頭を撫でる。久世くんの顔が近づいてきたと思ったら、私の唇に久世くんの唇が触れた。

真っ赤な顔で口を開けて見上げる私を、久世くんが目を細めて笑った。



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